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観念や原理、抽象に向けられがちな男性的エロス(愛)と、あくまで具体的対象と具体的和合を欲する女性的エロス(愛)の違い

こんにちは、木月まことです。

本日ふたつめの投稿になりそうです(今日中に完成すれば)

愛は愛でしょ、男の(男性の)愛とか、女の(女性の)愛とか、そんな区分があるわけ?

いや、自分もついさっきまで、「愛」というものに男性型とか女性型があるなんてあまり意識したことがなかったんです。

しかし、あるきっかけで、そういうのがあるとしか思えなくなったんです。

きょうのはなしも、まったくの試論で仮説でしかないのですが

ある方の投稿を読んでて、フォロワーを増やすには、個人として相手に関心をもち敬意を払うしかないって書かれていて、それがひと月で3桁フォロワーが増えた秘訣だと思う、なぜなら、わたしやこれを読んでるあなたみたいなフツーのひとの書くものなんかに誰も興味をもたないのは当たり前だからというはなしだったんです。

似たような主旨の投稿はそれまでもいくつか読んでて、ほとんどが女性の方(々)からの意見だったと思います。

それが「間違ってる」とは思わなかったし、批判しようってわけでもないんです。

ただこれは自分がアラフィフの年齢で30代の頃とかよりスタミナが不足してきているとかもあるでしょうけど、まったく個人的にですけど「途方もないはなしだ」と思いました。

自分は2年noteをやって、まだフォロワーが30人くらいなんで、自分のフォロワーさんが誰が誰だかさっぱりなんてことは基本ありません。

しかし、ひと月で3桁とか増えるフォロワーさんに、個人的関心と敬意を持つっていうのはすごいはなしだと思いました。

自分は年齢がアラフィフで記憶力も低下してきているというのもあるでしょうけど、フォロワーがひと月で3桁増えたら、もはや誰が誰だかわからなくなるかもしれません。

そこでさらに考えたのは、女性と男性の愛(エロス愛)の性質はやや違うのではないかということです。

つまり、そういう発想の違いは男女の違いからうまれるのではないかと

女性(的)な愛は、具体的な対象と具体的な和合を好むのではないか

男性(的)な愛は、具体的な対象より、観念や原理、抽象へ向かうのではないかということです。

これは実際の肉体的性別とは必ずしも関係ありません。

今日では、HSPやコミュ障、各種トラウマで、女性でも、具体的対象と和合なんておぞましいと感じるひともすくなくないでしょうし、

女性でも、話していて抽象論を好むひとは、社会的地位の向上にも熱心で男性的な気がします。

また婦人警官であれば「ルールはルールですから」「規則は規則ですので」といった毅然とした対応をするかもしれませんが、こういった対応も、個人に個人的な情をかけるのではなく、法律という抽象にエロスを向けてるからでしょう。

男性の愛は、個人としての他者には、せいぜい自分の家族とか、会社で同部署のひととか同じ支店の仲間くらいにしか向かないことが多いでしょう(一般的にはというはなしでしかないですが)

男性は、仲間と仕事で、どちらかといえば仕事を軸に人生が動くので、フェイズがかわるとかかわる人もがらりと変わりがちです。

どんなに仲間を大切にする男性でも、東京から関西に転勤の辞令が下りれば、東京の仲間とは一部を除き疎遠になると思います。もちろんネットの発達で物理的に離れてるひととの友好は保ちやすくはなっていますが

男性の愛は大学生くらいの年齢までは、女性のそれと同様、乃木坂とかAKBみたいな握手がせいぜいだろうみたいな遠くの対象に、向こうが自分の顔と名前を覚えるはずもまずない対象にロマンを膨らませることも多々あります。

ところが、個人差はありますが、男性の多くは40を過ぎればテレビみたいな2次元でしか見れない、向こうがこっちを知ることはまずない美人女優に本気でテコ入れすることは少なくなり、多少おちても、週に2回は確実に会えるような(またはコミュニケーションがとれる)距離にいる対象にいれこむようになるようです。または癒されることが多いようです。
つまり加齢で、やや現実主義的傾向が強まるようです。
なかには、小林よしのりみたいになれるはずだと思ってるひともいるみたいですが、小林よしのり自身がそうだったみたいにそういう対象に飽きるのは時間の問題な場合が多いようです。
どうしてかというと、そういう対象は、パーティーみたいな社交の場でたまたま会った人に等しく、実人生的な絡みの必然に乏しく、5分間話すのも相当難しい対象だからです(小林よしのりはそうではありませんでしたが)

これがさらに60を過ぎますと、男性の場合、もうまったく具体的対象(あるいは具体的個人)にいれこまない場合もあります。
これは女性とかなり顕著に違うところです。

男性の場合、個人差は大きいのですが、ある年齢から先は、個人としての対象にエロス愛をむける能力が低下する場合も多いようです。
もちろん60をすぎても、家族を始めとするまわりの具体的個人にきちんと関心をむけてケアしてる人もいますし、老いてからのほうが、かえって身近な対象に積極的に関心を持って関わる人もいるようなので個人差はあります。
あるいは個人ではなく、趣味や娯楽にいれこむ場合もありますが、理論や抽象、原理などにいれこんで、具体的個人から関心を引き上げてしまうことも多いようです。
これは男性が、女性のように、子を産み育てる性ではないからかもしれません。

主に男性のエロス愛について語ってしまいましたが

肉体的に男性のひとにも女性的なエロス愛の傾向は内在しており、また肉体的に女性のひとにも男性的なエロス愛の傾向は内在していて、どちらがどう色濃くでてるかは、先天資質や状況(年齢その他の)もそれを左右するのかもしれません。

いずれにせよ、エロス愛の基本的な発露のしかたは、男性と女性で、また、そのひとが大学生くらいか、40代かあるいは60代かでかなり違ってくるのかもしれません。

そういった違いを考慮しないと、実際の男女間では齟齬が埋まらないことも多いようです。

男女のエロス愛はそれぞれ目指してるものが違う場合もあるのです

仏陀は妻子を捨ててしまいますし、愛によって弟子たちと結ばれたキリストは最後の晩餐で弟子たちと決裂してしまいます。
ゴッホがゴーギャンに向けた親愛はエロス愛的だったかもしれませんが、ゴーギャンはすべてを捨ててタヒチへ行ってしまいます。
エロス愛のすべてが幸福な結末につながるとは限らないのです。
よき家庭人であれば最後まで家族愛を貫くかもしれませんが、人のエロス愛は様々な独自の方向へ向けられることも多いのです。
ひとつには論理や原理、抽象観念や理想や理念などを志向してしまい、具体的な個人に具体的に向けられるエロス愛からは離れてしまうことも男性には起こるということです。

といったところで、今回のはなしは締めたいと思います。

御一読ありがとうございました。


(製作データー&追記)
書き始め 6月27日11時59分
書き終わり 同日14時40分

本日2投稿目で、1日長文2本をタイムラインに送り込むのは心苦しくもあるので、日を置いて出そうかと思ったのですが、天から「結果がでてないのに余裕かますな」「とっておくのは便秘に似たようなもんだから出すまで血液が汚れるだけ」という声のようなものが聞こえてきて結局出すことにしました。

エロス愛の発露の仕方には男性型と女性型があるのではないかというはなしでした。

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木月まこと
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