映画を観た記録143 2024年8月10日   ジョージ・クルーニー『スーパー・チューズデー 正義を売った男』  

Amazon Prime Videoでジョージ・クルーニー『スーパー・チューズデー 正義を売った男』を観る。
スピルバーグが作る政治映画もどきより確実にレベルが高い。スピルバーグは結局のところ「映画愛」に守られたがっているその程度の三流作家なのである。
それはともかく。確実に明白にジョージ・クルーニーは、他の映画人が決してできないことを本作でしている。本作のドラマ内容もそうだが、なぜ、ハリウッドの人気スター(セレブともいわれる。)俳優が、作家主義の定義のままの映画を作ることができてしまったのか。これは事件である。
他の映画人は、決してできないというのは、事実として、映画監督のほとんどはセレブであるが、それは、会社に路線を合わせているようなファックユーな監督であるスティーブン・スピルバーグのようなクズかうんこ野郎しか映画監督はセレブはいないのであるし、このクズ監督は、イスラエルを支持するというキング・オブ・クズの地位を手に入れた。スピルバーグがハリウッド・テンの時代に生きていたら、ウォルト・ディズニーのようにロナルド・レーガンとともに積極的に赤狩りに加わるだろう。スピルバーグとはその程度の三流である。映画監督でセレブということは、クズといってもよい。
そんなことはともかく、ジョージ・クルーニーは、脚本にも加わり、映画にも出演し、プロデュースも行い、監督もしている。
ジョージ・クルーニーは、現代のオーソン・ウェルズといってもよい。
本作の内容は民主党予備候補選挙の選挙合戦の選挙戦がきわどく、どぎつく描かれている。しかも、自殺容疑までドラマの中にあるのだ。
本作を観ると、民主政治で政治を行うことはタフでないとやれないのである。民主政治とは、腐敗しやすい政治制度でもある。それは、明白に腐敗している君主制や寡頭制に一挙に変化してもおかしくない極めて危うい政治制度であるということがわかる。
本作でアメリカ政治のエグさを学び、日本の政治など幼稚なごっこでしかないことを理解してもらいたい。幼稚だからこそ、世襲議員が日本では蔓延する。アメリカでは、岸田首相など、選挙スタッフのインターン程度の能力なのだ。対する野党もその戦略性のなさにおいて、やはりインターン程度である。
アメリカの政治家が日本の政治家をなめるのは至極当然である。
なぜなら、日本の政治家は甘やかされて政治をやっているのであり、本作のように、エグイ闘争をしていないからだ。
日本はアメリカになめられて当然とわかる映画である。それは政治だけでなく映画もそうである。
いったい、日本で人気俳優が、政治映画を、大資本で作るだろうか。日本は米国より、100万年は遅れている。
ちなみにジャン・リュック・ゴダールがカイエ・デュ・シネマに最初に寄稿したタイトルは「政治映画の味方をして」である。

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