母集団としてのレベルが上がりすぎてる日本(昭和と較べて)
平成が終わり令和が始まりました。特別な感慨はなかったのでその辺は知らん顔でスルーするつもりだったのですが、やっぱり多少はこれまでとこれからを考えるチャンスだとも思うので、自分なりに考えたのがタイトルのようなことです。
タイトルを見て、「えっ?日本が母集団のレベルが上がってるって?いや、逆でしょ?今日ほど母集団のレベルが下がってる時期もないでしょ?」っていう人も多いでしょう。
確かに、麻薬や不倫が流行ってる感じですし、バカッター騒動みたいなことがバイト先でおこりますし、ちょっと古いはなしですけどマンションの耐震偽装があっちこちで発覚したり、庶民は安いファストファッションに身を包んでいます。日本が劣化してる証拠は簡単に100は見つかるのかもしれません。しかし私は、どちらかといえば日本はレベルがやばいくらい上がりすぎてると思うことも最近多いです。これは平成だけでなく昭和もそこそこ生きた私の感覚であります。そこで、今回は論理的にそれを検証するというより、昭和の日本ってこんな感じだったよ、っていうのをゆるく雑記的にいくつか記したいと思います。
①トイレはもっと汚かったぜ(昭和のはなし)
「トイレの神様」というヒット曲が平成にあって、その頃から、運気を上げるにはみたいな当時多くの人が関心を持ってたテーマと連動して、とにかくトイレをキレイにするのが流行りました。これは個人の家でも、お店でも駅でも、または企業でもです。ここではなしは突然昭和になりますが、オチの見当はつくと思いますが、昭和のトイレはもっと臭く汚いのが当たり前だったんです。
ぼくが昭和のころ住んだ家は、みなさんもどっかで聞いて知ってるかもしれませんが、いわゆるボットン式だったんです。そうです、水で排水するのではなく、みんながしたウ○チを下に溜めておいて、何週間かに一ぺん汲み取り屋がバキュームカーってやつで吸い取りにくるんです。グゥオ~グゥォ~ッ、ズ・ズ・ズ・ズッ~はい終了!って感じで、この汲み取り屋はいつも突然やってきて勝手口から黙って入って用事が済んだら黙って出てくんです。今日同じことをやったら不法住居侵入とかでえらい騒ぎになるかもしれません。
また、その家のトイレは座式の女性&ウ○チ用と男性の小便用とふたつに別れてたんです。セクションが別れてたんです。トイレだけで二部屋あったんです。その男性の小便用は水が流れたりはしない、つまり水洗式ではなかったため、ひたすらおしっこがかかるのみで、なおかつ家族が誰も掃除しなかったためすごくくさいんです!
また駅のトイレなども男性の小便用も今では一人ひとり便器が分かれてるのが普通ですが、むかしは、そういうふうに分かれてなく、壁のようなところにみんなでならんでいっせいに放水する式が多かったんです。そういう壁式のトイレも水洗でなく掃除もされないのですごく臭うんです。そこでトイレにいる間は鼻息を止めることも多かったです。
今日あちこちにあるトイレはほんときれいですよね。安心感があるし…これは昭和にもどって欲しくないことのひとつです。ただひとつ懸念もあります。専門の業者に掃除を依頼してるなら別ですけど、このトイレのきれいさを保つのにかかるエネルギーですよね。それはべつのところで報われてるんでしょうか?それはともかく昭和のトイレはもっと汚くて、利用者がはなをつまんで、いや鼻息を止めて対処するのがフツーだったんです。平成の間に日本のトイレ偏差値も劇的にあがりました。昭和の人はトイレのメンテナンスには今日の人ほど力を入れてなかったんです。(良し悪しはべつとして)
②風呂場にねずみがフツーに出るんです。
