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学び→生きてるっていいなって思える事

隣でスイッチのカービィにはまっている7歳と4歳の子どもと、ひとりで絵本を声に出して読んでいる2歳を見ながら、日本酒を飲んでnoteを綴っています。

連日投稿している学ぶ意味について。

こと幼児教育において言うと、子どもたちは何で学ぶのでしょう。
何のために学ぶのでしょう。
そもそもどういうことを学ぶ必要があるのでしょうか。

学ぶ意味は色々ありますよね。
GPT−4で箇条書きにしてもらうとこんな感じ。

成長:新しい知識やスキルを通じて個人的、職業的な成長を促進します。
理解:世界やその複雑な現象を理解する手段を提供します。
適応:変化する環境や状況に適応する能力を高めます。
判断:より良い決定を下すための情報と経験を得ます。
創造:新しいアイデアや解決策を生み出すための基盤を築きます。

子どもに聞いてみると
「親とか先生に怒られるから」
「褒められたいから」
とかもあれば
「将来のため」
「お金もらうため」
とか、そんな答えが返ってくるかもしれないですね。

大人が思い返してみると、未来の生活が安定するために学んできたっていうのは、多くの人が感じることなんじゃないかなぁって思うんです。

て事はつまり
人はなんのために学ぶのかって問い直すことって
どう生きるかを問い直すことと一緒、
じゃないですか?
いわゆるキャリアパス。

でも、なんで生きてるのか?なんてわかりっこないですね。
そもそも自分の意志で生まれてきてるわけじゃないから、気づいたら鼻水垂らしてハイハイしてたわけで、これっていう答えなんてあるわけがない。

でも、自分の中で答えに辿り着くかどうかはともかく、生きてるうちに、「生きてるっていいよなぁ」って言う感覚は身に付けたい。

生きてるってこういうことだよね
生きてるって楽しいことがいっぱいあるね
って思いたいじゃないですか。

だからこれから長い人生を生きていく子どもたちには、早い段階で生きてるっていいよなぁって感じながら、その感覚をもちながら毎日を生きて欲しいです。

なんかちょっと綺麗事っぽいんですけど
それが全ての根っこで、幼児期はその上に
音を楽しんだり
絵を楽しんだり
体を動かすことを楽しんだり
遊びながらアーティスティックな感覚も積み上がって
人生が豊かになる。

そこから発展して色んなキャリアパスができていく。
ギターが弾けるようになるのも、表現したい絵が描けるようになるのも、それができることによって結局「生きてるって楽しいよね」につながっていく。
だから大人には、子どもがより楽しくなるための最善の利益って言う判断が根っこにあればよくて、無理に頑張らせようというのは本当に必要な時だけでいいなって思います。

歳をとって明日死ぬときに、何をしたいですか?ってよくいうけれど
みなさんは考えたこと、ありますか?

僕は明日が最後の1日だったとしたら、迷わず家族といる。
いつもと変わらない話と思い出話を行き来しながら、ぎゅって抱きしめあったり、明日死ぬことの説得力を活かして子どもたちに大切なことを伝えて、今日みたいに日本酒を飲みながら、子どもと笑い合って、いい人生だったなぁって思える日にしたい。

人間が心の深いところで求めてるのは
「生きてるっていいなぁ」って言う感覚。
だから子どもの学びもそこにつなげていきたい。

大人も、子どもも、何のために学ぶのかは最終的に
「生きてるっていいなって思うため」みたいなところに
落ち着くのかなぁと思います。

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