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日本をよくしようという機運が高まっている─(2025年を目前にして)

デジタル化とAI化で、世界は寒い場所にしかならないという見方をしたり
世界はもう悪くしかならないみたいに考えることもあった。

しかし、ここ1年くらいで、日本をよくしようという機運が高まっていると思う。
メディアなどでバンされたもののいくつかは、ただ危険なアカウントというより、社会をよくしようというベクトルのものだったようだ

その主張のベクトルは、発信主体によって様々で
どこに真実があるのかよくわからないはなしもある。
たとえば、クルド人のはなしや、兵庫県知事をめぐるはなしや、ワクチンのはなしは、誰の主張がどうというのはシロウトだと判断しにくいものも多いし、単に特定の外国人を追い出せみたいな主張もある

より多くの人がそれぞれの立場から、様々な意見を述べ始めた
いまは、その主張がそれぞれでてんでバラバラな印象を受けるけど
いろいろな人が
「諦めないぞ」
「もう見て見ぬふりはしないぞ」というほうにシフトしつつあるのを感じる

これは、多分、悪いことではないと思う

社会をよくしようというのは、自分(や家族)の人生をよくしようとすることとリンクすると思う。
人々は、「諦めない」を選択しつつあるようだ
もちろん、あまり無謀な「諦めない」はいたずらに寿命を縮めるだけかもしれないし、社会をよくするつもりが、狭量な排外主義につながっただけとかになることもあり得なくはないだろう

日本は、40代くらいで、もうすべてを諦めてるかのような人が増えてる印象を受ける
いや、40ではなく、20代とか10代もだろうか……
これは、やっぱり社会のおかしさとも関係してるのだろう

個々の具体的にどこがどうおかしいのかについて語る準備はないけど
従来の慣習をただ黙って受け容れるのは難しい領域も増えてるようだ

しばらくは、てんでバラバラな主張が、まとまりを欠く状態が続くのかもしれない
でも、こういう水面下の変化は
「陰」と「陽」の法則に照らし合わせれば
「無関心」という「陰」が極まって限界を迎えたのではないかという気もする

しかし、徐々に
「もう見て見ぬふりはしませんよ」ということが増えてきそうだ

とはいっても、僕を含めたかなりの人が、まだ見て見ぬふりを通すのかもしれない
外出先や地下道で困っている人がいても、素通りするのかもしれないし
それどころか、もっと身近な人の困窮を知らん顔する可能性もある

裕福なサラリーマンは、そこそこマシな収入と地位を保全するため
おかしいことがあっても、まだ見て見ぬふりをするかもしれない

でも、だんだんかわりつつあるようだ

実際行動を始めてる人も多い

もっとも、社会をよくする気持ちは、狭量なかたちでそれが性急にあらわれれば粛清みたいなことが起こらないとも言えない

あちこちで、無意味な対立劇が多発するだけの可能性もある

ただ
「諦め」
「無関心」
「見て見ぬふり」が限界を迎えつつある印象を受ける

しばらくは、矛盾する利権と利権が明らかになるだけかもしれない
混乱のようなものが拡大するのかもしれない

もちろん、一人にしておいてほしいとか、干渉されたくも、つながりたくもないという人もいるだろう

でも、何割かの人が、従来の態度に限界を感じて
方向が徐々にでも転換しそうな雰囲気もある

こういった機運に
「うざっ」と、かえって閉じこもる人もでるかもしれない

現在は、僕は神奈川に住んでるから、兵庫県知事のはなしとかに身を乗り出すのはいまのところ何か違うかなという気がするけど
でも、ニュースとして知ってるくらいはしている
以前は、ニュースとかも拒絶してるときもあった。

「日本を……」というのが大げさであれば
自分と身の回りをよくしようというか……

結果がいつごろどうでるのか、何がどうなってるのかまでは予測できない

あんまりな楽観を語って鬼が笑ったら怖いというのもある

ただ、いろいろなところで起こってる日本をよくしようという機運の中に
それが正解であろうとなかろうと
従来の態度に限界を感じて、すこしづつでも変えていこうとする人が増えるのではないか
しばらくは、バラバラな主張がまとまらないだろうけど

あと1週間くらいで2025年が始まろうという年の瀬、そんな風に感じました


(あとがき)
僕個人が来年何をどうするっていう明確なプランがあるわけではないんですけど
徐々に諦めモードや無関心が限界を迎えて
もう一度トライしてみようという動きもでるような気がします

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木月まこと
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