映画を観た記録141 2024年8月4日    ドロール・ザハヴィ『クレッシェンド 音楽の架け橋』

Amazon Prime Videoでドロール・ザハヴィ『クレッシェンド 音楽の架け橋』を観る。

一言で言えば、「感動映画」である。

ぜひ、文科省推薦にて全国の学校で上映してほしいものだ。

主題は、憎しみあっている両者が和解できるのか、という映画である。憎しみあっている両者とはイスラエル人とパレスチナ人である。その和解、または共存を両者がコンサートを開くことで示そうとするまでのドラマであるはずが…。

この共存コンサートを仕掛けたのは株のトレーダーをしている慈善家である。その慈善家の女性から委嘱を受けた世界的マエストロは、当初は、政治に関わりたくないと突っぱねるが、慈善家から、文化です、と言われ、引き受ける。

舞台は、オーケストラの練習場所である南チロルである。南チロルは、農民がナチス協力者がほとんどの地域でもあった。

本作にて、「歴史」があぶりだされる。イスラエルとパレスチナの対立、そして、世界的マエストロは、ナチの協力者の両親を持ったがゆえにナチの子どもという汚名を着せられて生きてきた過去をイスラエルとパレスチナの若者に告げられる。その告白から、両者の憎しみは徐々に解消されていく。

本作で希望だったはずの、イスラエルの若い女の子とパレスチナの若い男の恋愛は、両者が恋愛成就のためにオーケストラから逃げようとして、男の子が車からはねられることで恋愛は挫折し、イスラエルの若い女の子はドイツの親戚の家族へ連れ戻される。

結局、コンサートは挫折した。

マエストロはショックでもある。

慈善家は南スーダンへ飛ぶ。

空港にて、両者の若者たちは壁を隔てて待っている。

そして、コンサートの中止が空港のテレビのニュースで告げられると、イスラエルで最もいけすかない傲慢な男のロンが立ち上がり、ラベルの『ボレロ』を弾きだす。壁で隔てられているが、窓から相手のことが見えるので、やはり、パレスチナの中でもっともイスラエルを敵視していたレイラも変わり、受け止め、弾きだす。そして互いにオーケストレーションが奏でられる。

なぜ、『ボレロ』なのか。様々な映画でよく使われるからか。

なぜなのだろうか。『ボレロ』に政治的意味があるのだろうか。よくはわからない。タイトルがクレッシェンドだからとしかいいようがない。

ちなみに、本作もまた、女性が恋愛では積極的、男の子はいつも消極的という主題が繰り返される。イスラエルの女の子は、映画の冒頭で「キス」をほのめかしている。男の子は両親のことがいつも心配である。確かにその子の父親は息子を溺愛している。対して、イスラエルの女の子のほうは、先進国特有の核家族に苛まれているのだろう。

男の子の名前はいつもオマルなのね、とでも書いておく。

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