#7 1989年『電エース』誕生、テレビドラマ・Vシネマ監督開始
この年、天皇陛下崩御のまさにその日、『電エース』の撮影をしていた。わたしの平成は『電エース』からはじまったのだ。『電エース』は、バンダイが出していたビデオマガジン『電影帝国』のコーナー企画として依頼されたものだった。『電影帝国』はおもにガンダムほかのアニメの情報を収録するもので、デザイナーの出渕裕氏が司会していた。『電影帝国』のヒーローだから、『電エース』というわけだ。もう、なにをやってもいい、というのだが、予算はまったくない。そこでそれを逆手にとり、東京タワーのプラモを買ってきて、そこに人間が立つと身長2000メートルになる。画面には電エースと怪獣、東京タワーのみとなり、成立する。「東京タワーを武器として怪獣と戦う」という、スーパーどうかしているヒーローの誕生だ。
そして、ウルトラマンやセブンはアイテムを使って変身するが、このヒーローは「気持ちよくなると」変身する、という設定にした。快楽変身、つまり、酒・女・温泉など、男の欲望がエネルギーとなる画期的なものだ。また、エンドロールを急速に出して読めなくしたり、ファンからのお便りを読む時間がないから燃やしたり、やりたい放題で、「常識を超えた男」として最近も作っている。結局30年以上も続いているわたしのライフワークとなってしまった。
また、増田未亜と『イコちゃん』の歌を作った石川修一率いるバンド『ケーフェイ』とともに、わたしも歌を歌うライブを開催した。『ばくはつ五郎』などを歌ったのだが、客は唖然としたことだろう。
実業之日本社が『TVザウルス』という雑誌を創刊することになり、その付録ビデオとして『怪獣探偵』というソフトを製作した。これはわたしは監督はやらないで、スタジオハードの竹中清氏にまかせた。『イコちゃん2』のトライドンを流用した、ほんの数分の短編だった。
春、増田未亜が歌手デビューした。その勢いに乗り、『地球防衛少女イコちゃん3』の製作をバンダイと角川書店にプレゼンし、ほぼ確定した。
このころ、大映テレビのプロデューサーの明石竜二氏があらわれ、『イコちゃん』をテレビシリーズにしましょう、という熱い想いを早稲田の寿司屋で呑みながら盛り上がった。感激したわたしは彼とともに正式に企画書を作り製本して、大手テレビ各局にセールスしたが、ここまでぶっとんだ内容のドラマはなかなか理解してもらえなかった。
しかし彼は新作の『イコちゃん』の協力プロデューサーをかってでてくれ、またのちに『世にも奇妙な物語』の監督として起用してくれ、長いつきあいとなる。
前年『チャップリンギャグのすべて』というフジテレビの花王名人劇場の構成をやらせてくれた東阪企画の社長・澤田隆治さんから、この枠のドラマの監督を依頼された。タイトルは『ナーススクール物語 憧れは白衣の天使』。このころ売り出した人気のお笑い・野沢直子の主演が決まっていた。フジテレビ日曜21時というゴールデンタイムの監督を、なんの下積みもなくイキナリやることになったわけだ。
映画やテレビは最近もそうだが、企画に困るとナースものをやる、という定石があるのだ。野沢直子をナースにしたコメディだ。いままでのノリでメチャクチャをやろうとするもそうはいかない。なにしろ今のゴールデンタイムと違い、この時代の日曜9時は日本中が見ている時間なわけだ。若い感性を期待されて監督するのに、そうメチャクチャはできない。仕事にはつねに制約がつきものだ。しかしキャストは伊藤麻衣子・ダンプ松本・あき竹城・大村崑・大和田獏・間寛平・上原謙と、さすがメジャーどころがそろった。上原謙さんには戦前の映画『愛染かつら』のパロディをやっていただき、あの加山雄三さんのお父さまを演出できるとは、感慨深かったものだ。
撮影は日活撮影所に病院のセットを組みマルチカメラで撮影、いわゆるテレビドラマの手法だ。ランスルー、カメリハがあり、カメラなど技術が複雑で、スタッフも多くとにかく打ち合わせ含め時間がかかる。もちろん初体験だが、わかったふりをしてやっていた。なめられるわけにはいかない。そういう度胸が監督には必要なのだ。
