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【今日の読書】さあ、ビオトープを作ろう! ーー『積読こそが完全な読書術である』(永田希)

恋愛についての話は語り尽くされても良さそうなのだが、いまだに語られているのはなぜか?(この設問自体、何度も繰り返されている)
恋愛は個人の経験であって、新しく生まれた人間にとっては “初めてのこと“ だからだ。

読書についても恋愛体験と同じように個人的な経験なのだから、何度何度も同じ話が出てくる。

読書する意味とか、読書を習慣付ける方法とか、本は全部読まなくても良いとか、云々。

過去の人たちと同じように悩み、自分なりの解決策を気づいたら、人類史の大発見のように語る。たとえ、それが既に過去に語られたことだとしても。

『積読こそが完全な読書術である』に書いてあることは、そのような語り尽くされた読書論だけではない。
本書で問われているのは、現在進行している「情報の濁流」に飲み込まれないため、賢人たちが語ってきた読書論をどのように使えば良いのか。

ピエール・バイヤールの『読んでいない本について堂々と語る方法』など賢人たちの考えをベースに現在の出版事情や歴史上の書物の位置付けも見ながら、読書の本質を概観していく。
そして、個々の読書論ではなく、どうしようもない「情報の濁流」の中に「ビオトープ的積読環境」を作ることを著者は提言する。

「情報の濁流」は放っておけば新しいコンテンツがどんどん生成される環境で、個人の力ではどうしようもない環境(「他律的な積読環境」)。
それに対して「ビオトープ的積読環境」とは、個人の力で制御する「自律的な積読環境」。

小さな生態系のビオトープは鮮度を保つために外部とのやりとりを必要とする。そのやりとりは流れに任せるのではなく、自分自身で行わなければならない。アクアリウムの維持は放っておいても為されないのと同じように。

ビオトープとしての「自律的な積読環境」も同様に、自分のテーマやスタイルを点検し、不要な本は新しい必要な本と入れ替える。たとえ読んでなくても必要だと思えば、持っておけば良い。本と本との関係を見て「重要書」を発見してく。読まなくても自分のコンテキスト中に位置付けができていれば良いし、何だったらメモの形で持つだけで、実物(紙、電子を問わず)所有していなくても良い。

そもそも書物は積読を前提としているものなのだから。
「完全な読書」は不可能なのだから。

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