映画を観た記録135 2024年7月26日    ヴァレンチン・ヴァシャノビッチ『アトランティス』

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物語の設定は2014年に始まるウクライナへのロシアへの侵攻が2025年に終結を迎えるという近未来の物語が背景にある。なぜ、近未来なのかというと2019年発表のウクライナ映画であるからである。しかし、現実の事実として2014年にロシアはクリミアへ侵攻している。この映画は2025年まで続いているという設定と考えても良い。つまり、10年間、戦争は続いているのである。現実の事実としてロシアはウクライナのキーウを目指し、侵攻したのは、2022年に侵攻した。だが、現実のウクライナ人は、この映画のように戦争が持続している感覚があり、その持続感を理解できないと本作は理解できない。
本作は、物語を滑らかに語ることを拒否している。その拒否の見事さにおいて、本作は、傑作としかいいようがない。非映画的な画面、ワンシーン・ワンショットが続く平板な時間、その非映画的な運動がたまりにたまったかのようのラスト近くはいわゆる映画的な画面が現れる。
ハリウッド的な、黒澤的な、物語に奉仕する映画的運動に慣れ切った人たちは、本作は退屈にしかみえないだろう。何が語られているのか、この映画の見せ場は、ということが本作にはない。ひたすら続く非映画的なワンシーン・ワンショットの運動が、モンタージュとは、いわば虚構でしかないことを暴き立てる。
本作は、その非映画的な運動においてシャンタル・アケルマンの系譜にある映画である。その非映画的な運動は、ゴダールの『女と男のいる舗道』のアンナ・カリーナと若い男が背中から延々に撮影し、会話だけという場面もそうである。
それにしても本作で謎なのは、前半の鉄鋼所の溶鉱炉へPTSDの人物が飛び降りるシーンだが、それもワンシーン・ワンショットで、背後から撮影し、飛び降り、人間が溶鉱炉に入っている。これはどういうことか。一つ、考えられるのは、ワンシーン・ワンショットであるかのように見せかけるヒッチコック『ロープ』のような編集をしているのだろう。
延々と続く、がれき、そして、死体の検分、その死体もほとんどミイラ化した死体であり、主人公は、その匂いにやられ、吐いている。デストピアは、現実のこの世界にあることをまざまざと見せつける。
本作は希望がないのではない。主人公は、希望を抱くかのようなセリフを語るからだ。しかし、その希望は、ロシアに侵攻され、ウクライナの荒廃しきった土地ともにあるものなのである。

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