都市河川のポートレート、"彫刻水路都市"コンセプト
連日似たようなまっすぐで退屈な深夜の川の絵ばかりをアップしているので飽きたかと思いますが、これらは"彫刻水路都市"というセルフプロジェクトシリーズで、今回江東区を流れる仙台堀川という小さな川をコンプリートしました。(親水公園部分を除く)
一枚にまとめるとこんな感じです。
これらを撮影地でマッピングすると以下のようになります。
おわかりになるでしょうか?
"彫刻水路都市"のコンセプトは、1本の川をはじまりから河口まで、かかる橋すべての上からまったく同じ構図で上流側、下流側を撮影し、移動してゆくスタイルです。
それらをまとめて展示をすると、1本の川のポートレートになる、というものです。
このシリーズはライフワークである"シンヤノハイカイ"から派生し2004年からスタート、当初は銀塩で撮影していました。
度重なる資金難やサボりなどの理由で断続的に14年間撮り続けています。
と言いますのも(初期を除いて)撮影条件を、「快晴、無風、鏡面水」でなければ撮らない、というハードルを自分に課しているので、準備をして、現地に着いて、水面を見て、ダメだ、となると呪いの言葉をツイッターに吐いて帰ったりしています。
NGな夜が続いたりするとモチベーションが消えてしまうのでした。。。
ここ数年間は、墨田江東内陸河川と運河撮影に注力しています。
墨田江東内陸河川とは、東京の下町エリアである墨田区と江東区はいわゆるゼロメートル地帯で、土地の高低差がないゆえに江戸時代は水運が発達、街中くまなく水路が張り巡らされていました。それゆえに「江戸は東洋のベニスだった」とも言われています。
人工的に掘られた水路ですから、このあたりの川はまっすぐなものが多いのです。それら内陸部に残されている川(運河)のことを総称して、墨田江東内陸河川と呼んでいます。
現在その水路の多くは埋められてしまいましたが、それでも以下の図のような川が残されています。
ここに記載しませんでしたが、水運で栄えた誇りの名残として、親水公園として存在している川跡もたくさんあります。
青いラインが現在の水路、紫のラインを重ねているのが撮影済みの水路です。
だいぶ進んできましたが、南部の埋め立て地運河エリアは手付かずです。
そして今までに撮影制覇した水路は以下の図のようなエリアです。
具体的な名称で言うと、渋谷川/古川、日本橋川/亀島川、目黒川、呑川、旧呑川、北前堀、南前堀、貴船堀、海老取川、内川、新芝運河、新芝南運河、新芝北運河、芝浦西運河、高浜西運河、月島川、新月島川、佃支川、朝潮運河、小名木川、竪川、北十間川、大横川、仙台堀川、大島川西支川、越中島川、汐見運河、汐浜運河、東雲北運河、砂町北運河、左近川/新左近川、などです。
多分、東京に住んでる方でも聞いたことのない水路名ばかりではないでしょうか?
基本的には、ベイエリアに注ぐ中小河川を撮影対象にしています。
最後に、"彫刻水路都市"の名称ですが、
川はガイア(大地)が彫った。
人々は治水のために、それを固めた。
ゆえに、都市の川は2重の意味で「無名の彫刻」である。
というものです。
「無名の彫刻」とは、ドイツの写真家、ベッヒャー夫妻が提唱した概念から採りました。
夫妻は、給水塔やガスタンク、溶鉱炉など、ドイツの産業遺産である構造物に施してある意匠をそのように呼んで、タイプ別に分けるタイポロジーを展開した偉大な写真家です。
このような写真、どこかで見たことありませんか?
ベッヒャー夫妻のような偉業には届きませんが、21世紀初頭の東京の都市河川の姿を、半世紀、1世紀後にも振り返れるようなアーカイブにしたいと思っています。
これからも東京の都市河川の撮影は続けます。
2018年7月16日海の日には、秋葉原で開催される写真集のみの同人誌即売イベント、ノンバーコード・ブックス001に"彫刻水路都市"のZineを出品する予定です。
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