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『風の電話』 諏訪敦彦監督×鈴木卓爾さん対談

2020年3月9日(月) 於:出町座

この3月、諏訪敦彦監督の新作『風の電話』上映の際に出町座でおこなわれたトークをこちらに掲載いたします。京都芸術大学映画学科で教鞭をとり、自身も映画監督、俳優として活躍する鈴木卓爾さんに聞き手をつとめていただき、『風の電話』の制作中に起こったことについて諏訪監督からお話しいただきました。諏訪監督と卓爾さんの出会いからお互いの活動の中での接点についてなどがこのトークの前半に語られていて、非常に刺激的なのですが、非常に長くなってしまうので、今回は泣く泣くカットしています。すみません!ですが、そうした関係のおふたりだからこその演出=演技=映画づくりについての充実したトークになっています。『風の電話』が配信で観られる今、ぜひ本編ご鑑賞とあわせて、こちらのトークもおたのしみください。

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諏訪敦彦(すわ・のぶひろ)
1960年生まれ、広島県出身。東京造形大学デザイン学科在籍中から映画制作を行い、1985年、監督・制作・脚本・撮影を担当した短編映画「はなされるGANG」が、第8回ぴあフィルムフェスティバルに入選。テレビトキュメンタリーの演出も手がけ、1995年の作品「ハリウッドを駆けた怪優/異端の人・上山草人」は高く評価された。1997年、映画『2/デュオ』で長編映画監督デビューを果たす。シナリオなしの即興演出という独自の演出手法は、この頃から確立。1999年、『M/OTHER』で第52回カンヌ国際映画祭国際批評家連盟賞、第14回高崎映画祭最優秀作品賞、第54回毎日映画コンクール脚本賞を受賞。アラン・レネ監督の『二十四時間の情事』をリメイクした『H Story』、パリを舞台に日仏スタッフで制作した『不完全なふたり』、演技経験のない9歳の女の子を主人公にした『ユキとニナ』など、どれも「シナリオなし」で作られた実験的な制作方法が取り入れられている。2019年、フランスの伝説的俳優ジャン=ピエール・レオーを主演に迎えた『ライオンは今夜死ぬ』を発表した。また東京藝術大学大学院映像研究科の映画専攻にて教授を務めるほか、子供を対象にした映画制作ワークショップ「こども映画教室」に講師として多数参加するなど、映画教育にも深く関わっている。長編最新作である『風の電話』は2020年1月24日に公開。
単著『誰も必要としていないかもしれない、映画の可能性のために』(フィルムアート社・刊)が2020年01月16日に刊行。

鈴木卓爾(すずき・たくじ)
1967年静岡県磐田市生まれ。1989年東京造形大学造形学部デザイン学科Ⅰ類卒業。1999年より、NHKのドラマ『さわやか3組』『中学生日記』『時々迷々』等の脚本を手がけ、本数は50話を越える。浅生ハルミンのエッセイの映画化『私は猫ストーカー』(2009)で長編劇場映画初監督。同作は、第31回ヨコハマ映画祭新人監督賞、第19回日本プロフェッショナル大賞作品賞、新人監督賞を受賞。漫画家・水木しげるの妻・武良布枝によるエッセイの映画化『ゲゲゲの女房』(2010)で第25回高崎映画祭最優秀監督賞を受賞。また監督作『ポッポー町の人々』(2012)、『楽隊のうさぎ』(2013)、『ジョギング渡り鳥』(2016)、『ゾンからのメッセージ』(2018)などが劇場公開。『トキワ荘の青春』(1996)、『雷魚』(1997)、『ナインソウルズ』(2003)、『容疑者Xの献身』(2008)、『ヘヴンズストーリ-』(2010)、『CUT』(2011)、『Dressing Up』(2015)、『ヴィレッジ・オン・ザ・ヴィレッジ』(2016)、『セトウツミ』(2016)、『あゝ荒野』(2017)『決算!忠臣蔵』(2019)など多数の作品に出演する、俳優としても活動。2019年、監督・プロデューサーをつとめた『嵐電』が全国劇場公開、第11回TAMA映画賞 最優秀作品賞、最優秀男優賞、第34回高崎映画祭 最優秀作品賞を受賞。京都芸術大学 映画学科 教授。

鈴木卓爾(以下、鈴木):本日聞き手を務めさせていただく鈴木卓爾です。よろしくお願いいたします。まず『風の電話』という映画は諏訪さんから撮りたいというふうに始めた企画ではないんですよね?

諏訪敦彦(以下、諏訪):そうなんです。僕にとっては初めてのケースですね。

鈴木:僕は恥ずかしながら「風の電話」というものを知りませんでした。

諏訪:僕も知らなかったんですよ。NHKスペシャルか何かで一度、風の電話について放映されて、かなり反響があったようなんです。この映画の企画プロデュースの泉英次が、それを観てぜひ映画にしたいという事でプロジェクトがスタートし、いろんな経緯があって僕のところに「監督をやらないか」という話が来ました。最初はこれをどういうふうに映画にできるのか、難しいなと思いました。

鈴木:即答できないな、と。

諏訪:いや、割と即答でした(笑)。難しいけど何かやってみよう、とは思ったんですよね。

鈴木:脚本が今回は狗飼恭子さんですよね。すでにプロデューサーの方と一緒に作業は進められている状態だったんですか?

