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フォロワー数とは結局何なんだろう?

今日はフォロワー数ということについて考えてみた。

僕はフォロワー数があまり伸びない

noteは3年以上、趣味Twitterもほぼ3年になるが、どちらもフォロワー数が50に届かない。

しかし、それをそんなに苦にしたことも今までなかった。

というのも、非常に自分勝手なヤツで、好きなように生きたいというタイプなので、

そういう人にありがちだが、「信頼」みたいな関係をネットで築くのは簡単じゃない。

好きなように生きたいというのは自分中心主義の典型で、要するに自分の都合と他者の都合で自分の都合を優先しがちなのだ。

自分の都合を優先するとどうなるのか?

そうすると必然的に他者の都合や期待を特に悪意がなくとも裏切る結果になることが増えがちになると思う。

だから、これは今日現在までの考えだけど

ネット上でのフォロワー数というのは、他者の期待にこたえる潜在値(相互フォロー100%みたいなことも含めて)ではないのかと思うこともある。


僕はフォロワー数が伸びないのを

生きたいように生きたいヤツなのだから仕方がない

そもそもそこを増やすことに注力したことがないのだから仕方がないと考え

また、そんな自分を「クソだ!」とか考えて自己否定的になることもあった。

では、フォロワー数が伸びないヤツはみんなサイコパスとかなのか?

いや、それは正確なものの見方ではなく

フォロワー数が伸びない人の何割かは、社会的自己確立という観点からは劣境に置かれているとも考えられるケースもある。

社会的自己確立とは、経済社会で生きるにあたって、「自分はこれで生きる」という屋号のようなものが定まっていることを意味する。

フォロワー数が伸びない人の何割かは、この屋号が未定の状態なのだと思う。

つまり、フツーに未分化なのだ。

未分化な人というのは大抵自分のことで忙しいのだ。

屋号が定まらないという不定形がもたらすストレス下で足掻くことになりがちなので、他者の期待なんぞにこたえてる余裕がないのだ。

だから、一般世間的な場所では「空気を読まない人(悪い意味で)」という風評を抱えていることが多いと思う。


これと対峙するポジションにいる人はとりあえずでも「屋号」が定まってる人だ。

たとえば、ユニクロの柳井社長といえば、日本人ならほとんどの人が「ああ、」ってなるだろう。

「服飾会社の○○です」と自己紹介できる。

屋号が定まってる人には、僕たちの期待も絞られるのだ。

僕たちは、柳井社長に柳井社長以外もそれ以上も期待しない。

こういう形が実現してる人の方が結果的にまわりの期待を裏切ることは少なめだ(絶対とはいえないけど)

つまり未分化(な状態)がとりあえずでも収まってる人の方がまわりの期待を裏切ることが少ないのだ。

条件が同じであれば、未分化が収まってる人の方がまわりの期待を裏切ることが少ない。

屋号が定まってる人というのは自ずと期待にこたえてくれる(能力などが続く限りだけど)

屋号が定まってない人は、こちらの期待に応えてくれる可能性は少ない

大抵自分周辺のことで忙しく、口には出さなくても悲鳴を上げてたりすることもあるからだ。

だから、屋号が定まってない人にこちらの期待にこたえてもらおうとしたら、向こうの自主性に期待してる限り、人生のほうが先に終わることが多いかもしれない。

そうすると、アポをとるしかないのだ(未分化な段階にある個人にアポをとってまで接触したがる人は少ないだろうから、未分化の人は結局いい意味でも悪い意味でも自由なままがそのまま続くのかもしれない)

屋号が定まってる人のほうが基準がハッキリしている。

たとえば、柳井社長は今日誰と会うべきなのかがハッキリしていると思われるが

屋号が定まってない人は、今日「ガンダム好きの人」に会えばいいのか「洋楽ロック好きの人」に会えばいいのか「占い好き」の人に会えばいいのか好きな女の子に会えばいいのかハッキリしないし、ハッキリさせようとすると平均的な人よりすごい時間がかかるのだ。

「あのねぇ、そんなだと人生終わっちゃうよ!」とまわりの人が言いたくなることもあるくらい万事が遅いのだ。

これではまわりの期待にこたえるどころではない。

いや、まわりの期待を裏切ることのほうが多いハズなのだ。

これがネット上にも出てしまうと、必然的にフォロワーなどは増えないのだ。

フォロワー数というのは、まわりの期待にこたえる潜在値を示してることが多いと思う。

能力係数とは直接関係なく

やることが絞られて屋号が定まっている方が必然的にまわりの期待を裏切りにくく、従って条件が同じならフォロワーが伸びやすいのだ。

未分化な人の方が結果的にまわりの期待を裏切ることが増えるのだ(これに優柔不断というファクターが加わると、その人のまわりにイライラしている人が多いという対人構図ができてしまうことも考えられ、そうするとその人が特別悪人というわけでもなくても風評がよくないこともあるだろう)

まわりの期待を意図せず裏切ってれば、フォロワー数が伸びるのは簡単じゃない。

多少独断的かもしれませんけど、今日現在までのところ、フォロワー数というものをそのように考えています。

御一読ありがとうございました。

(製作データー)
書き始め:2021年11月1日午前6時51分

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