それがあった証
急にあるCDが聴きたくなった
RED HOT CHILI PEPPERS(洋楽)の"CALIFORNICATION"というアルバムだ
1999年にリリースされたアルバムでカリフォルニアというには暗いトーンのアルバムだが、暗いカリフォルニアというのはEAGLESの"HOTEL CALIFORNIA"という大ヒットアルバム(主題曲は必聴)の伝統を正統に受け継いでいる
(これはまったくの個人的解釈です)
オルタナロックにファンクとラップを取り入れた当時ミクスチャーロックと呼ばれていたジャンルで、洋楽苦手な人にはややとっつきにくいレコードだけど気に入るとすごくいいアルバムです。
さてさて今日やりたいのはレコードレビューではないので、レッチリのはなしはこの辺にします。
アラフィフのわたしも音楽はスマホで聴くことが増えました。
スポティファイみたいなストリーミングのサブスクは契約してないんで、ダウンロード(有料)とかユーチューブのクリップです
CDは金さえあれば簡単に買い戻せるものやあまり聴かないものを中心にあるとき大量に中古に売り払いました。
レッチリのそのCDは中古行きを免れたわずかなCDの中の一枚でした。
久しぶりにプレーヤーのターンテーブル(パソコンとかではなくオーディオ機器です)に乗せると、ギターからもヴォーカルからもベースからもドラムからも暗いカリフォルニアがぷんぷんに臭ってきてゾクッとする。
しかししばらくすると別の感慨が頭をよぎっていた。
このアルバムを買ったのは2000年のことだったと思うが、アラフィフの自分がまだ若かりし頃のことだ。
若かったなどといっても既に30歳になっていたのだが、この頃は引きこもりを脱してようやくレギュラーっぽく働き始めたバイト先で、年上の主婦の方から「大学生よね?」などと聞かれることもしばしばだった。
いや、そんなことはどうでもいいのだが、アラフィフの今になってみると30歳なんてホント若かったと思う。
まだ親が現役で働いていたので、私は親にパラサイトしてる情けないヤツだった。
引きこもりだったころより俄然金が入るようになったので、わずかな金を家に入れてあとはドサドサCDを買い込んだ。
J-Popも好きだったけど洋楽を主に買ってどっぷりそれに浸かった。
引きこもりになったせいで、また当時はSNSなどもなかったせいで、学生時代の人の消息は一切分からなくなっていたが、30歳だから、同学年の人は会社で係長になってたり、子供がすでにいたりする人もそこそこいただろう
それに比べると自分の生活はなんとアホだったろう。
しかし1999年にリリースされたレッチリのCDが届けてくれる30歳のころの空気、アホな時代の空気はまた死ぬほど懐かしくもあった(こういうアホな時代の請求書はやっぱり来るもので特に40過ぎからは四苦八苦しています)
しかし、こういう回顧をするのに、あるいは過去のある感慨に耽るのに、これがCDだったということも結構大切だと思うんです。
いまこの記事を、そのCDを眺めながら書いてるんですが、この3次元的なものとしての手触り
スマホよりは大きく見えるジャケット
スマホでもジャケットはデジタル表示されますが、何かが足りません
昔がよかった、は、ジジイ特有の嘆きだというのは理解してますが、
CDのジャケットを見るとそれを買った、地元の、またはみなとみらいの、または渋谷のCDショップっていうのも同時に思い出します
つまり、それは過去への連鎖的なつながりなんです。
スマホサービスだと自分の部屋の中ですべてが完結して便利ですけど、こういう記憶の連鎖が生じにくいと思うんですよね
デジタル情報の時代って、次から次へと色々流れてきて不愉快なものも含まれてるからとかその他の理由で片っ端から捨てていくじゃないですか
記憶にも残りにくいし
クリックひとつで削除すれば一巻の終わり。