諏訪:ええ。僕が入った時は、最初のプロットはあがっていました。熊本に暮らしている女の子が、熊本の震災でお父さんを亡くして、それで「風の電話」の事を知って岩手まで旅をしていく、というプロットでしたね。そこに僕が入って自由に変えていいという事だったので、それなら何かできるんじゃないかという事で参加したわけなんです。「大きなフレーム以外は、どうやってもいいですよ」という事だったので。それで、ちょっとプロットを直しました。

僕は、岩手に「行く」話じゃなくて、岩手に「帰る」話にしました。つまり、岩手に生まれた子が、自分の故郷に帰るっていう旅に変更したんです。それに九州から岩手というのは物理的にかなり遠いし、撮影も大変っていうのがあって、もうちょっと近くならないかというのを考えていました。前年の2018年に西日本の豪雨災害がありました。日本って次から次へと災害が起きる国だという印象が強かった時期だったんでね。だから別に九州じゃなくていろんな所にそういう事が起きうるわけで。そういうことで、岡山、広島をロケハンしていく中で、呉という場所が浮かび上がってきました。

呉を起点にしてだんだん概要ができていって、そのプロットを元に、狗飼さんが準備稿というのを書いて下さったんです。それには全部セリフも書いてありました。でもそれは一応完成台本の形式で書いてもらうけど、現場ではたぶん使わないですと。

鈴木:(笑)

諏訪:そういう前提で、書いてもらっているんですよ(笑)。脚本の方にとっては大変失礼な話なのですが、狗飼さんは「それで大丈夫です」って。今回もベルリンで賞を頂いた時に私たちは帰国していたので、狗飼さんに壇上に上がってもらったりして(第70回ベルリン国際映画祭 ジェネレーション部門 国際審査員特別賞を受賞)。本当に頭が下がります。

鈴木:ではその台本というのは、現場にはなかった?

諏訪:ないです。誰も見てない。あ、見てはいますね。キャスティングの段階では一応準備稿として渡されていて、モトーラ世理奈さん(ハル役)も読んでいました。ただ、彼女にとっては、最も苦手な物語なんですよ。つまり、彼女は子供の頃から、家族が別れるとか、家族が死んじゃう話っていうのは、絵本でも悲しくてだめなんですね。だから、読んでて途中で悲しすぎて、読めなかったらしいです。それで、オーディションも行きたくないと言って。

鈴木:ええっ、じゃあ出たくないということじゃないですか(笑)

諏訪:そうです。とんでもない、っていう感じだったらしいです(笑)。後で聞きましたけど。仕方なく来たらしいんですよ、最初は。

鈴木:モトーラさんを起用することになったいきさつを聞かせて頂いてもいいですか?

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諏訪:普通にオーディションだったんですよ。僕にとっては20年近くぶりの日本映画なので、本当に日本の俳優さんの事がわからないんですよ。スタッフが呆れてました。「諏訪さん、この人知らないんですか?」みたいな(笑)。だからオーディションで来られた方の中には、おそらく有名な方もいたと思うんですけど、モトーラの資料を見た時に、どっかで僕、ポスターか何かで彼女の顔を見ていたんですよ。その印象がすごく残っていて。一度見たら忘れない顔じゃないですか。

鈴木:僕も『少女邂逅』のポスターでのモトーラさんの顔はよくお見かけしていたんですけど、残念ながら映画はまだ観れてないんです。だから、動いているモトーラさんを拝見したのは『風の電話』が初めてでした。

諏訪:そうですか。でも『風の電話』のモトーラは止まっているシーンも多いですけどね(笑)

鈴木:たしかに、走ったりはあまりされてないですね。

諏訪:だから、印象には残っていて。「ああ、あの子だな」というのを資料で見た時に思って、その時にもう直感的に「この子だ」と思いました。会う前に。

彼女は嫌々オーディションに来ているわけですけど、後で聞いたら「諏訪さんもなんか怖そうだし、全然笑わないし」とかいう感じで(笑)。でも、僕はもう本当にほぼ決まっていたんですよね。その時に、一応完成台本の抜粋を渡して演じてもらう、みたいな通常のオーディションはやったんですけど。彼女、それもうまくできなかったと言っていました。悲しくて。でも2回目のオーディションに呼んだ時に、彼女は「もう一回呼んでもらえた」というのでやる気が少し出たみたいです。その時は即興のテストだったんですね。即興にどのくらい順応できるかっていうことを確かめたくて。そしたら、彼女はそれがすごく自分に合っていたわけなんですよ。

鈴木:なるほど、やり方が。

諏訪:即興は初めてだったらしいんですが、その場で感じて演じる、というのが自分にすごくあっているということに気が付いて。

本当に面白い子なんですよね。オーディションだから質問したりするじゃないですか。「どうですか?」みたいな感じで。聞くと、「・・・・・・」って考え込んで、3分くらい経過するんですよ。

鈴木:すごいですね。

諏訪:撮影中に取材があった時なんかは、記者の質問に1時間で3問しか答えられなかった(笑)。すごいなと思って。でもその間こっちが退屈しないんですよ。

鈴木:もっとすごいですね。でもそれは、映画を観るとよくわかります。

諏訪:見ていられるんですよ。じいっと見ていたくなるんですよ。

鈴木:『風の電話』を観た時に、まず第一にそういう彼女の時間の映画になっているなと感じました。

諏訪:西島秀俊くん(森尾役)なんかは、狗飼さんの台本をすごく気に入ってて「諏訪さん、今度は台本あるんですね」なんて話してたらしいんですけど(笑)

鈴木:一応説明しますと、西島さんは諏訪さんの最初の劇場公開映画の『2/デュオ』で同棲カップルの男の人で、売れない俳優の役を演じておられます。『2/デュオ』も、台本が存在しないんですか?

