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いいシンギュラリティを引き寄せる職業的責任と個人的欲望

レイ・カーツワイルが世界的ベストセラー『シンギュラリティは近い(The Singularity is Near)』を出版してから20年経つ。シンギュラリティ、つまりは技術的特異点を迎える頃には、人工知能が人間の知能を飛び越えるとされ、それは2045年にやってくると、同書では予想されていた。

しかし昨今のAI技術の発展は、指数関数的な高まりを見せており汎用人工知能(AGI)はここ数年で成熟してくるとの見方が強まっており、カーツワイルの続編は「The Singularity is NEARER」と表現を強めている。

これを聞いてワクワクするだろうか、それともゾクゾクするだろうか。シンギュラリティに対して明確な感情を持つ人は、まだ多数派ではないかもしれない。「期待と不安が入り混じっている」という人が多い感覚もある。

その理由として大きいのは、アフター・シンギュラリティの世界を描くような作品には、ユートピアだけでなく、多くのディストピアが表現されているからだろう。

最恐の犬型ロボット

たとえば、NETFLIXの人気作品「Black Mirror」には数多くのディストピアが詰め合わされているが、特に代表的なのが「Metalhead」だろう。

困窮する生活の中、余命わずかな子供のために、廃墟と化しているおもちゃ倉庫から古びたおもちゃを盗む母親が「最恐の犬型ロボット」に追跡され、発砲され続けるという、目を背けたくなるストーリーだ。AIによる統制や監視社会の成れの果てとしては、とても想像がしやすいからこそ、目を背けたくなるものだ。

最愛の猫型ロボット

一方で、ドラえもん。日本が生み出した愛すべき未来は、世界中から支持を受け続けているわけであるが、この映画のキービジュアルが、「いいシンギュラリティ」を迎えていることを物語っている。

映画ドラえもん のび太の地球交響楽より

伝統・生物・メカ・AI・人間・自然。そのすべてが1枚の絵の中で調和している。僕たちはKonelの中でこれを「Good Singularity」と呼んでいる。

どう考えても、最恐の犬型ロボットに追われる未来は回避し、最愛の猫型ロボットを手に入れたい。これが万人の願いだと信じてやまないが、人工知能をはじめ、バイオテクノロジーや量子技術は、地球全体を脅かしてしまうような鋭いリスクを孕んでいる。

原爆開発をリードしたオッペンハイマーのストーリーがヒットしたり、技術の発展に警鐘をならす「AIを封じ込めよ」がベストセラーとなるのは、シンギュラリティを目前としたこの時代の必然的な動向だとも感じる。技術の発展だけでなく、利用するための倫理や、枯渇する資源にも目を向ける必要があるのは、世界中で叫ばれていることだ。

そんな中、僕たちが主張したいのは「テクノロジーの文化的実装」が重要だということ。

テクノロジーの文化的実装

それを一言でつたえると「多くの人が新しい技術を気持ちよく使える」状況を生み出すということだ。

一部の人にとって有利に働く技術はより格差を生んでしまうし、恐ろしい使い方がイメージされると犯罪のリスクは高まり、技術の進歩自体にブレーキがかかってくる。

前向きな進化を止めないためにも、いい技術はより多くの人々に応援されながら発展していくのが理想だ。

ところが高度な技術ほどその内実はブラックボックスになりがちで「なんとなく不安」というラベルを貼られがちで、実態を理解されないまま誤報やフェイクニュースによって普及を阻まれることも少なくない。

たとえば「培養肉」や「ゲノム編集」は、人口爆発による食糧不足や気候変動による飢饉を乗り越えるための必須技術だと期待され、大きな研究開発投資が集まっている。ぼくはムース状のウズラの培養肉をシンガポールで食べてみたが、とても美味しかった。でも、人に培養肉をすすめても「食べたい」というリアクションは少なく「なんとなく怖いから私はわざわざ食べない」という意見が圧倒的に多い。美味しいだけでは普及しないのだ。

それがどんな技術であり、どんあ意味があり、それを食することはどんな価値観を体現することになるのか、直感的に伝わることが欠かせないし、何よりいい雰囲気を醸していくことが重要だ。やっかいなのは、しょうもない商品が逆に雰囲気がよいだけで売れてしまったりする時代だから、中身と外見が両方いい具合に伝搬していく必要がある。

