困っている人(とき)は他者に無関心?
それほど人生困ってないときは、たとえばエンタメに関心がいったりする。
本屋で(いまはアマゾンだろうけど)エンタメ(マンガを含む)のコーナーへ行く人がいれば、その人は、もしかすると割と人生順境なのかもしれない
天文学的借金を背負って一家心中を考えてる人は、エンタメどころじゃないだろう
他者にも肯定的関心が持てない
家族を巻き沿い死させようとしてるくらいだから
無関心(他者への)は大罪であるとか、
他者不在はエゴイズムだとか
他者の成功を喜べない人は、その人も成功しないというようなことを言う人がいるけど
すごく困ってるときとか、絶不調のときは、他者や外界に肯定的関心など持てないものだ
僕も、そこそこ順境のときは、小説もエンタメ系(直木賞系)に手を伸ばすことが多く、TSUTAYA(若い人は知らないか?)などに入り浸って、映画のDVDや音楽CDの名盤などを物色していた。
しかし、困窮(物理・経済的にだけでなく)してくると、それどころじゃなくなるのだ
人は順境のときは、対人脈などに拡大策をとることが多いと思う
しかし、非常に困ると、断捨離して自閉する。
たとえば、不登校・出社拒否(の退職)とかだ
これは、そのフィールド(クラスや職場)に肯定的関心を持てる他者がいなくて、むしろ、その人を追い込んでいる(故意に周りの人がそうしてなくても)ということだ
追い込まれた時、でもそこに立ち続けるほど強くもなく、自信もなく、かといって別の場所を見つけることもできず、家の中とかにたてこもる
家の中がダメなら、渋谷のトーヨコとかに行く
病気で入院とかもこのパターンの場合がある
こういったことは、経済にも影響する
困ってる人ほど必需品しか買えないし
フツーの人が興味を持ってるもの(エンタメその他)に関心がいかないのだ
困ってる人を放っておくのは、経済にも影響する
消費税とかもその一環かもしれないけど
たしかに、消費税は、金持ちからも貧困層からも同率で徴収する
年支出が仮に200万円であれば、消費税は20万円とられてるはずだ
消費税が導入された1989年(バブル)までは、この消費税という支出がなかった
今の人は年支出が仮に200万円であれば、1988年の人にくらべて、その中から国に20万円(消費税)余計にとられてる(1988年はちなみに、横浜~渋谷間(東横線で)大人160円の時代だ。いまは310円)
いやはなしがそれたが
無関心は連鎖する
しかし、うまく行ってる人は、うまくいってる人同士で楽しくやりたいというのが人情というものなら
困ってる人に積極的にかかわりたい人は、少ないかもしれない
あるいは、自分も困窮しているからという理由で気にはなるのだが
それだけの余裕がなく、結果的に無関心という態度をとることになってしまうのだろう
困ってるヤツらは「自力で努力して、頑張って這い上がるんじゃあ!」というのは、力のある人の発想、あるいは昭和式の考えかもしれないが
困ってる人(の多く)は困ってるがゆえに、外界から関心をひきあげてしまうのだ
自閉がすすんでしまい、外界にそもそも関心を持たなくなれば、頑張って這い上がるもクソもない
困ってる人にとって、いまの世界(外界)が悪であれば、これに対して、こころを開けというのは無理難題で、むしろ自閉や閉じこもりという防衛策が普通だろう
そとの世界が悪なら、そこで這い上がるもクソもない
かといって、困窮してる個人に、革命も無理難題だ
というわけで、『困ってる人は他者に無関心』でした
このテーマはもう少し考えたい気もしますが
とりあえず、ここまで御一読ありがとうございました