諏訪:その時も、結果的には全く台本無しでした。直前で全部捨ててしまって。だから、今回と同じですね。もう20年おんなじことやってるみたいなところがあるんですけど(笑)。で、西島くんが「また台本ないんすか」って(笑)

鈴木:「今回は台本あるんですね」って来たのに。

諏訪:「あの台本好きだったのになあ。僕はね、どっちかっていうと本当は台本ある派なんですよ」とか言って(笑)

だけど、モトーラがそういう子だから、西島くんも現場でわかったって言ってました。「この子は台本がないほうがいい」って。西島くんは「この子の演技には嘘がない」って言ってましたね。全部本当なんですよ。彼女の中ではね。

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鈴木:モトーラさんの芝居にはっとした場面のひとつに、モトーラさんと池津祥子さん(役どころ?)とのキッチンの場面で「すいません、今、野菜落としちゃいました」って、ふと彼女が言う瞬間があって。ちょっと待って、そんなセリフ聞いたことない(笑)。本当に久々にスクリーンで映画の風が吹いてきたなと感じました。僕は映画を作る時にそういう事を撮りたいなって、ずうっとこじらせてる一人なんです。

あと、あの中華料理屋さんの場面のカトウシンスケくん。

諏訪:いいですよね。「え、写メ撮る?」っていうやつですよね。

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鈴木:そう。山本未來さんとカトウくんは姉弟の設定なのに、「え、写真撮っちゃう人?」とか言って。あれはなんだか想定されていた人物間の設定が壊れかける瞬間ですよね。あのモトーラさんの「すいません、今、野菜落としちゃいました」っていうこの重大さと、そしてそれを瞬時に受けた池津さんがね。

諏訪:「ああ、いいのいいの。足でチチャッと」ってね(笑)

鈴木:その時、僕はつい泣いちゃうんですよ。映画を観ていて良かったって。

諏訪:そういう瞬間を観ているときは、僕も感動してますよ。すごいなって。カトウシンスケさんと山本未來さんは、ほとんど初共演なんですよ。山本さんはご自身も割と高齢で出産されているので、自分の体験を事前に全部書いて下さって。自分の思いみたいな、妊娠した時の気持ちとか、感じたことを、書いて送ってくれました。

鈴木:山本さんの役はそのまま、設定としてはあったわけですか?

諏訪:ないです。あの役は最後まで設定が決まらなくて。あのシーンは、何かこう明るくて、この映画の中ではある意味で「太陽」の役を演じられるような人に登場してもらいたいというのがあって二転三転していたんです。最初はデコトラの運ちゃんというアイデアもあったんですけど「いや、デコトラちょっとお金かかるんで」みたいな(笑)。製作費的にちょっと難しいということで却下になりました。それで狗飼さんのアイデアで、この映画はずっと死が張り付いているので、どこかで生命を感じた方が良いんじゃない?という事で、子連れとか、妊婦とか、そういう設定があって、それで、ギリギリで決まったんですよ。このシーンは本当に何も書いてなくて、カトウさんのところに届いた台本には、シーンの柱だけ書いてあって。「シーン:レストラン」、「内容:未定」って書いてあったと思うんです。

鈴木:むちゃくちゃですね(笑)

諏訪:「こんな台本もらったの初めてです」なんて言ってましたけど(笑)

鈴木:あの場面で言えば、キエモノ(食べ物の小道具のこと)も、チャーハンとライスが一緒にテーブルに同居していたりして、そこから可笑しいんですけど。

諏訪:美術部が事前に現地のレストランで作れるメニューを全部用意して「ここから注文してください」と伝えていました。カトウさんとか俳優部が一応そのメニューから注文したんですけどこんなに食べないでしょって。

鈴木:そこももうおかしいし。あと、僕はカトウくんがあんなヒゲの生え方する人だと思ってなくて。

諏訪:実は僕がカトウさんと一緒に出演した映画っていうのがあるんですよ。もうすぐ完成かな? アルチュール・アラリ監督の新作『小野田、ジャングルの一万夜(仮)』という映画で、カトウさんは小野田寛郎さんの部下役でカンボジアのジャングルにずっといたわけですよ。それであんなヒゲになっちゃったわけです。

鈴木:あ、そうだったんですね。じゃあ、カトウさんとはそのとき知り合ったんですか?

