対象愛型と(芸術家に多い)自己愛型とその挫折
これを読んでるあなたは自分の(愛)をどこに向けているでしょう?
(愛)と聞いて何を思い浮かべましたか?
職場で頻繁に顔を合わせてる異性ですか?
最近知り合った異性ですか?
それとも今熱中しているミュージシャンですか?
それとも自己を含めた全てにウンザリして八方塞がりですか?
または、とくに(愛)と呼べるほどのものを向ける対象もないぼんやりした毎日ですか?
今日は(愛)というものがどのような方向に向けられるのかということとその挫折についてはなしたいと思います。
で、その(愛)が向く方向ですが、大雑把に自分以外の外の方向へ向かう対象愛型と自分自身とその延長である作品や思想などに向かう自己愛型に大きく二分して考えたいと思います。
まずは対象愛型についてです。
対象愛型の世界に生きている人は、これが多分一番安定感のある充足をもたらすと思うので、一般的な意味でのしあわせ(像みたいなもの)に一番近い形が実現すると思います。
一番一般的な形は、異性に恋愛感情を抱いてその人とつき合うことに成功し、さらには子息を設け、その子息に愛を注ぐ形です。
またとくに所帯を持たなくとも、直接の対人関係のなかに充足を見いだせてる場合もそうです。この形になってる人の多くは発言や会話の中にその対象が頻繁に出てくるのでそうと分かる場合もあります。
たとえばですよ、あくまでもたとえばですけど、イケハヤさんのVOICYとか聞いてて「昨日、箕輪さんとトークイベントしてきたんですけど…」とかあるじゃないですか、つまり、その人を直接取り囲んでるひと(たち)に対する言及がそこそこ出てくるタイプです。息子のはなしが頻繁にでてくるタイプや今つきあってる人のおのろけばなしばかりをする人もそうです。
また人でなくとも昆虫の研究にひたすら入れ込んでいるとかいったタイプもこれにあたります。
このタイプは関心が外の対象に向きやすいんで、その対象愛が決定的に挫折しなければ一般的な意味での社会的しあわせに近いところにいると思われるので、いわゆる社会性も高く、変人や危険人物はこのタイプにはもしかすると少ないのかもしれません。
ただ対象愛の世界とは、昆虫の研究とかに向けられてれば別ですが、具体的な個人に向けられてる場合は運が悪いと些細なことで亀裂が入ったり挫折したりします。
たとえば、最近働き始めたバイト先にすごくかわいい娘がいたとするじゃないですか、で、そうすると、「ルンルン♡」ってなりますよね。
でも二週間ぐらい経って駅でその娘がべつの男性と手をつないで歩いてるところを見てしまったとしたら、略奪してでも!ってエネルギーの持ち主でなければショックでしょう。
また、あたらしく就職した会社ですごくいい感じの先輩に出会ったとするじゃないですか、で、ウキウキしてくるんだけど、ある日廊下でその先輩がべつの同僚と立ち話をしてるのが耳に入って一気に恋心が冷めるとかあるじゃないですか。
また妻子持ちの人が、その妻子を暴漢や誰かの過失で奪われてしまうとかはよくニュースで聴きますよね。
さきほどいった昆虫の研究に入れ込んでるとかをべつにすれば、具体的な対象愛の世界はどういったファクターによって亀裂が入るかわからない危うさもあります。
とはいえ、この対象愛型が一般社会や一般世間とは矛盾がすくない形に収まることが多いとは思います。
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