つくる楽園
幸福とはなんなのか。
遠い昔から先人たちが考え続けてきた定番のお題について、哲学者だけではなく、日々を暮らす多くの人が考えるべき時代に入ってきている。
世界はGDP(Gross Domestic Product:国内総生産)という経済指標の一本足から、GDW(Gross Domestic Well-being:国内総充実)という幸福度をはかる新たな軸で評価されはじめている。
耳タコになっているWell-being。すでにここまででも「充実」「幸福」など、多義語化しているワード。訳し方の正確性は別の議論に預けるとして、考えておきたいのが幸福の観点。
誰から観て幸福なのか。
つまり客観的に幸福なのか、主観的に幸福なのか。
人に会わず、ワンルームでスナックとコーラを数十年あおり続け、それなりに体もこわしながら、その毎日をエンジョイしている独身高齢者は幸福なのか?
それは主観によるところが大きいし、それを幸せと感じててもおかしくない。その人がGDWのアンケート調査に参加して、幸せに一票を投じれば、GDWは加点される。
ただ僕自信の主観でとらえると「そういう日も欲しいけど、そうじゃない日も欲しい」というのが直感での感想で、突き詰めていくと「変化してたい」という気持ちが自分の幸福に大きく影響する主観なんだと気づく。
積み上がったツミ木を見ると崩したくなる方で、うまくいってることがあっても、また別の可能性を探りたくなってしまうのが性分。これに客観の良し悪しを当てはめるよりも、受け入れて気楽にやっていきたいもんだ。(変化には常に熱量がかかるし、気楽になんか取り組めないけど、それを求めちゃっているところもある)
そんな自分が、唯一長く続けてこられてるのが経営で。Konelは今年で15年、知財図鑑は6年目に入る。創業メンバーは家族よりも長く過ごしていることになる。
なんでそんなにも続けてこられたのか。
つくる、表現するという行為自体が変化の渦中に居続けないと、いいものができないからだと思う。
僕たちは無いものねだりのクリエイターがあつまったチームで、常に新しい異色の仲間をもとめて、やったことない領域で仕事を続けてきている。同じカテゴリのものを何度もつくるのが苦手で、新しいものを新しい手法でつくることにスタイルを持ってるから、横展開による効率化が下手くそだともいえるし、いつまでたってもプロジェクトの立ち上げと推進には時間がかかる。
逆に、未経験のことにチャレンジして着地する能力は上がり続けてるし、これはとても楽しい。(人工筋肉の大量制御など、別のプロジェクトではすぐに役に立たない特異すぎるスキルも数おおく含まれる…)
ところで、何かをつくったり、工夫することは動物界の中でも人間固有の能力だとよく言われる。石器時代には道具を生み出さないと、人間よりも強いマンモスから身を守って狩ることもできないし、住居をつくらないと激しい天候に耐えられないし、農耕のスキルを上げていかないと人口を増やしていけなかった。言い換えれば、つくることは生きることに直結する行為だし、工夫を伝えることは人類全体の生存確率を上げることにそのままつながる。
あらためて、こんなにも飽き性な自分たちが、わざわざ一つ屋根の下に集まって、妄想と具現を繰り返し続けるのはとても原始的な欲望に根ざしていたんだと気付かされる。
知財図鑑が叡智をハントし、妄想し世界に伝えて共感者をつのり、Konelが横断的なプロジェクトを紡いで未来を具現していく。これが本当にクセになる、やめられない営み。
ところでところで。
世の中には、意思を持った個人やチームや企業が溢れていて、そこには明文化されたビジョンが設定されていることがほとんどだ。
僕たちも、世界を変えていく素晴らしい事業主と、つよいビジョンを考えてきた。納めた言葉は、いまでも力強く気に入ってつかってもらってる。
でも実は、Konelには明文化されたビジョンがない。きっとこれからもつくらない気がする。
それはビジョンの力を信じてないってことじゃなくて、飽き性の世界代表として、特定の座標に最短距離で向かうのではなく、蛇行して寄り道をしながら、異分野の発見を採取して、あれやこれや実験しまくることに全ふりしたいから。
だから、仲間と共有したいのは「つくる楽園」という合言葉に落ち着いてる。フルコミットのメンバーが30人に迫るなかで、仲間としてノーガードで打ち合っていくためにルールが欲しくなって、外部のインタビュアーに入ってもらい、10時間みっちりボードメンバーに話を聞いてもらって、ぽろっと出てきた言葉だった。(山田さん、ありがとう)
でも、これはビジョンなのか?と漠然とした違和感があって、あまり咀嚼せずそのままみんなに当てたのが2023年の秋。でも、その言葉もたらすイメージはどんな感じなのか、やっぱり咀嚼してみんなで対話したくて「つくる楽園」っていう絵と、2030年に発行されるであろう年表をつくってみるというプロジェクトが生まれた。
それが、こんな感じ。
おお。つくる楽園ってこんな感じなのか。僕は「つくる楽園」という言葉をチームメンバーにバトンとしてわたしただけで、制作に関与してないから見た時に、とてもアガった。なんか色々つっこみたいこともあるけど全体として、なんかいい。
この論理的に捉えない「なんかいい」が好きで、気に入ってる。
どっちが表で裏なのかもよくわからんけど、掛け軸みたいなサイズの両面の紙。片面にはこれから5年間の航海の中で起こしたい出来事、反対面にはたどりつきたい場所のイメージが描かれていて、僕たちはこれを海図という愛称で呼んでる。なんか海賊みたいでワクワクする。そうか、ビジョンって本来テキストじゃなくてピクチャーなんだな、とも一周回って思ったりもする。
あいかわらず、僕たちに明文化されたビジョンはないけど、つくる楽園の絵は、それに匹敵する強い絆になっている気がしてる。つくるパフォーマンスを最大限にたかめて、ずっとつくってたいから楽園をつくる。手段が目的化されたチームだから、環境やプロセスにはとことんこだわっていきたい。
これならきっと、次の15年も楽しいはず。
追伸:
描いた絵にはまだ遠いけど、楽園に一歩ちかづくために東京の拠点を増床しました。日本橋地下実験場をリニューアルするので、オープンラボをやりたいと思ってます。いろんな人が出入りして、イシューとテクノロジーが入り混ざる場所にしていくので、ぜひみんな遊びにきてね。