映画を観た記録142 2024年8月4日    ロベルト・ロッセリーニ『神の道化師、フランチェスコ』

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フランチェスコは全財産を貧しい人に寄付し、信仰の道に入った。その行為は神父たちには知られている。ローマ教皇インノケンティウス3世がフランチェスコに布教を許した。フランチェスコは宗教訓練を受けていないので布教の資格などないが、インノケンティウス3世が許したのである。
フランチェスコは、弟子たちとともに、粗末な家で共同生活を送り、信仰生活を送っている。
冒頭、大雨にうたれるフランチェスコ一行の姿が描かれる。無慈悲としかいいようがない。フランチェスコは、弟子たちに苦行を与えたことは自分の傲慢さだと話し、雨で濡れている土に突っ伏し、弟子たちに足で踏めと話すが、弟子たちはとてもできない。そして、お互い、ハグをする。
そのようなことに類した行為が繰り返し、描かれる。
フランチェスコは、両手で目を覆い泣く。
フランチェスコは、通りかかったハンセン病患者を救いたい。ハグもする。しかし、相手にされない。フランチェスコは、両手で目を覆い、草花の大地に突っ伏す。遠くまで離れたハンセン病患者は振り返る。
起伏ある物語に奉仕する映画という概念に反する映画である。
まさに反=映画である。
宗教的なことはよくわからないので、調べてみたら、フランチェスコとは、13世紀に実在したアッシジのフランチェスコという人物である。付き従った人物には兄弟たちと呼んでいた。本作も「兄弟たち」とフランチェスコは呼んでいる。
そして、フランチェスコと付き従う兄弟たちを演じたのはフランシスコ修道会の本物の修道士たちである。まさにネオレアリズモである。職業俳優はこの映画には出演していないのである。
フランチェスコとその兄弟たちは、貧しい人たちへ施すことを歓びとしている。内面の歓びである。
本作のような映画がイタリアでは1950年に生まれたのである。
カイエ・デュ・シネマの連中がロッセリーニ的な映画作りを愚直に継承しているのは、内容は恋愛をいじいじ描くロリコン映画のエリック・ロメールである。彼の映画もまた一種の反=映画である。対してシャブロルは積極的にフランス=ミステリーの継承者となってしまい、単なる凡人に化した。
本作は監修は神父がしている。
一種の文化映画的な趣きである。だが、文化映画ではなく、ネオレアリズモであり、品行方正のNHK教育ドラマではないのである。

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