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スマホ文化は必要とされる情報の質を変えた
斎藤一人さんのYouTube動画を見ていた。
リンクは面倒くさいから貼らないけど
内容としては
「靴の時代に下駄をいくらつくっても大した商売にはならないよ」
「人類は強さの時代・正しさの時代を経て、第三段階の楽しさの時代に入っている」というはなしだった。
楽しさがなければ人はついてきやしないよ、というおはなしは、最初は、そのとおりのように思えた。
いま、アラフィフで、最近はしかめっ面しい記事ばかりをnoteで書いてる自分も、30代には、職場とかでおもしろい人というか、楽しい人という部分を前面に打ち出してる人だったんです。
でも、そういうエンタメ気質的な茶目っ気で仲間と協調するのは、30代まではそこそこ気持ちよくても、40代に入ると、そういう感じの場からは幾分身を引くようになりました。
やっぱ、志村けんや明石家さんまにはちょっとなれないな、という自分の本質に気づきました。
靴の時代にいくら下駄をつくっても、大した商売になりゃしねぇよ。
これは、結構刺さりました。
僕は、多分、ネットで、靴の時代なのに、下駄(のようなもの)を沢山作ってる人だったのかもしれない。
下駄って何か?
自分は、本の時代や、音楽でいえばディスクの時代もかなり生きてた人なんですけど
本でいえば、芥川龍之介とか太宰治ですとか石川啄木みたいな、ちょっと古典になってるような
岩波文庫で出てるような、フツーの人がかび臭いと思うような種類の活字を「これこそがホンモノだ!」と、それにしびれてきたんです。
ある意味、そういうのを目指してた部分があったのです。
しかし、その手の表現は、多分、紙の(本の)時代のものだったのかもしれないです。
紙(文庫とか)で読むと、めっちゃくちゃ刺さるんです。
だけど、自分も、含めて、もうタイムラインのスクロールばかりしてる時代にはそういう表現はそぐわなくなったんだと
音楽もそうで、コルトレーンとか、ジミヘンドリックスやレイヴォーンのような本物の音楽って、ディスクでスピーカーから再生するとすごく刺さるけど、スマホからイヤホンを通してそれに接するとイマイチなんです。
スマホのデジタルフォントって、もしかすると、多分ですけど、ホンモノを拒絶するのかもしれないって、今日現在考えてます。
一人さんの言うように、「楽しい」もの
なんとなく「楽しい」コンテンツがとりあえずはウケる
そんな時代に入ったのかなって気がしています。
本やディスクの時代を、旧時代的な物質の時代とするなら
スマホで大半の情報がやりとりされる今日は、物質から粒子へ
いや、完全な粒子じゃなくても、準粒子とでもいうか
準粒子の時代は、「楽しい」、あるいは、何となく「楽しい」以外のものは難しくなるのかもしれません。
あるいは刺さりにくくなるのかもしれません。
「楽しい」は素敵なことだし、大切なことだし、また、今日忘れられがちなことでしょう。
しかし、多分、「楽しい」という感情しかない世界は底冷えのする世界かもしれず
スマホみたいな、準粒子ワールドは、「楽しい」以外をネトウヨかパヨクとして排除してしまいがちなのかもしれません。
スマホという準粒子ワールドへの強依存はしばらく続きそうですね。
靴の時代に下駄ばかりつくろうとしてた自分に気づきつつも
人間が、準粒子の世界だけしかない虚しさにほんとに耐えられるのかなという疑問も湧いて
スマホ商売みたいなことをやろうとしている自分の矛盾というか……
いや、スマホの時代は必要とされる情報の質を思いっきり変えたのではないかというはなしでした。
今日は、そんなとこですね。
御一読ありがとうございました。
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