「奇妙な論」を朝日新聞に掲載する功利哲学者・安藤馨
朝日新聞の「憲法季評」は安藤馨という功利哲学者であるが、疑問を感じたのは、解散権とは内閣の議会に対しての対抗措置であり、行政と立法が決裂し、議会が内閣総辞職を要求し、内閣が対抗として解散を行使するにすぎず、この安藤という学者によると、もったいぶった権威ある書き方で解散総選挙で政権与党が選挙で有利にならなければ、それ自体、解散権を行使した政権与党にとって有利ではないという「奇妙な論」を述べている。
なぜ、議会と内閣の対立から生まれる「解散」が有権者にまで広がるのか。疑問符がつきすぎる「論」である。
そして、この論者は「裏金」という語の独り歩きが公金横領と勘違いしている怒れる有権者がいるから「不記載」を主張している。実際、この論は「不記載」と記述している。
「裏金」とは、公金横領には当たらないが、企業にたとえると「業務上横領罪」に問われるほどの「行為」なのである。
この論者は、裏金問題は民主政をゆがめたと述べているだけで、それ以前に法的に違法であることとは捉えないのは、どういうことなのか。
結局、この論者は政党支部への分配は何ら法的に問題ないとさえ述べるが、そもそもが裏金議員を非公認としているのに、その候補者がいる支部へ分配することが「非違行為」を疑わせると有権者は疑問を述べているだけだ。
この論者は、有権者が理性的ではなく、いつも感情に揺さぶられているから、健全な民主主義が形成できないとまでいいかねない論である。
功利主義に基づく法哲学に疑問しか私は感じない。
結局のところ、マルクスが批判した「自由、平等、所有そしてベンサム」の一言に尽きる。