映画を観た記録115 2024年7月6日    黒澤明『天国と地獄』

Amazon Prime Videoで黒澤明『天国と地獄』を観る。

黒澤明は空間の作家であることが本作品で余すところなく示されている。

本作品はシネスコープであり、そのサイズを利用した空間的な演出や美術が配置されている。俳優たちの演技は有機的につながり、隅々にいる俳優まで目が離せない演技をしている。黒澤明はカメラを複数使用するので、カットつなぎがとても躍動的である。アクションつなぎは幾度となく行われる。

冒頭の三船敏郎演じる権藤邸の一室でのドラマはまるで舞台劇でもあり、一種の舞踏でもあり、バレエでもある。絶えず、誰かが演技をしている。ドラマは権藤の息子を誘拐するつもりが、運転手の子どもを誘拐してしまう。この人違いの誘拐というドラマそのものが映画的である。誘拐された運転手の青木はずっとうなだれている。青木は冒頭では画面の隅にうなだれてたたずんでいるだけであり、それもまた画面から目を離せなくさせている。

誘拐犯は山崎努が演じている。誘拐犯は、権藤邸が見える三畳一間の部屋に住んでおり、権藤邸と誘拐犯の空間的対比が明確にわかる。しかし、そのことで格差を描いているのではない。それはそういうものなのだ。カメラが権藤邸を写していたら、引いてきて、どぶ川を写す。対比である。

本作品はドラマ上、死者が写されるが、銃撃や暴力で殺すような残酷なシーンはない。誘拐犯は、麻薬中毒患者に純度の高い麻薬を服用させることでショック死させている。

本作品は、完全なるトリック、推理ドラマであるが、コロンボ型でもなければ、ホームズ型でもない。仲代達也演じる警部率いる刑事たち数人が追うのである。

本作品は集団活劇に才能を遺憾なく発揮した黒澤明の頭脳トリックミステリーである。
ちなみに黒澤明と手塚治虫は共通性がある。底に流れるヒューマニズム。不条理をそのまま言葉にしたセリフ。構図。対比。躍動性。黒澤明なくして手塚治虫が存在していなかったといえるかもしれない。

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