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そして僕たちは傷を思い出す

コロナが地球に広がりはじめた去年、鈍感な僕は

それまでと変わったことは、ただ外に出るときにマスクをするようになっただけくらいのように感じていた。

仕事は、派遣バイトをやっていたので、所得的には低いレベルだが、飲食店の自殺してしまった人のはなしや、旅館や航空会社など、直接の大きいダメージを受けた職種や会社の人を考えれば、経済的には、あくまで前年と比べた場合だが、給付金ですくなくとも当座の穴は十分埋まるレベルのものだったので、私生活でそんなに大きな影響はまだ感じられなかった。

しかし、多少鈍感な僕にも、今年に入ると、何か世の中の、喪中のそれにも似た辛気臭さが伝染するようになった。

実際は個人差が大きいのだろう。

友だちができないことに躓く大学生もいれば

同じ大学生でも、ZOOMデートやZOOM恋愛に盛り上がっている人もいるようだ。

会社とかで副業が大っぴらに解禁されたのは数年前だが

金を持たない人は増える一方なので、

余程の才覚と運に恵まれないと、副業に成功するのは難しいかもしれない。

経済行為や商行為のハードルは上がった。

もちろん、この危機でかえって需要増に湧いてる業界もあるだろう。

インドアの増加でマンガなどは需要増だそうで

知人から『呪術廻戦』にハマってると聞かされた。

しかし『呪術廻戦』なんて誰にでも描けるものじゃもちろんないだろうし

ある種の希望は当面、先を断たれた。

ラーメン屋をこれから開きたいという人は減ったろうし

将来、東京ドームでライブをやりたいという人も減ったろう。


世の中は、

何年かに一度

ショッキングなことが起こるようだ

9.11に3.11


経済は放っておくと、バブルを生みだす。

バブルは生きている喜びを増幅させもするが

傷や悪などマイナス面も増幅させるようだ。


バブルは何らかのショックで鎮静化する。

グレタさんが叫んでも、環境問題はそれほど改善されなかったのかもしれないが

ウイルスショックが起こって、空を飛んでる飛行機の数はどう考えても減った。


ショックはしばし、傷と向き合うことを要求し、前へ進むことを難しくさせる。

重い刑事事件の被害者と加害者が、それぞれ、その後の人生展開が鈍るのはよく起こることだ。

過去のダメージが足枷になって、そんなに簡単に前へ進めないのだ。

普段の僕らは、あんまり傷ばかりを眺めない。

傷には固執しない

あるいは、思い出しもしないというのが、ある人の順境だからだ。

人生の傷をほとんど考えないで済んだ時期

それが、ある人の順境(期)だと思う。


何年かに一度(かまたはそれ以上)傷を思い至らせるイベント(という言い方は不謹慎か)が起こるようだ。

傷に対する反応には様々なものがある。

復讐や戦闘といった選択

声を上げる、叫ぶといった選択

閉じこもる、引きこもるといった選択

しかし、傷に絶望して、ひどいことにならなかった場合の多くは

そのうち、ゆっくりでも、回復を指向することが多いだろう。


回復指向が、どうやら日常を取り戻すに至れば

その日常はやがて、バブルにつながっていく

そしてまた、ショックなことが起こり

わたしたちはまた傷と向き合う。


こういったサイクルを繰り返しているようだ。

もちろん、一生涯その傷と向き合うことを要求されるような過酷な状況に置かれた人はまた別だが


バブルはしばし悪を内包するものなのだろうが

一切のバブルがない空間を想像するのも、それはまたつらいことかもしれない。

思い出は、バブル的なものの中にあることも多いからだ。

バブルはしかし展開次第では、その後に傷となってしまう。

傷が許容範囲に収まっていれば、それでもぼくたちはゆるやかにでも回復を目指すのだろう。

辛気臭い今日のムードは、傷と向き合うことを要求しているようだ。

と同時に回復への指向を誘ってもいるだろう。

あの、まぶしい光をもう一度見るために


(あとがき)
今日、ピカソに青の時代の呼ばれている時代が存在したことを、あるきっかけで知りました。
ピカソの知人の画家が拳銃自殺をして、ショックを受けたピカソは、ウケの悪い辛気臭い絵ばかりを描いて、経済的にも苦境に陥ってたそうです。
この時期をピカソの青の時代と呼んでいるようです。
僕もやや似たような状況にあって、これは何なんだろうって考えたとき、それはあるサイクルなんじゃないかと思ったんです。
常に軽躁状態だとまわりも楽しくなりますけど、中々そうもいかないですから
きっと人には傷と向き合うフェイズもあるんだと
そこで、無為を決め込むべきか、
ピカソみたいにウケないと分かっていてもつくるべきかの葛藤はありますね。
軽躁状態の気分のよいときだけ投稿をしようってのは何か虫が良すぎる気がします。
でも、読む人のことを考えると、ピカソの青の時代のような、まわりが誰も気持ちよくならないものを書くのは自分勝手じゃないかっていう葛藤がありますね
まわりに迷惑がかからないよう再度軽躁が訪れるまではじっとしてるべきじゃないかというふたつの葛藤があります
ただ、そこで公共善が第一ってなったら、青の時代はお蔵入りで、大衆が100%気に入るものしか出せないですよね
ウケないものを出し続けるのはマイナスブランディングになっちゃいますからね。
SNS時代の創作表現って難しいですね。
ピカソの青の時代というのを知って、それについてあれこれ考えたのが今日の文章です。
きっとサイクルなんですよ。

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木月まこと
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