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037. 鑑賞に向かない性質
これから書くことはほぼ自分語りであるが、「自分もそうだ」と思ってもらえるとうれしい。というのも実世界でなかなか理解してもらえないことだったから。
タイトルの通り、私は自分を鑑賞に向いていないなぁと常々思っている。小説だけでなく音楽も映画もアートも。
関心が作品そのものではなく、書かれた背景や著者自身などの周辺に向きがち。さらにあまり感情を動かされるタイプでもない。
と書くと冷血漢のようだが、自分自身で冷血漢だと言ってのけるほどシニカルな人間ではない(と思う)。
単に感情を素直に表現することに照れがあるのだ。自分の感情に向かい合えないと言っても良い。
例えば、美味いメシを食って「美味い!」素直にと言えずに
「俺は美味しいとおもうけど、他の人が美味しいと思うかどうかはわからない」
なんてシチメンドクサイことを言ってしまう。
「こういう時は『美味しい』とだけ言えばで良いの!」
と怒られる。
メタ認知が少し過剰といえばわかる人にはわかるかもしれない。
俺の体感アンケートでは全人類の25%はこんな人間だと思う。
もう回りくどくなってしまった。整理しよう。
鑑賞に向かないという要素にはふたつある。
関心が作品そのものに向かない
鑑賞の表現方法がズレている
と整理して思ったのが、
「鑑賞に向かない」じゃなくて「鑑賞の共有が下手くそ」と言った方が良いんだろうな。
自分だけで完結していればどうでも良いことだから。他の人は知る由もない。
ところが他の人から感想を求められたときに、あまり人が注意を払わないことを喋って理解されずにポカンとされてしまうのだ。
視点が違っていると言えばその通りなんだが、褒められたことじゃないなと思う。
もしかしたら子どもの頃から訓練を積み重ねれば、今と違っていたかもしれない。今更どうでも良いんだが。
0206-1
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