少子化について自分なりに考えてみる
少子化は何故起こったのだろう?
要因はひとつではなく、複合的に起こったのだろう。
自分なりに考えたいと思う。
ひとつは、男女とも自慰でコト足りる人が増えた。
つまり、汚い表現になるかもしれないけど
女性の膣に射精する男性の数が減ったのだろう。
避妊具の発達や中絶の増加ももちろんあると思うけど
そもそも膣内で射精が為されない(汚い表現ですみません)
AVとかアイドルとか、スマホの動画メディアに現れるカワイ子ちゃん(表現が昭和でスミマセン)により男性がハマるようになったので
そもそも男女が肉体を直接介在させる必要が減ったのかもしれない(もちろん性的パートナーがいる人がこれらのものにハマることもあるけど)
ネットワールドの充実は、相対的にリアルをやせ細らせているだろう。
めでたくカップルが成立しても
まだ、子供をつくるには足りなかったりする(つくろうとしてもできないケースのはなしは、ここでは一旦除外)
それは、90年代のバブル経済の崩壊あたりから顕著になった弱者の自己責任的切り捨てかもしれない。
仕方がなかったともいえるが
バブル崩壊までの日本社会は、ある程度「面倒を見る」社会だった。
しかし、これは、90年代あたりから顕著になったテクノロジーの急発展(Windowsを始めとするIT)によって、若者によるおじさん世代への下剋上が顕著になり、年長者が目下の人の面倒を見るという風習は廃れていった。
このころから、社会は、誰が誰の面倒をも見ないものへと変質していったのかもしれない。
個人で自己武装しない限り、ホームレスになろうと何になろうと自己責任という側面が強くなった。
人は、どんどん自分のサバイバル(だけ)に熱中せざるを得なくなった。
社会というのは、個人が個人の自己サバイバルをする場所でしかなくなりつつあった。
SNS投稿社会になって若干変化してるようだが
顕著なのは、親が子供をこぞって難関大学に行かせようとすることだ。
ジャイアンもスネ夫ものび太も、みんな出木杉君を目指すようになった。
これはもう、互いが互いを補い合う社会ではなく
個人が個人で勝手にサバイバルする空間で
ある意味、もう社会ですらない。
民度が高いという倫理性のようなものが誉め言葉として使われることが多いようだけど
これも、半分くらいは、自己サバイバル社会で生き残るための戦術という側面があるといえば穿ちすぎだろうか?
なぜなら、いまの社会は、一度落ちこぼれた者への包容力はほとんどなくなている。
もちろん、自己責任のすべてが悪ではないだろう。
他人を過度にあてにしない自主自立を育むこともあるからだ。
今日、自分は他人によりかかる難しさを感じてる。
まわりの誰もが、自己責任的サバイバルで手一杯に思えるからだ。
バブルの崩壊と、Windowsあたりから始まったテクノロジーの急激な進歩はほぼ同時期に起こった。
70年代生まれの僕は2017年、やっと自分のWindowsを持つに至ったが
僕の世代で活躍してる人のかなりは、90年代にすでにWindowsなどのテクノロジーを味方につけていた人だ。
この差は正直絶望的に埋めがたい。
僕の年代で敗者よろしく苦労してる人の多くは、自己責任理論で一笑に付されている。
面倒を見る社会は終わりを告げ
敗者に「自業自得」「自業自得」「自業自得」を連呼するだけの社会になった。
こういう社会を無意識的にでも肌で感じてれば、子供をつくるのに及び腰のカップルが増えても特に不思議はない。
社会が死ぬまで終わらない個人サバイバルの場所でしかないのなら
人と人の結びつきに何の意味があるのだろう。
聞くところによると
路線バスやタクシー、コンビニなどの無人化は進んでいくとのことだ。
山手線も聞くところによると、2030年あたりを目標にワンマン運転されるようだ。
運転手のいないタクシーなんかは、百歩譲ってテクノロジー的に大丈夫だったとしても心理的に怖い(寒い)気がするのだが、そういうのも単に慣れの問題なのだろうか。
どんどん進む無人化ワンマン化に寒い未来を感じるのは昭和世代の遅れた感受性なのか。
少子化に対して、無人化という策しか打てない社会
中国では、その無人化が一歩日本より進んでいるようだけど
8年くらい前のはなしだろうか
まだ、スーパーで僕が働いていたころ
中国人の知り合いと休憩時間にはなしをしたが
その人が言うには「中国の政治をやる人は誰ひとり人民に選ばれた者ではない、選挙で選ばれた者ではない、そこが日本と決定的に違うところだ」とはなしていた。
それに対して僕は「日本で投票に行くのは大半が与党を支持してる人だけどね」と幾分自虐的に返したが
少子化には複雑な要因が複数絡み合っているようだ。
かく言う僕も、困窮すればするほど、悪循環的に自己サバイバル一辺倒になっていくようだ。
こういう問題もSNSでいっときでも仲間と絡んで孤独が紛れれば雲散霧消するのだろうか。
すこしとりとめもなくなってきたので、この辺で終りますが
少子化について、そんな風に考えました。
将来、こういった問題に関心のある人と何か一緒にできたりはなしたりできればと思うこともあります。
今すぐは難しいのですが……
御一読どうもでした。
(あとがき)
少子化にもいろいろな理由が考えられ
僕は少子化について語るといって、別の問題を語ってるという見方もできますが
でも、それも少子化の一因ではないかと僕は考えています。
(あとがきその2)
少子化というよりおじさん世代の敗者のグチじゃねぇ?
っていう見方もできる文章かもしれません。
でも、何らかの今日の社会が内包している問題に言及したつもりではあります。
将来「自業自得」と後ろ指を指されないために、終わりのない自己サバイバル的防衛ゲームに勤しむのがすなわち人生なのか?
これを読んで、そこまで息苦しくないけどねぇと思ったあなたはかなり恵まれた人生状況を生きてる人ではないでしょうか。