諏訪:いや、カトウさんは『2/デュオ』の頃から知っていて。彼は『2/デュオ』をすごく気に入ってくれてて、彼の劇団に招かれて一緒に話したりとか、そういう経緯があったんですね。それで、今言ったみたいに、このシーンはずっと決まらず土壇場でバッと決まって、山本未來さんと「そうだ! カトウさんがいる」と思って、それで電話して、「カトウさん、ヒゲそのままで」っていう(笑)。それだけおさえて。

鈴木:あの人が『ケンとカズ』のカトウシンスケと言ってどれだけの人がわかるんだろうか。

諏訪:ああ、そうか、わかんないですかね。

鈴木:彼もまた山本政志監督がやっているシネマインパクト1期の大森立嗣監督クラスに参加してたんです。僕は授業が終わっていた期間なんですけど、たまたま作業しに行った時に知り合いました。すごく良かったですね『風の電話』の彼は。

諏訪:カトウさんのおかげで、山本さんが本当に太陽になってくれたなというか、ああいう、すごく明るい雰囲気を出してくれて良かったなと思いますね。僕の中では、三浦友和さんが演じる役(公平役)が「月」というか「三日月」みたいな感じで、自分も欠けているけど、かろうじてハルを照らせるっていうか。山本さんは、ガーッと彼女を照らしてしまう、という存在になればいいなと思っていたので。

鈴木:あそこらへんから、映画が日差しを感じるというか、陽の部分が出てくるというか感じがします。笑って観ていっていいのか、っていう気持ちにもさせられる。その前までは、渡辺真起子さん演じる叔母さん広子さんのカットから死の話しかしていないじゃないですか、犬もちょっと、とか、ケガした、転んじゃった、みたいな。

諏訪:あのへんはもう適当なんですけどね。真起子さんが毎回違うこと言って。

鈴木:即興で、ということですか。そういう意味では出演者の皆さんが、全然違う芝居のやり方をやっているのが良くわかるんですよ。

諏訪:そうですね。特に、俳優目線でみるとね。

鈴木:そういう意味では台本が無い中で「演じるってなんだ」という事を突き付けてるようなものですよね。僕の映画もよく言われますけど。

諏訪:うーん。

鈴木:あ、でも今「そうじゃねえんだけどな」みたいな顔されてますけど(笑)

諏訪:いやいや。みんな違っていたのかな。なんか三浦さんなんかは、やっぱりこの映画で自分がどういう風にアプローチすれば良いのかっていうのを彼なりにもうわかってやってましたね。『M/OTHER』で最初にやった時は、本当に「どうしたらいいんだ」っていう葛藤の中で始まったんですけど、今回はもう、三浦さんはやるべきことがわかって、非常に安定していて。

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だからシーンによって違いますよね、水準が。シーンの出来方も違うし、俳優のアプローチも違っていて。西島くんが一番辛かったのは、クルド人と一緒に出るっていうシーン。

鈴木:ああ、あそこはほぼドキュメンタリーみたいな。

諏訪:ドキュメンタリーなんですよ。だから、僕も事前にあまり準備する時間もなくて、クルドの人たちにとにかく集まってもらって、一緒に食事しましょう、っていう感じで。そこにフィクションの人間を二人放り込むことになるから、他にも誰かが必要だなと思って、それで三宅唱さんが、パッと思い浮かんだ。

鈴木:やっぱり思いつきがすべてなんですね。

諏訪:西島・モトーラとクルドの人たちだけでは、このシーンは成立しないだろうという気がしていて、これを何かでつないであげないと、という時に、思い浮かんだのが映画監督という存在でした。それで直感的に三宅唱さんのことが頭に浮かんだんです。電話したら「諏訪さん僕のこと知ってますか?」って言われて(笑)。いや、よくは知らないけど。

鈴木:よく知らないって(笑)。会ったことはあったんですか?

諏訪:会ったことはありますよ。けど「そんなによく知らないけど、いいじゃないですか」とか言って(笑)。「じゃあ、わかりました」ということで、一回取材にも付き合ってくれて。

鈴木:すごい。

諏訪:で、当日もあまり映ってないんですけど、彼の活躍ってすごくて。あの場を本当に作っちゃうんですよね。映ってない男の子も2人くらいいるんですけど、そういう子たちにアゴで使われてるんですよ。「あれ取って」とか。三宅さんはアキラっていう役名なんですが「アキラ、そこ、邪魔」とかそういうふうな親密な関係を作っちゃってるんですよね。だから、それはすごく助かりました。

鈴木:普段と同じ格好して出てきますよね。衣装も自前ですよね。

諏訪:妙に馴染んでる。

でも、西島くんは、いま鈴木さんもおっしゃったように、演じるって何なんだということをすごく重く受け止めてたと思いますね。一方モトーラは平気なんで、普通にやってるんですよ。そのことに多分西島くんは驚いたと思うんですよ。その時に「あ、モトーラの演技って嘘がないんだな」と分かったんだと思うんです。でも俳優って常に嘘をついてるっていう自覚もあるわけじゃないですか。

鈴木:こっちで何か考えて返事をする、次のセリフ、自分の番の時に相手が喋った後あんまり間を開けちゃいけないなとか、でもすぐ答えたら嘘になるからとか、やっぱりそういう計算装置があって、意識しちゃってるわけですよね。そういうことに縛られてるのが俳優ですから。

モトーラさんに話を戻すと、返事がいつ返すかがスリリングな映画だなあというか。でもその間、後ろ姿であっても、彼女が何かを考えてたりとか、何かを感じ取ってたりするっていうのが想像できるんですよね。