外ロケなぞ、カメラ照明のセッティングがいまの数倍時間がかかり、大変な体力がいる仕事だった。このドラマで、デビューしたばかりのお笑いの新人の松村邦洋を面白いと思っていたわたしは彼を起用したが、これが彼の役者デビューとなった。例のマニアックものまねをしてもらいつつ、窓からガラスを破って落ちるなどひどい目に合う入院患者役をやってもらった。電エースとトライドンを一瞬出したり、結局かなりメチャクチャな作品となった。
『ナーススクール物語』は無事オンエアされ、視聴率20%はいかなかったが、15%くらいでまあまあということで続編『野沢直子のナーススクール物語』も決定した。
角川書店から出ていた『ちょっとHな福袋』という、アニメやゲームのエッチな部分を集めた本が当たっており、その映像版の製作をすることになった。これは竹中清氏に続いてスタジオハードの田中彰氏を監督にして、『アンドロレジェンド』というセクシーヒロインものをやったものだ。またこの中の短編アニメの製作を『タイガーマスク』『宇宙戦艦ヤマト』の作画の白土武さん率いるタイガープロに依頼したりして、すぐにあがってきて、そのプロの技に驚いた。
また、江口寿史氏のマンガ、『なんとかなるでショ!』が角川書店製作でアニメになることになり、そこに実写も入れるということになり、その監督をやることになった。これは先ちゃん(江口先生)の友人として、わたしが適任というか、やれるのはわたししかいなかった。
この作品の原稿を先ちゃんが描いている、入稿ギリギリのところにでくわして、編集者が怒っている修羅場をみて、「マンガ通りだ」と貴重な体験もしていたわけだ。原作の中から数本の短いものを監督したが、その一本の『圧縮』は、満員電車のお客を、パンチパーマのゴジラ風の怪獣とほっかむりをしたおばちゃん風のM1号が食べるというどうかしている内容。それをはじめて東宝ビルトで、16ミリで撮影した。ウルトラシリーズに憧れた身としてはうれしい仕事だった。
続編の『ナーススクール物語』もすぐ撮った。『W野沢・ハートに火がついた!』というサブタイトルで、当時はトレンディドラマ全盛のW浅野のブームの名前だけサブタイトルにもらい、野沢直子が今回は一人二役という、これまたドラマの定石をやった。レギュラーメンバーに加え今回は小松政夫・マイケル富岡・藤岡重慶・福岡翼・村上冬樹さんたちが出演。
村上さんは東宝特撮でおなじみの人で、うれしかった。小松の親分には、いつものネタを披露してもらい、藤岡さんは『あしたのジョー』の丹下段平の声だ。もちろん、その態でやっていただいた。記者会見をやるシーンで、入院中の野沢が書いた色紙を見せるシーンがあり、わたしが「人生 成田三樹夫」と書いたものを見て、わたしに段平の声で「これでいいんですか?」と言っていたのがおかしかった。
『地球防衛少女イコちゃん3』も正式に決定し、今回は日光江戸村でロケが決まった。というのは、中山昭二さんがここの専務に就任していて、その線でタイアップがきまったのだった。中山さんは『イコちゃん1』に続いての出演となる。
つまり、江戸時代にタイムスリップする話ができるわけだ。今回の脚本はのちの平成ウルトラマンシリーズや、ホラーものの第一人者となる小中千昭氏とともに書いた。彼とは8ミリ時代からのつきあいで、のちのホラーの大家には考えられないだろうが、『刑事あいうえ音頭』なる、クレイジー映画のオマージュ8ミリ映画を監督していたりして、わたしとはおおいに気があった。二人のUFO・SF知識を盛り込み、深い内容に仕上がった。
そして、UFOディレクターの矢追純一さんにも出演交渉をする。矢追さんは日本テレビの『木曜スペシャル』のUFO特集で一世風靡した方だが、あくまであれはノンフィクションということでやっていた。矢追さんが『イコちゃん』に出れば、相当な話題になるが、嘘八百のトンチキな特撮映画に出てくれるのだろうか、と憂慮したが、あっさり快諾された。UFO情報をしゃべる参謀役として、矢追さんがはじめてフィクションの世界に出たわけで、これは誇り高かった。
こうして記すと、この年わたしは大変忙しかった。まさにバブルである。
翌年開けてから寒い時期に『地球防衛少女イコちゃん3 大江戸大作戦』はクランクインすることになる。
1990年『地球防衛少女イコちゃん大江戸大作戦』製作
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