自分がダメ人間に感じられることも多いnoteという空間
運がよく私にも記事を書くと♡(スキ)がはいったりする。
余裕があると♡をくれた人のページを訪問する。
相手のページへ行って「この書き手超いいぞ!」と思うと、めっけもんした気になり、すごくいい気持になる。
そうするとコメントで乗り込んだり最低でも♡を押したりする。
以前は割とそうした相思相愛型の…いや、そこまでいかなくとも自分の感覚にマッチする表現者はコラムなどをわざわざ見に行くより、自分に♡を押してくれた人の中から探す方が早いときもあった。
しかし、最近はそれもあまり気持ちが弾まないのだ。
もちろん♡は嬉しいし、できればじゃんじゃん押して欲しい。
だが最近、相手のホームに行くと落ち込むことも増えた。
まだ二十代前半と思える書き手がフツーに60♡70♡かっさらってる。それも一人や二人じゃない。
noteは無論年功序列の空間ではない。等身大の悩みを素直に書いた方が多くの支持を得られるのかもしれない。
僕も四十年以上生きてきて、色々な本を読んだり、思索を積み重ねたり、悩んだり経験したりしてきたが、二十代の子達の等身大の表現に全く歯が立たない。
「すごい、こんな若い子達が、日本だけで60や70人もの人が♡を押してくれる記事を量産してるなんて…」
Twitterとかだと何かの間違いで1万くらいファボがつくこともなくはないのかもしれない。しかしnoteでインフルエンサーというわけでもないどちらかといえば無名の若い人達が何人も結構な数の♡をかっさらってるのを目の当たりにして、これは前からそうなのだが、自分は何てダメなやつなんだろうと落ち込むことも多い。
もちろん冷静に考えれば、あるプラットフォームでの♡数みたいなものが、文章や作品、あるいは情報の価値と必ずしもイコールとは限らないということは頭では分かるのだが、それにしても「えっ、マジ、すごっ!」とか単純に他クリエイターの♡数みたいのに愕然とすることがある。
これでnoteからの収入がせめてバイトの収入の6割程度でもあればもう少し落ち着いていられたかもしれないが、いまのところ一円にもなってないのもそういった焦燥を後押しする。
♡をくれた人のページもそこそこ気になったものは複数回訪問する。♡をくれた人の名前はノートにつけているので(こういったことも、現在もっとも♡がたくさんついた記事でもその数11なのでできるのですが、単記事で25以上♡がもらえたら、さすがにこういったことは続かないかもしれません)名前を入力して月に2回とかそれ以上訪問する場合もある。フォローすればいいじゃないか、というかもしれないがタイムラインが洪水化するとチェックしきれないのでフォローを増やすのは慎重になる。
しかしたまにそうやって訪問すると、記事で何かをくそみそに言っていて、「これひょっとしてオレのこと?」とか全然勘違いかもしれないけど勝手に落ち込むこともあります。♡をくれたのに、一度も相手に♡をしてないのが祟ったか、それとも気にしすぎか?
毒舌がウリでそこが面白い人なら気にならないどころかむしろ楽しいんだけど、そうでない人が爆発してて思い当たる節があるとシュンとなることもあります。
もちろん作品や情報のレベルや質の高さに脱帽して落ち込むこともあります。
今年に入ってからの記事では気弱にうろたえるものも増えてると思うのです。これにはひとつ思い当たることがあって、実は昨年の1月色々あって十年以上いた会社を辞めたのですが、母艦の喪失から時間が経ってるせいもあって孤独が募ってるのかもしれません。
別にみなさんに、もっと優しくしてくださいとか言ってるわけではないのですが、多少でも負のスパイラルにはまると、気持ちがブルーでそんなに簡単に♡を押す気にはならないし、コラム欄を覗くどころかタイムラインもスルーしたり、読むと些細なことが刺さったり、そうすると、みなさんはどうかわかりませんが、noteというのは、いかに自分がダメ人間かを痛感することも多いということです。別にnoteというプラットフォームにケチをつけてるわけじゃなくて、会社でも実はダメ人間と思うことがやや多かったんですけど、ここもホント折れるなぁと感じることが多々あります。(でも自分はマシなのかもしれません。今年の1月に始めたTwitterの趣味アカは早くもたまに軽く炎上するんで心細くなりますが、noteではまだ今のところそんなボロクソな目に遭ってないんで、マシなのかもしれません。ただ、これはTwitterのはなしになりますが、炎上は確かに寒くて心細くなりますが、まったく炎上しないようなTwitterってなんか意味あんのか?って思うこともなくはありません)
ダメだと痛感するから努力するみたいな部分はやっぱりあります。
自分もやっぱり本を出してる人が羨ましいし、SNSで有意義なことをやりたいし、派遣バイトから以外の収入が欲しいんです。
しかしときたま、ダメな自分をまるごとよしと出来ないと苦しいと思う時もあります。
SNSのおかげで一億総批評家時代です。
イチローレベルになってもクソみそに言う人は何割かでてくるし、本人の耳にも入ります。
今より良くなろうとすることの完全放棄も難しいですが、仮にイチローレベルになっても気に入らない人からはクソみそです。
であれば、ダメな自分を死ぬまで背負うしか手はなさそうです。
これだけダメさ加減を痛感しても、本を出すという希望は捨てられないのですから、人間おかしなものだと思います。
noteで「お前はダメなヤツだ」という雨に打たれて、立ちつくすだけの僕はいつか本を出せるのかな……
(あとがき)あんたは♡をたくさんもらってる若い子たちを責めているのか?
いえいえ、そんな意図じゃ御座いません。ただ、noteをやってるそこそこ年配の人の中にも、つまんないことでうじうじ落ち込む人がいるんだっていう事実を書き記したまでですよ。四十過ぎても案外人間ってこんなもんだよみたいな…もちろんそれだけじゃないですけど。燃えたり落ち込んだりの繰り返しっていう。人間ってそんなにパーフェクトじゃないですよね。
(Writting・4月6日 打文・4月7日 あとがき、加筆訂正、投稿・4月9日)
ちなみに、ヘッダーのイラスト(というか?)は自分で描いています。
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