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諏訪:そうですね。

鈴木:つまり、嘘がないっていうのは、言い方を変えていいんだったら、お客さんが想像できる何かを、常に体から出してるというか。だから僕にとっては止まってるようではなくて、常に動いてる感じがしていて。

それともう一つはこの映画って、全然停滞していなくて物凄いスピードで展開していってる。つまり物凄いスピードで(モトーラさん演じる)ハルが成長していってるように見えたんですよね。だから長い時間ずっと時間が止まってたのに、叔母が倒れちゃうことによって、堰を切ったように溢れてくっていうか。それがすごくスリリングな映画になってるような気がして。日本の映画で最近「この人を見ていればいいんだ」っていう映画って、久々だなあと思ったんですよ。

諏訪:ああ、そうですかね。

鈴木:うん。寅さんみたいな感じ。

諏訪:あ、寅さん。そうかもしれないですね。

鈴木:寅さんさえ見てりゃいいんだよっていう。

諏訪:僕も最初のオーディションでそう思ったんですね。この人さえ撮ってりゃいいと。だけど、カメラは後ろに回らざるをえないというか。彼女の後ろから撮るしかないっていうポジションにやっぱりなってしまうので。

鈴木:そうですよね。彼女が見ていく世界だから。

諏訪:でもなんかそれでいけるなっていうことはやっぱり思ったわけですね。最初に『2/デュオ』を撮った時には、カメラは西島くんの背中に入っていってるんですよ。その時は、彼はやっぱりそういう存在で。後ろから見てても彼が何を感じてるか、どんな顔してるかを、僕たちは想像してしまうっていうか、意識してしまう。後ろから撮れる人なんだよね。だからその、モトーラもどこから撮っても多分成立するんじゃないかなっていう。

鈴木:それがすごいですよね。もうその人が見つかった時点でこの映画はある意味で決まってしまったというか。

諏訪:うん。なんか立ち方もいいんですよね。なんか猫背で。モデルには見えないですよね(笑)

鈴木:広がった画面の中での歩く姿ひとつとっても、モトーラさんだと分かる運動が映画のリズムを刻んでいるので、そこもとても魅力的ですね。まだ、これからどうなっていくか分からない方だと思うんですけど。

諏訪:そうですね。

鈴木:逆に言えば、諏訪さんのような人が撮る映画に出てしまうっていうのは、果たして幸福なのか不幸なのか。西島さんは多くの多様な映画で活躍している今、「僕、実は台本ある派なんですよね」って考えたりされてもいるし。

諏訪:どうなるんでしょうね。モトーラはやっぱり、アーティストだから。多分俳優だけをやるわけじゃないんじゃないかな。もともとはすごく演技をやりたかった人らしいんですよ。でも、ずっとオーディションに落ち続けてたらしい。このあいだも落ちたって言ってましたけど。それが不思議でね。彼女が何でオーディション落ちるんだろうと思って。撮りたくならないのかなあと思って。

鈴木:ええ。俳優に求められてる価値観が場によってさまざまだったりするし、俳優という職業を続けて行くと、何でも対応できるようになっていくべきだって俳優としては考えちゃったりする事もあると思うんです。

諏訪:俳優同士だからわかることっていうのがやっぱりあるんだなと思ったんですけどね。今回は、西田敏行さん(今田役)を含め、共演者のみんながハルに注目してんですよ。

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取材の時にも、彼女が新人だから、そうそうたる俳優さんの中で緊張してたんじゃないですか、みたいなのをすごく聞かれたんだけど、僕から見ると、彼女が一番平然としてる(笑)。で、みんなが「この子スゴイね…」みたいな感じでどよどよっとする。西田さんなんかはもう延々自分の芝居が引き出されちゃうというか。

鈴木:あぁ。

諏訪:そうなんですよ。彼女は聞いてるだけなんだけど、彼女に見られてると、本当に自分の演技を引き出されちゃうというか。「世理奈ちゃんいくつ?  21歳とは思えないね」とか言って。「その年でなんでこんな芝居が出来るんですか」みたいなことをおっしゃってたのが印象的でしたけど。

最後の風の電話のシーンが彼女にとっては一番大きかったと思いますけど、あれをああいうふうに、まったく本当に白紙で入ったんですよ。

鈴木:あ、そうなんですね。

諏訪:うん。それが出来たっていうのも彼女の度胸ですよね。

この映画は順撮りなんで、あれが最終日だったんです。あのシーンを撮ったらクランクアップ。そこも全くセリフを決めないでいこうということにしていたんですが、やっぱりプレッシャーがあるから、前の晩にホテルの部屋で一人で練習したらしいんですよ。

鈴木:練習したんですか。

諏訪:でも「やっぱこれ嘘だ」って、思っちゃったって。「こんなことを今やってもしょうがない」って。本当にその時その当日、光とか風とか匂いを感じて、相手がいる場合は相手を感じて演じるっていうのが彼女にとってすごく大きくて。だからその場に行かないとわからないんだということで「もうやめた」って。そこが彼女えらいなっていうか、いいとこだなって。徹底してるっていうか。

で、現場に初めて行ったんですよ。僕たちは何度か下見に行ってるんですけど、モトーラは行かないんですよ。現場に入っても撮影前には一回も電話ボックスに近寄らないし、入らない。本番で「よーい、スタート」で初めて入る。そういうところに自分を持ってって。その時に自分が何を言うかは考えていないっていう状態でやったんですよね。

それで恐れもあったと思うけど「それでいくんだ」っていうふうに徹底してたのがやっぱりすごいなと思いますけどね。

鈴木:あれはワンチャンスしかなかったんですか?