これを成功させるために欠かせないのが、直感に訴えかけるクリエイティビティと、正しく伝えるメディアの存在だ。僕がKonelというクリエイティブチームと、知財図鑑というイノベーションメディアを両方同じ熱量で運営している一番の理由がこれにあたる。もちろん自社だけでGood Singularityを叶えられるほど甘くないが、いい未来のピースになる技術やサービスを一つでも多く社会に浸透させることに、強い責任を感じている。

正しいだけじゃ伝わらない、だからこそ普段からカルチャーに傾倒しているようなクリエイターこそが、行政にもアカデミアにもビジネスにも視野を広げて、いい未来のピースを表現していく責任がある。テクノロジーに専門特化するのではなく、ミュージックビデオをつくりながら、遺伝工学を紐解くようなウェブサイトもつくる。それくらいのバランスで、好奇心を張り巡らして活動していく多動なクリエイターがGood Singularityの可能性を高められる。

未来の訪れをはやめる

文化的実装を進めることで生まれるもう一つの効果が、未来の訪れがはやまるということ。科学者が試算する地球の限界に対して、そもそも対応のスピードが追いついていないことは、肌で感じる。いつ何が起こるかわからないVUCAの時代において、いつかくる未来は1日でも早く来た方がいい。テクノロジーの急進にとらわれてしまうことに疑問を投げかける人も多いが、はっきりいって進化を続けているテクノロジーを止めることはもはや不可能であり、進化によって起こる問題を解決するのにも、また新たなテクノロジーの登場が必要となる。日々立ち現れる新たなテクノロジー、それをどう楽しくに扱うのか、どんな倫理をまとわせていくのか。そこから目を背けずに議論をするために社会実験を数打っていくことに、ぼくたちは傾倒している。ラボやオフィスを飛び出して、日常生活から届く場所で実験することで、未来の訪れがはやまることを狙っている。

たとえば。
いつか生体データの売買は実装されるだろう。技術的にはすでに可能になっているが、そういったサービスはまだまだメジャーになっていない。なぜならそこにニーズがあるのか不明な点が多いからだ。でも「いつか」を待つ必要はないと思ったから「脳波買取センター BWTC」を立ち上げた。すでに1400名を超える市民から買取をさせてもらっていて、脳波をもとに作った絵画は断続的に売れている。メディアからも大きく話題にしてもらったプロジェクトだけど僕が嬉しいのは周辺でいろんな人が勝手に議論を始めたこと。

「 脳波を売って得たお金は、税務上は何収入になるのか?」
「イニシャルを登録している脳波データは個人情報なのか?」
「なんで自分よりあの人の脳波データでつくった絵が高いのか?」

脳波の収集が技術的により手軽になっていくのに先駆けて、こういった議論が走り始めていることは、未来が訪れるスピードをはやめる効果がある。こういった考え方で、やわらかいロボットと戯れる無目的室「Morph inn」や、物理的に空間がゆらぐ「ゆらぎかべ」をつくったりしている。そんなプロジェクトが増え続けてることが、とても嬉しい。

と、とてもイシューめいた固い言葉で書いてきてしまっているが、ようはぼくは生きている間に少しでも多くの未来を体験したい。だから自分たちでそれを早く引き寄せることに生きがいを感じている。

一貫性のなさが効く

Konel・知財図鑑を経営していて一番指摘されるのは「一貫性がない」ということ。飽き性の多動生物が仲間として集まっていることは紛れもないが、このカオスがGood Singularityに効くという手応えがある。

目の前の課題や依頼に対して好奇心という反射神経で飛びつき、そして一歩立ち止まって「これ何のためにやるんだ?」と腹落ちするまでパフォーマンスが上がりきらないウチの仲間たちは、毎度バラバラなアウトプットを生み出し続け、これからも一貫性のない見え方が続くはずだけど、それでいい。考え方、作り方は一貫してチームで深めて、アウトプットは一貫させない。だから、難しいお題もカルチャーをまとって社会に届けることができる。

Konelのコーポレートサイトを更新したんだけど、自分たちのアウトプットを眺めてみて、こんな気持ちが浮かんできたのでだらだらと書いてみた。

結局そんなもんだと信じて、明日も全方位むさぼっていく。

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