紅茶のある風景①
「生姜を入れるとおいしくなるというわけね」
新聞でロイヤルミルクティーの入れ方というのを読んだ。
水に生姜を入れ、それを煮たす。
ティーポットにそれを注ぐ。
ミルクを温め、ティーカップにそれぞれを注ぐ。
少し蒸らして、シナモンをふりかける。
「う~ん、いい香り!」
春江のミルクティーも進化してきた。
最所はティーバッグで淹れた紅茶に脱脂粉乳に近いパウダーを入れるだけだった。
それが、ポーションタイプのミルクに代わり、
本物のミルクを入れるようになり、さらに今日に至っている。
春江は7年前、夫をがんで失くし、
一人息子がいたのだが、その息子は、それよりさらに24年前事故で亡くなっている。
ひとり身になった春江は、
海の見える病院で掃除の仕事をやって
細々と暮らしている。
夫は頑固な職人で、生命保険に入ったりするようなする性格の人ではなかった。
仕事は、昼の一時には終わるので、
買い物をしても、二時半には帰宅している。
仏壇といえる程のものはなく、小さなテーブルの上に
夫の遺骨と位牌が載っかており
その前で、お線香をあげる。
キッチンに穏やかな西陽が差し込み、時計は三時を少しまわっている。
仕事が終わって、ほっとひと息、
そばには、いつもミルクティーがある。
財布に余裕があれば、ちょっと洒落たベーカリーでアップルパイを買ってきたり、調子がよければお好み焼きをつくったりするときもある。
お伴は、いつもミルクティーと決まっている。
仕事が一番大切だよという人もいる。
しかし、それは運よくやり甲斐のある仕事を見つけられた人の言葉かもしれない。
春江の若い頃は、女の人が仕事にやり甲斐を求めるなどは、まだあまり一般的ではなかった。
スーパーで二十何年、黙々とレジを打つことにだってやり甲斐を見いだすことはできるだろう。
しかし春江にとって掃除の仕事は、人生で何より大切なことというほどのものではなかった。
ネットワークが大切だよという人もいる。
しかし、SNSにホムパに合コンにオフ会などと盛り上がっているのは主に若い人達だ。
春江の近所の人は概ね親切な人たちが多かったが、一緒に連れ立ってどっかに行ったりするわけじゃない。
結局、頼りになるのは金だけだ。
今から三十年以上前の日本ではそう語る人も多かった。
しかし、バブルがはじけて、頼りになるというほどの額を稼ぐのが、そんなに誰にとっても容易というわけでもない今日、そう言う人は減っているだろう。
たとえ、天文学的な金持ちになれたとしても、金だけで足りるのだろうかというのがむしろ今日の常識かもしれない。
大切なのは家族だという人もいる。
しかし春江には息子も夫も既に故人になってしまっている。
西陽が差しこむのどかな午後のひととき、
春江は、それでもそんなに毎日が侘しいというわけではない。
春江は午後のティータイムを大切にしている。
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