諏訪:2回撮りましたね。

鈴木:あ、2回撮ったんですか。

諏訪:1回撮ったんですよ。で、このシーンのOK、NGは僕が決定しないほうがいいと思ったんですよね。だからカットかかって、モトーラのところに行って「どうだった?」って聞いたら、自分でも「これは嘘だ」と思ったらしくて。一応最後まで行ったけど、「駄目だ」って言ったから、じゃあもう1回やろうってことで。今使ってるのは2回目。終わってまたすぐモトーラのところに行って、どうだった?って言ったら「出来たと思います」って。「じゃあオッケーだね」ってクランクアップしました。

鈴木:クランクアップならではの空気が伝わってくる気がします。

諏訪:僕らは本当はドキドキしてたんですけど。これで本当にいいのかなって。ワンカットしか撮ってないんだけどなぁって。

鈴木:その時の監督側からすると、ついやっぱり保険を張りたくなっちゃったりしますよね。保険を張るというのはカットを割るというか。

諏訪:ありますよね。でも僕はもともとそれをやらないんですよ。あとで自分が編集の時に困ればいいわけじゃないですか。だから現場では必要なものだけ撮れればいい。つまり編集のために現場があるっていう状態にしたくないんですよ。だから「このカットなんでいるの?」と。編集の時にいるかもしれないから撮る、っていう行為がとっても嫌で。だから編集のとき困ってるんですよ、いつも。

鈴木:切りようがないですよね。

諏訪:そうなんです。ラスト10分ありますからね。でも、モトーラは「本当はもっと話していたかった」って言ってましたから。もしあれが15分になってたら、どうなったんでしょう…(笑)

鈴木:それを知りたいがために、リハーサルしちゃったりとか。撮影だって照明だって、録音だって、一回そこに立った姿を確認したい気持ちはあると思います。

諏訪:まあ、そうですね。だからカメラマンも偉かったですよね。「モトーラ1回ちょっと入って」って、誰も言わなかった。それがすごいと思う。

鈴木:ひょっとして諏訪組って一度もバミったことがない。

諏訪:それ(バミったこと)はないです。バミりって分かりますか。立ち位置をTの字にテープ貼って目印にするんですよ。学生の頃読んだ伊丹万作のエッセイにも書いてありましたよ。「バミるな。そういうことで決めるな」と。「動きをテープで決めたりするんじゃない」って、書いてありましたよ。

鈴木:さすが、伊丹万作ですね(笑)。やっぱりすごいなあ。いいこと聞きました。

諏訪:僕も助監督やってて、それが嫌で。最初に『2/デュオ』撮った時に、西島秀俊と柳愛里さん二人の朝の場面、西島が起きて、柳さんが出勤前で行ったり来たりしてる、みたいなシーンがあったんです。全く初めての即興なんでどう動くかも分からない。何を言い出すかも分からないみたいなところで撮ってて。柳さんが行ったり来たりしながら、パッて座って話するんだけど、座る位置がもうカメラから見えなくなってるんですよ。隠れちゃって。でまた立ち上がって、今度は西島くんの前に座って、かぶっちゃって見えてないわけですよ。これが普通の劇映画だと、修正されちゃうわけですよね。「すいません、柳さんはそこかぶっちゃうんで、もうちょっとこっち行って」って。助監督が入ってピッとテープ貼って、そこに座る。みたいなことをやるわけですけど。あれを撮影監督のたむらまさきさんに「どうですか?」って聞いたら、「うん。OK」って言うんですよ。もう、キッパリと。それで多分スタッフは分かったんですよね。「これを修正するべきではない/なぜ見えなければならないのだ/いいではないか」っていうことを、パンとみんな受け取ったわけですよ。そういう選択を『2/デュオ』のときに直観的に知ってしまったんですよね。それはなんかすごく大きいことだったなと思いますけどね。撮り方として。

鈴木:たむらさんは僕、2本一緒にやってますけど(『私は猫ストーカー』『ゲゲゲの女房』)、やっぱりみんながスタンドインしようとするとか、助監督があらかじめ俳優さんの立ち位置を決めて、そこに立とうとすると本当に嫌がって、怒ってましたから。

諏訪:『2/デュオ』の時も一回怒ったのは、一回だけ助監督の人が、誰かを撮ってるときに目線を作ったんですよ。

鈴木:よく「カメラのこっち側を見てほしい」って時にやるやつですよね。

諏訪:「俳優さんはここを見てください」みたいな感じで、「もうちょっとこっち」みたいな感じでやるんですよね。そのときは烈火の如く怒ってましたね。「そういう映画じゃないんだ!」とか言って(笑)

鈴木:そういう映画じゃない(笑)

