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前を向こうと思わせてくれたコンクール

 12月18日、左手のピアノ国際コンクールのアマチュア部門に初参加してスクリャービン作曲の「ノクターンOp.9-2」を弾いた。本番はいつも緊張のためか、早く終われとばかりにサラッと弾いてそのうえミスばかりで落ち込むので、今回はあれこれ考えずに、音楽に集中して弾くということが目標であった。今年、何度か人前で弾く機会があったが、一番落ち着いて弾けたと思う。そのかいあってか「技能賞」と「宝塚の贈りもの賞」というスポンサー様からのありがたい賞を頂いた。個人的には同じく技能賞を取られた方が演奏されたカッチーニの「アベ・マリア」がとても素敵で印象的だったので、同じ賞をいただけたことを嬉しく感じている。

コンクールの3日前、オーチャードホールで行われた小曽根真さんとスペシャルゲスト小野リサさんのコンサートに行った。ドラムにWベース、ホーンも入って、10月のショパコン以来クラッシクを聴くことが多かった私は、久しぶりに聴くお洒落なハーモナイズや軽快なリズム、小気味よく下支えするベースにワクワクした。そして小野リサさんの歌声は30年以上も前に聞いた時と変わらずボサノバのリズムにのせた風のように爽やかだった。

 そんな素敵なコンサートを聴きながら、突然胸にズンとくるものがあり、涙がこぼれそうになった。涙を誘うようなメロディアスな曲でもなく、むしろノリのいい曲だったのに、音楽というものは勝手に意識下にある感情を揺さぶるものだ。

 世の中はこんなに素敵な音楽であふれているのに、どうして私は自分がピアノが弾けないことばかりにこだわって、いつも自分に向かって「下手くそ」「情けない」「もっと努力しなきゃ」と責めるような言葉しか出てこないのか、人と比べたり以前の自分と比べたりして、劣等感の塊になってしまっているのか。現実を受け入れられずに、いつも不足を感じていて、すぐそこにある音楽を純粋に味わったり、その喜びを100%で受け取ることができない、そんな自分がつくづく嫌になって泣けてきた。そして、3日後のコンクールでは、このネガティブなどうしようもない感情をステージに捨ててきたいと心底思った。

 このコンクールに参加した目的の一つは、片手で演奏される曲を生で聴いたことがなかったので、ぜひいろいろな曲を聴いてみたいということだった。午前の部のはじめから、自分の左手の曲に対する考えに一撃を受けた。両手とか片手とかは演奏手段でしかなく、何かを表現するということにおいては、その人の持つ感性や伝えたいという気持ちがまず聴き手につたわることが大切で、そこに手の一本も二本も全く関係ないと実感することができた。片手で素晴らしい演奏をする方は、今はかなわなかったとしても、両手で弾いても素晴らしいだろうし、両手演奏で培ってきたものは、決して消え失せないと感じた。今までも頭ではわかっていたつもりだけれど、劣等感が邪魔をして心が受け入れなかったので、生での演奏を聴いてその感覚が腑に落ちた。

もう一つの目的は、参加されている左手のピアニストさんたちとの交流だ。こちらについては、また改めて書いてみたい。

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