そんな中で、3次元的なモノとして部屋にかろうじて残っていたCDの中の一枚を久しぶりにかけて、色々な記憶が、アホな時代のアホな空気がぷぅ〜んと広がっていく
連鎖的に広がっていく
たまたま今日は久しぶりに投稿をスマホで書いてるんですけど、スマホのすぐ横に、さっきまでかけていたCDが置いてある
そのジャケットを含むCD自体がなにかの証で
中に入っているレッチリの曲も何かの証
まぼろしかもしれないけど主観的には確実に存在した僕の若い頃のアホな時代の証
若い頃電車に乗ってまで行った、ちょっと遠くにある
または地元にある
あったCDショップの証
様々な証が、ものとしての1枚のCDに凝縮されている
それは個人的な経験で
CDを作ったバンドのメンバーすらまったく意図しなかったある証の連鎖
あっという間にスクロールされ、誰かの事情で簡単に削除される情報が溢れてる現在
スクロールと削除でものとしても記憶としても残りにくく、手触りもないデジタル時代のなかで、わたしたちは何か証を残せるのだろうか
また証を見つけられるのだろうか
いま、そのCDをすぐ横に置いて
自分のあたまの中には
何度聴いても「これのどこがええんねん?」「どうしてこれがヒットする?」としか思えなかったけど、あるとき突然エンディングのギターソロ、すごくゆっくりしていて拍子抜けするようなギターソロの裏に込められた感情のうねりが自分の何かと重なって急に腑に落ちたヒット曲"SCAR TISSUE"がうねりつづけている
ひょっとすると、それらはまぼろしだったのかもしれないが、それらは確かにあったのだ
それがあった証
デジタル優勢の時代は確かにエコだがそれがあった証を残せるのだろうか
──終わり──
(あとがき)
2日前にエディ・ヴァン・ヘイレンというギタリストの訃報を受けて投稿したのですが(前回記事:「エディ・ヴァン・ヘイレン(ギターヒーロー)の訃報に触れて」)実は、今回の記事のほうが先にできておりました。
バイトから帰ってきてヘッダー画像をどうしようか悩んでるうちに、エディーの訃報に接して予定を変えました。
その時にヴァン・ヘイレンについて書かないと、これから先書く機会がない気がしたんです。
で、この記事は今日になりました。
今日も作曲家筒美京平さんの訃報が耳に飛び込んできて、存在感のあった人が亡くなられています(若い人はよく知らないですよね)
アラフィフの僕も音楽はスマホで聴くことが増えましたけど、でもCDみたいな3次元時代の遺物(という言い方は失礼か)もスマホミュージックとは違ったインスピレーションを引き起こします。
今は、「3次元なんて古い古い、今は4次元や5次元の時代だぜ」という声をあっちこっちで聞く最近ですけど、確かに情報を中心にデジタルへの移行が進んで、もう3次元なんかには用がないぜ!という雰囲気でありまして、たしかに3次元的な「モノ」は存在感が薄くなってますが、でも3次元が意味なしになったら、人間の営為なんて半分くらいはナンセンスになると思うんですけど、ただ、スマホやパソコンのおかげで、3次元にあまりかかわらない人にも生きやすい世界が実現してるのかもしれません。
そんな中で、アラフィフの古い世代のわたしは、3次元的なモノも、あるひとつの契機(この文ではCD)から意外な世界の広がりをみせるのだ、というようなことを今回は書いてみました。
御一読ありがとうございました。
(参考音源)
前回の投稿で、YouTubeのリンクの貼り方を覚えたので、今回も文中で出てくる音楽のリンクを貼ってみます。
お時間に余裕があればこちらもどうぞ ♪~
①洋楽ロックでカリフォルニアといえば、まずこの曲
”HOTEL CARIFORNIA" by EAGULES
②暗いカリフォルニアが浮かんでくるレッチリのアルバム「カリフォルニケイション」から
”SUCAR TISSUE" by RED HOT CHILI PEPPERS