諏訪:でも僕はハリウッドでもこれはやらないと思いますよ。

鈴木:やらないですかね。

諏訪:日本の古いスタジオの時の習慣なんじゃないですかね。例えば、僕は『パリ・ジュテーム』でジュリエット・ビノシュとウィレム・デフォーの切り返しを撮ったんですけど、映ってない時でも必ず俳優がそこにいましたよね。いないと相手の演技に作用するっていうふうに考えるのか、いなくても同じだっていうふうに考えるのか。これはすごく大きな違いだと思います。

鈴木:ですよね。例えば、ロベール・ブレッソンはいさせたのかいさせなかったのか、とか。

諏訪:それについては知りませんけど、ブレッソンが面白いなと思うのは、あの人は何がオッケーか分からない。現場では分からないんですよ。

鈴木:おお。

諏訪:らしいですよ。でも何度もやって、最終的に映画が出来たときに何か神が下りるっていう瞬間を求めるわけだけど。現場ではだからブレッソンは全部コントロールして、デザインして、やってるように見えるけど、彼自身は何がオッケーか本当はよく分かってない、っていうふうに聞きましたけどね。

鈴木:ブレッソンの『シネマトグラフ覚書』という本があって。それを読んでいても、完全主義の映画監督がこんなこと言わないなっていうものがありますよね。即興に身を委ねよとか、偶然をなんとかしろとか。一瞬しか撮れないものに対する意識の強さっていうのはあったんだろうなと思いますね。

諏訪:だからデザインじゃないんですよね。俳優をここに立たせてこういう画面が撮れればいいっていう、そういう人じゃないんですよね。やっぱり精神なんですよね、あの人が撮ろうとしたのは。本当に神が降りるっていうのを求めてたんだと思うんですよ。

鈴木:となるとやっぱり台本みたいなものがあったとしてもそれは設計図ではないってことになりますよね。

諏訪:あのバラバラになっているかのような映像っていうのは、多分、設計図通りに組み上げれば一つの映画になるんだという確信においてやられてるのではない、だから、ブレッソンの場合はバラバラになってるんだという。

鈴木:なるほど。

諏訪:結局隙間があるわけですね。やっぱり隙間がないと、神も降りてこないと思いますね。卓爾さんの映画もそういうところあると思います。世界が閉じられてなくて、スペースだらけというか、スペースがあって、それは決して一つの世界の中に閉じられていなくて。外に向かって穴が開いてるというか。そういう映画だなと思うんですね。

鈴木:僕はやっぱり40過ぎて『私は猫ストーカー』でたむらさんに会ってからが大きいんですよね。それに気づいたというか。それとずっと自分が学生時代に撮ってた8㎜映画の即興性とか、そういうものが劇映画だけど違うものではないんだっていうことに気づかされたのもすごく大きい。だから今きっちりとした映画を作ろうとすると息苦しくてしょうがないと思うようになりましたね。

諏訪:僕も自分がやってきたことを振り返ってみると、映画を作ってるっていうよりは、ずっとワークショップをやってきたのかなっていう。

鈴木:ああ、はい。

諏訪:ずっと僕には映画を作ったっていう実感がなくて。本当の映画を自分は作ってはいないんじゃないかっていう気持ちはいまだにあります。結果として作品は出来るけれども、共同作業しながら、そこで何が考えられるのかっていうワークショップをやったレポートが一応作品として出来上がってるという感覚です。

今回も『風の電話』って何やってるのかなを考えた時に、旅をしてるんだなと。最後に電話にたどり着いたときに、彼女が、自分でリアルタイムに演じながらある言葉が紡げるってのは、多分その以前の撮影があったからなんですよ。

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鈴木:そうですよね。

諏訪:そのために多分やってきたことで。だからそういう意味でのワークショップというか。あの人に会ったなあ、この人に会ったなあ、っていうことを記憶としてハルが思い出すことが出来るように、その前のシーンがあるんだろうなと思ってますけどね。

鈴木:「お前が死んだら、誰が家族のことを思い出すのか」みたいなことを西島さんが言ってあげてたりしますよね。いろんな人たちのリレーというか。彼女に何かを手渡してく。

諏訪:そう、だから終わると毎回寂しいんですよ。すごく親密な時間が流れているのに、みんな1日とか2日の撮影で「お疲れ様」って帰っていくんで。モトーラも僕も寂しくて。

だから、旅ってそうやって別れていくことを繰り返していくんだなあって。で、最後に、彼女は家族と別れるということを受け入れるってことが出来たんだろうなあと思うわけで。それは小さな寂しさを繰り返していく中でね。でも俳優の方も別れるときにハルを放っておけないわけですよ。だからカトウさんも「やっぱり僕だったら現金渡しちゃいますね」みたいなことを言って、ハルに5,000円と名刺を渡すんです。「ちゃんと連絡しろよ」ってね。

鈴木:みんな大人ですね。

諏訪:ちゃんとした大人を描くって大切な気がしますね。西島くんは気前がいいんで、2、3万渡してましたけど。

鈴木:「返さなくていいんだ」って言ったり。

諏訪:「いつか返します」「いいから」とかね。

でも最後に森尾(西島)が別れるときになんて言うんだろうねっていうのを西島くんと話してて。「いやぁ、なんか思いつかないね」とか言ってて。シナリオだったら、もうちょっと気の利いた言葉を書くと思うんですけど。思いつかないんですよね。だから「まあ、大丈夫」って。それを2回言うのがいいよねって。

