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緩やかな去勢

こんにちは、木月まことです。

「緩やかな去勢」とタイトルをつけましたが
日本の出生率の低下と生涯独身率の増加は、これはもちろん社会の在り方と関係していると思う

今日は、そのあたりを考えたいと思います。

今日の結論を先に言えば、社会は、意識的にであれ、そうでなかれ、人民の去勢をおしすすめてしまったのではないかということです

社会が抑制措置過多に転じたのは、僕の考えたところ、やっぱり、平成初期のバブル経済の崩壊あたりだと思う。

当時は、何の価値もない山林が「将来、大レジャーランドになってすごい儲かりまっせ!」というはなしをつけて、膨大な価格が投機されたり
価格が上がると予想のついたところにたまたま住んでた庶民の家の塀に、暴力団などがダンプカーなどで事故を装って激突して、そこを立ち退かせようとしていた。
こうした行き過ぎに対して、「バブルを抜く」という対応がとられた。
それは多分、それ自体は誤りでなかったのだろう。

しかし、年代的には、そのあたりから、人民はさまざまなかたちで去勢されていったのではないか、

サラリーマンという形態は、ある諦めの場合もあるとは思うけど
バブル期までの経済上昇期は、たとえば、自動車産業などに顕著だったように、海外市場にどんどん進出した。
トヨタ・本田・ソニー・松下(パナソニック)などは、世界から注目を集めた。
こうした成長期であれば、サラリーマンであることの自嘲も、いまより少なかったハズだ

しかし、バブル崩壊以降は、市場を海外に求めるのは意味がなくなり
海外進出は、主に安価な労働力を求めてということになり
製造業などを中心に、工場は日本から海外へ移転し
会社によっては、管理職のホワイトカラーにしか日本人はいない有様だったろう。

このころから、「リストラ」という言葉が流行るようになり
へそくりという手法で、ひそかに金をためていた妻が、零落した夫を見捨てて離婚を切り出すというはなしが増えた。
サラリーマンは、定年前後、仕事と妻を失うというのが、定番パターンのひとつになり
当時まだ結婚をしていなかった世代は、このありさまを見ていたハズだ

これは、別の場所で書いたのだが
「ストーカー」という語の乱用は、多分、恋愛市場に積極参加する男性を減らしてしまった
これを取り締まる法律がどんどんできて
男性たちは「権力からストーカーと睨まれたら大変だ」と考えるようになった(一部の男性にせよ)
さらに、アイドル産業やグラドルブームは、多分、最低でも3割の男性を、リアルな恋愛市場から撤退させた
「警察からストーカーとマークされるリスクを犯してまでしてリアルの女子を口説いて、結婚すれば定年前後に離婚を切り出されるくらいなら、アイドルやグラドルのほうがいいや」と無意識に考える男性も増えただろう
ここに、非正規の増加と、所得の低下、あるいは伸び悩みも追い打ちをかけた。
こうした施策(?)の結果
リアル恋愛市場は、ナンパ師に近いチャラ男タイプが圧倒的優位になった。

スキャンダル誌は、相変わらず、個人でしかないタレントなどの不倫をさかんにとりあげて、社会的に彼らを(少なくとも半分)葬り去り
ここで、行われてることは個人の去勢だと思う。

こうして、成功した人たちが一夜にして転落する様ばかりを見せつけられた人々の何割かは、人生に野心を持たなくなり
野心を持たなくなった人を取り囲んだのは「ムリゲー」という状況だった。

フェミニスト思想と人権思想の興隆は、そのすべてがいけなくなかったとしても、これも間接的に人民の去勢をおしすすめた

同意のない性行為は違法という法案が可決された。
問題は、同意のあるなしを、はたして客観証明できるのかというところで
最近、お笑いタレントの訴訟取り下げがあったが
同意のあるなしを事後に客観証明するのは
裁判所で、その行為の模様を録画したビデオを10回完全視聴しても場合によっては難しいことなのではないか?
事後に、女性の方が「同意などありませんでした」と叫べば
男性のほうがこれを法廷で否定するのは案件によっては絶望的に困難でないか?
いや、もちろん、意に反する乱暴な行為の正当化を企ててるわけではないけど

多分、こういう複雑な状況は、さらに男性諸氏を恋愛市場から遠ざけそうだ

こういう状況は、どちらかといえば真面目な男性が割を食うことになると思う。
行き詰った人の何パーセントかは、犯罪や自殺に転落する

意気消沈した男性諸氏に、メジャーリーガー大谷選手の成功は
最終秘密兵器とでもいえるようなダメ押しを期せずしてすることになった。

今日は、多少滑稽話に仕立てている
というのも、こう概観してくると、なんかあほらしさとでもいうものが際立ってくるのだ
僕は、引きこもりを30近くで脱して、遅れを取り戻すべく真面目にやってきたと思うけど
こう概観して、真面目にやりすぎて泥沼にハマった部分が無きにしも非ずと思えたからだ。

知らずと去勢をおしすすめる社会は、ある人をネトウヨ信仰に入れあげさせ
ある人を「犯罪者こそ神」とでも思わせかねない
事実、秋葉原の事件があったとき、何人かは「神だ!」と主張した。
「厳罰に処せばいい」という体制側のお決まりキャンペーンは実行に移されたが、秋葉原より後に起こった様々な事件を見れば、ほとんど意味がなかったことは明らかだ
これらの事件を識者の言う通り「厳罰」で処理して、わたしたちは、それが何だったのか考えることなくスルーしてしまったのだと思う。
「厳罰に処せばいい」と主張する識者は、大抵、社会でそれ相応の地位を築いている幸せな人が多いため、地位など築きようがない人の立場には思いを馳せない

「犯罪者こそが神」と考える人が増えたら、厄介ではあると思う
学校や会社に真面目に通う意味が分からなくなる
でも「厳罰に処せばいい」というのが、特定の立場による自己中心で
その自己中心こそが、犯罪者の増加に寄与してる部分がゼロではなければ、はなしは複雑だと思う。
でも、「だめなことはダメと言わないのが原因」というのも一理あるから
「厳罰思想」も消えはしないと思う。

ここまで考えてこう思った。
もしかするとだが
こうした去勢をおしすすめる社会状況一般こそが
逆に、人々が、その去勢化に逆らう一助になるのではないかと

それはナイーブな楽観だろうか?

大昔に、社会派作家のジョージオーウェルが小説に書いたように
人民の去勢は不可避なのか?
少なくとも、銃や武器などの前には沈黙せざるを得ないのか
いや、銃や武器などの原始的手法ではなく
科学的な電子(電波?)による人体干渉とか、アルゴリズムの操作によって庶民は操縦されるのか?
遺伝子レベルの操作などによって、人民の主体性などは無意味になるのだろうか

僕は、もちろん頭で考えてる
しかし、50をすぎた僕の前には、肉体労働くらいしか選択肢がなく
もう一般の職場にいる意味が分からなくなることも多くて、今日も仕事を入れていない

この「意味が分からない」という状況の成立も
もしかすると人民の去勢の一助になってるかもしれない

今日は、この辺でやめておきます
『緩やかな去勢』でした。

御一読どうもでした🙇

(あとがき)
シロウトによる憶測というか試論的な文章で、事実的な正確さには欠ける部分があるかもしれないですけど
過去に僕がnoteで書いてきたものを読めばこのあたりを一応考えてきた人だというのは分かるとは思います。

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木月まこと
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