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ムーンライト・ヒル 第6回

 くどいかもしれないが、目も眩むようなきらきらの法衣をまとったこの寺の住職が跡継ぎの息子とともに経を読んでいる間中、俺が感じていたのは恥ずかしさ、惨めさ、そして悔しさといった感情だった。
 この寺は葬儀式場としてはまあ一般人向けというところだろう。しかし今日の葬儀はその一般的な広さの式場がだだっ広い大空間に感じられた。金沢南葬儀社の全従業員六人、それに居合わせた花屋、ドライアイス屋、写真屋がとりあえず席に着いた。ちなみに葬儀屋と花屋、そしてドライアイス屋は作業服姿のままだ。ドライアイス屋は次の配達があるのを、俺の先輩の赤川主任が強引に引き止めたらしい。
 まあ、自発的に参加してくれた人もいないではなかった。死亡広告の関係で付き合いのある広告代理店の営業マン、民生委員の奥さん、町内会長の奥さん、どこで聞きつけたかレンタルビデオ屋のオヤジ、そして意外だったのは、県立病院から脳外科婦長の大嶋さんだった。内科の看護婦と違って大嶋さんは母とは直接面識がない。なのに県立病院からただ一人、母のためにわざわざ来てくれたらしい。
 しかし実はそれが俺にとって負担だった。こんなことなら昨夜の通夜の方がマシだった。なぜなら、俺と会社の奴等、そしてこの寺の坊主しか参列者がいなかったからだ。
 しかし今日の告別式には会社以外の参列者がいる。
 写真館の谷川と広告代理店はまず大丈夫だろう。だが花屋はあちこちの葬儀屋に出入りしている上に、人のうわさ話ばかりしている男だ。今日のこの茶番はすぐに広まるだろう。坊さんの方も息子は口が軽い。「拓は可愛そうな奴だ」とよその葬儀屋に言いふらすに決まっている。
 わざわざ来てくれた人も確かに数人いるが、本音を言えばそれも俺にはストレスの元となっていた。ふだん俺に良くしてくれる人達に、がらんとした会場で俺だけが白着物姿でたった一人、さらし者のように遺族席に座っているのを見られるのはたまらなかった。
ずっと前、母の死を覚悟したときから、俺は母の葬式を出さないつもりでいた。だから葬式に人がぜんぜん集まらないという不名誉なことや、俺が天涯孤独の役立たずのちんぴらだということを知られてしまうなどということは全然心配していなかった。
 それがこのざまだ。弔辞や弔電のない葬式なんか出す羽目になろうとは。社長や会社の奴等は善人面してなんてお節介なことをしてくれたのだろう。俺は母が亡くなったことを悲しむ余裕など全然なかった。たださらし者にされた恥ずかしさと惨めさ、そして悔しさで胸が一杯だった。
俺は沼の底の亀のようにじっとしていたい。人から注目されることなどまっぴらだ。なぜならそれは、俺に対する同情と哀れみ、そして蔑み以外のなにものでもないからだ。
 今日に限って特別サービスというわけでもないだろうが、坊さんの読経がやけに長く感じられた。それに較べて焼香の時間の短いこと。司会者の「それではご焼香でございます」から「まだご焼香のお済みでない方はいらっしゃらないでしょうか」のセリフの間の短かったこと。参列者はみんな一様に沈痛な面持ちで俺の前を通り過ぎて行ったが、その数は全部合わせても二十人を切っていた。時間にしてほんの三分ほどにすぎなかった。
「みなさま、もう一度祭壇のご遺影をごらん下さい。長い闘病生活をなさっていたにもかかわらず、やすらかで美しいお顔をしていらっしゃいます。まるで残された私たちに、後のことは頼みましたよ、とでもおっしゃっているようでございます」
 俺は惨めな気持ちと悔しさでぶち切れそうになっていたが、司会の金ちゃんがマニュアル通り、冗談のような決まり文句を言ってくれたおかげで、少し気分が和んだような気がした。


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