宇多田ヒカルとヤ〇ザキパンの思い出
アラフィフのわたしも、ついにBluetooth対応のスピーカーを手に入れた
20年以上前に7万円くらいで買ったオーディオアンプを1万5千円で買い取ってもらえたため、臨時収入が手に入ったためだ。
基本的に、所得税の還付金とかその他の臨時収入の類は生活費には回さないようにしている。
これで、スマホやパソコンの音楽を、ノンケーブルでスピーカーから聴けるようになった。
ここ3年、2千円くらいの安いイヤホンでしか音楽を聴いてなかったから、少しだけご機嫌になった。 ♪~♬💛
70年代生まれなので、昔の曲を中心にスマホの音楽を再生してみる
ストリーミング形式のサブスクはやってないので
ダウンロード購入した音源か、CDからパソコンに移した音源をかけた
イヤホン・ヘッドホン全盛のご時世だが
正直、個人的にだが、音楽はスピーカーから聴くに限る(生演奏を除けば)
宇多田ヒカルのデビュー曲「AutoMatic」も含まれていた。
「AutoMatic」が安いイヤホンでなく、スピーカーから再生されると
立体感があって、ある感慨が滲んでくる
鳴り物入りでデビューした宇多田ヒカルの「AutoMatic」が世間で猛威を振るっているころ
宇多田より10ちょっと年齢が上の自分は、どうやら引きこもりからの脱出の足掛かりをつかもうとしていた。
自分も、本音はミュージシャンになりたかったので
15歳で、デビュー曲が大ヒットしてる宇多田ヒカルはある意味衝撃的だった。
SPEEDとかは、もっと年下だったかもしれないけど、あれは、ある意味、大人たちが仕掛けたグループといえたが
宇多田は既に、アーティストの雰囲気が漂っていた。
僕はといえば、KENWOODというメーカーから出てるステレオコンポがどうしても欲しくて、単日バイトを(今日で言う派遣)やり始めた。
日本人なら、誰でも知ってると思われる、某ヤ〇ザキパンの工場へ行った
工場はとても広くて
単日さんは、先着順に、その日の都合によって、配属先を振り分けられる
常連的なベテランさんは、大抵いつもの場所へ振り分けられる
僕は、ベテランでも常連でもなかったので
あちこちの部署に行かされた
1度だけ、有線がかかってる部署(かなり広い部署)で仕事をした。
「AutoMatic」は超絶ヘビーローテーションだった。
その1日だけで、「AutoMatic」を何回聞いたかわからないくらいだし
あとはどんな曲がかかっていたのか、まったく思い出せないほどだ。
いまでも、「AutoMatic」のあの「ドクドクドクドク!」という打ち込みのイントロを聴くと、あの日の工場の光景が脳裏によみがえってくる
「7回目のベルで受話器をとおったきみ~♬」
「受話器」という歌詞に時代を感じてしまう
そう、それは既にかなりむかしのはなしになってしまっている
しかし、歌詞全体では、そんな細部の古臭さを補って有り余るパワーというか普遍性がある
「イヤなことがあぁった日もぉう、君に会えば全部ふっとんじゃうよ!」
「君に会えないマイレイニィデェイ!~♬」
めっちゃくちゃ純粋だ
自分が15歳のときとあまりに違いすぎる
しかし、その曲は、当時のことをよみがえらせる
駅から工場までの川べりの道を足早に歩いたこと
仕事が終わったあとの、バスの折り返し所でのすがすがしい気持ちで見た夕暮れ
有線がかかるような、比較的ラクショな部署で、後半、まだ20歳になったかならないかの社員女子さんに、30近くになろうとしていた自分が、文字通りあごで使われ萎えたこと(ことわっときますが、2000年より前は、この程度のことはどこでもザラだったので、会社に不名誉な告発をしてるわけじゃありません)
いろいろなことがよみがえる
時が流れ、僕はアラフィフに
宇多田ヒカルも40とかになってるハズだ
あのころは(という言い方はあまりしたくないが)
宇多田も僕も、若くて、可能性があった。
いや、いまでも、可能性がないというわけじゃないんだけど
人間、40をすぎれば、無限の可能性が……というより
人生の残り時間をどう使うかみたいなことが主題になり始めるのではないか
宇多田の純粋さが凝縮されたような、デビュー曲にしてキャリア最高傑作のような「AutoMatic」を、久々にイヤホンでなく、スピーカーから、その曲を聴いて、
いろいろくたびれてしまい、もう頑張りたくなんかないよという拗ねた自分の中にも
ある純粋がちょっとだけよみがえる
あのころ、工場で単日派遣なんかをやってた自分は
めぐりめぐって、また派遣をやっていて
そんな生活にもくたびれてるけど
「AutoMatic」のような純粋さでまた何かと向き合ってみたくもある
おっさ~ん、ムリすんな !
そんな声も聞こえてくるけど
うるせぇ、おっさんじゃないわい!と言いつつ
やっぱ、スピーカーはいいな!
おい、どういうはなしだよ、それっ
以上『宇多田ヒカルとヤ〇ザキパンの思い出』でした。
───END───
(あとがき)
明日また派遣のバイトが不採用になってしまい
埋め合わせの仕事を見つけるのもかったるく
今日、2本目の文章を書きました。
お役立ち記事みたいのを僕にもとめてる人には
意味のない文章で、イラっとしたかもしれませんが
役に立つことを書きたいと思う一方で
むしろ、役に立たないことをこそ書きたいという確執がありますね。
(おことわり)
文中のパン工場に最後に行ったのは、いまのところ20年以上前のはなしなんで、
一日中有線なんかがかかってる部署があるのかどうかは、当時はともかく、現在は知らないので、それはお断りしておきます。