鈴木:2回目がいいですよね。

諏訪:ですよね(笑)

鈴木:あのときに西島さんの顔はガラス越しなので、向こう側なんですよね。それがまたなんかよくて。遠くに行く感じというか、もう離れて生き始めて行く感じがして。隔たってる感じをそのまま見せるというか。決して一緒ではないっていう。

諏訪:そうですね。その距離感がね。あの二人はね、ずっと距離感を保ってますよね。

鈴木:まあ下手したらもっと親密になってしまうかもしれないじゃないですか。別に制約がないのだから。だけれどもそこを律してるというか。いや単純にそれは人と人として、っていうことだと思うんですけども。こういう映画ってありそうであまりないんじゃないかなと思います。現在、日本全国いたるところでいろんな災害が起きたりするということは以前はあまり思っていなかったですよね。過去には大きな戦争がありました。人の関わり方そのものとか、いわゆる映画で描くべきドラマみたいなことがもしあるのだとしたら、『風の電話』みたいな形のものってとても素直で素朴なものなんですけども、この素直さには、かつての映画では描き得なかった新鮮さがあるようにも思いました。ごく素直で素朴な物語にたどり着くという事って、大きな実際に起きた事を題材に映画を考えようとする時に、難しいものだなあって思うので。

諏訪:そう言われてみると、ドラマになりそうな要素ってないんですよね。人と出会って、なにか悪いことが起きたり、ある距離を超えていったりとか、その事によって傷ついたり傷つけられたりっていうのが。葛藤がドラマになるっていうのが割と近代的な考え方で、そういうものを仕組んでくっていうのがドラマツルギーだったりする。そういうものがないんですよね。

鈴木:ジャン=ピエール・レオーさんの出られた諏訪監督の前作『ライオンは今夜死ぬ』もそんなところがあって、葛藤というものがまったくない映画だなって思ったんですけども。

諏訪:あの映画には、劇的な快楽というか、ドラマチックなものっていうのがないんですけど、特に今回のハルなんか、みんなちゃんと大人として彼女に接してあげるので葛藤がないわけですね。これまでの僕の映画は葛藤だらけっていうか、喧嘩してばっか。だけど『風の電話』は誰も喧嘩しない。どこに葛藤があるのかなって思ったら、唯一ハルの過去の記憶との葛藤しかないですよね。

鈴木:自身の抱えてるものですよね。

諏訪:だからフラットで抑揚がない構成だとは思うんですよね。でも今回はそうしたいと思ったのかな。狗飼さんと話したのは「誰も傷つけたくない」ということ。このドラマの中で誰かを傷つけるっていうような展開にはならないようにならないように、っていう意識はどこかにあったような気がするんですよね。

鈴木:あ、ひとつだけハルがヤンチャな男の子たちに絡まれるというシーンがありましたね。西島さんと出会うきっかけになったところ。

諏訪:ああいうことはあんまり描きたくなかったですけど、ただやっぱり、太陽と月があるので一回パッションというか受難がなければいけないっていうか。そういう構造は多分どっかにあったんだろうなと思いますけど、まあ最低限ですよね。でも触覚的に彼女は世界を感知しているわけです。だから、ああいうシーンも必要だとは思ってるんですよね。

鈴木:最初のあのカットで、男の子が彼女の持ち物をガッと掴みますよね。ハッとする瞬間でした。この映画の中で初めてそんな事が起きたからかと思いつつ。一方で、映画の最初のほうで、ハルが船に乗るときには船頭のおじさんが手を取ってあげてたりとか。別のハッとする気持ちになる瞬間もありました。その2つのしぐさの間が、対になって記憶に残りました。

諏訪:あれはね、頼みました。彼女は、子供の頃から海が怖いという設定なのでこの子だけはちょっとお願いしますと船頭さんに言って。そうしないとモトーラがいつまで経っても乗ろうとしないっていうこともあるんですけど(笑)。それってもうモトーラがハルとして生きてるってことですよね。ある意味で成長が止まっているというか。だから接触するっていうのが結構大事なテーマだったんですよね。

鈴木:さてそろそろ時間になってしまったようなので、今回はこのあたりで終了とさせていただきます。長時間ありがとうございました。

諏訪:こちらこそ、ありがとうございました。

(了)


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『風の電話』
2020年/日本/139分
配給:ブロードメディア・スタジオ

出演:モトーラ世理奈、西島秀俊、西田敏行、三浦友和、渡辺真起子、山本未來、占部房子、池津祥子、石橋けい、篠原篤、別府康子

監督:諏訪敦彦
脚本:狗飼恭子、諏訪敦彦
企画・プロデュース:泉英次 
プロデューサー:宮崎大、長澤佳也
撮影:灰原隆裕 照明:舟橋正生 録音・整音:山本タカアキ
美術:林チナ スタイリスト:宮本茉莉 ヘアメイク:寺沢ルミ
編集:佐藤崇 助監督:是安祐
音楽:世武裕子
編集:田中誠一(出町座)
文字起こし:
映画チア部京都支部(井上そのこ、藤原萌、前田万里奈、松澤宏道)
協力:諏訪敦彦、鈴木卓爾、青木基晃
発行:出町座
コピーライト
© 2020 映画「風の電話」製作委員会

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