風呂場にねずみって、今日の平均的な住宅のお風呂場の構造を考えれば原理的にあり得ないんでちょっと想像しにくいかもしれませんが、当時のわたしの住んでた(ボロ)家はもっと外部からの侵入に隙がある構造だったんです。たとえば今ってほとんどサッシ窓じゃないですか?サッシ窓って閉めておけば雨水一滴はいってきませんよね?そうすると雨戸なんか強盗が押し入ってくる可能性を考えなければもう要らないはずなんですけど、それはともかくむかしの家屋はもっと外部からの侵入が簡単だったんですね。ねずみも、ドブネズミが排水溝から簡単に「こんにちは」できたんです。もちろん「うわぁ~」ってなりましたよ。でも当時うちで猫飼ってたんですけど、その猫がねずみをたまに捕まえて、それを口でくわえて家のなかをウロウロしてわたしたちに見せにくるんです。「ほらっ、捕まえたよ、褒めてよ!」って感じで…猫はねずみにとっては天敵ですけど、本能にプログラミングされてるんでしょう。ねずみを捕まえるのが猫の伝統的な役割だったんです。
もちろんそれを見てわたしは「うわぁ~、こっち来るな!」ってなりましたけど。ただドブネズミをくわえている飼い猫の口の殺菌消毒とかはやりません。そんなのいちいちやらないのが昭和式でした。若い人はドブネズミってそもそもあまり見たことないでしょう。ペット屋さんにいるハムスターくらいでしょ?風呂場にドブネズミがフツーにでるんです。すごく偏差値低いでしょう?(でも卑下自慢じゃないですよ、昭和日本のある日常風景でつくりばなしでも聞いたはなしでもなく、わたしが見た風景です)
③部屋にあしなが蜂とかがフツーにいる
ちょっと退屈してきちゃったかな?
よかったらもう少し付き合って。
クーラーってフツーにありません。
電車やバスの中、商業施設に市役所に…どこもかしこもクーラーってフツーにありません。もちろん個人の家にもまずありません(ちなみに僕個人の部屋には2019年5月現在もまだエアコンがありません)もっとみんないろんなところで汗かいてました。デオドラントに細心の注意を払う今日のご時世ですが、むかしはもう通勤電車のなかでフツーにOLも汗をかいてたんです。だって窓から強い日差しが射すのに一両に3つか4つ扇風機がついてるだけですから。それはともかく、もちろんわたしの家もクーラーはなく、古い構造の家だったんで網戸も取りつけられなかったんです。窓や引き戸は夜以外完全開放。夏休みにガンプラとかつくるじゃないですか?網戸すらないんで、庭から部屋にあしなが蜂とかがはいってくるんです。あしなが蜂が飛び回ってる部屋のなかでガンプラつくってるていう…ちょっとこわいですよ。ぼくは蜂は苦手です。蜂は刺されたら痛いでしょう?それにくらべたらゴキブリや蜘蛛なんて無害に思えます。まぁ、3時間もすれば外へ出てくんですけど(蜂の好物は部屋の中にないですから)たまに日をまたいで滞在される蜂さんもいたんで困りました。(もちろん蜂だけじゃなく蚊にも悩まされました)
④中学に同級生とかが授業中にバイクで学校に乱入してくる
いまでもあるのかどうかよく知らないけど、ビーバップみたいな不良連って当たり前にいて、学校はあんまこないし来たら来たで、バイクで校庭に乱入して、ブォンブォンってふかしまくってさようならとか…原付バイクじゃないっすよ、250か400ですよ、高校生じゃなくて中学生ですよ。あんまりそういう連中のこまかいエピソードを語るとキリがないし、そういう連中の思い出は決して愉快ではないものも多いんでこのくらいにしとくけど、でも、むかしはそういう連中の受け皿も社会のほうにちゃんとあったんだよね。ヤクザや右翼?いやいやいや、違いますよ。左官屋さんとか料理屋さんとか色々ですよ。
⑤飲食店に蠅トリ紙とかがぶら下がっている
蠅トリ紙ってなんじゃ?っていう人も多いだろうけど、昔はごきぶりホイホイや蚊取り線香に害虫っぽいものを捕まえる装置も多かったんです。殺虫スプレーなんかはありませんでした。今日の環境は衛生的なんでそんなものすら要らないでしょう。それはともかく当時は大衆食堂っぽい店だと蠅取り紙っていうネバネバした細長い紙が数本店内にぶら下がってたりするんです。店の中を飛んでる蠅がそれにそうとは知らずとまってしまうと蠅はネバネバのおかげで動けなくなってしまうっていうごきぶりホイホイの蠅用みたいなものです。驚くべきは蠅とり紙自体ではなく、飲食店内に蠅が存在するのは「可」だったということです。今日だと飲食店って分煙で、喫煙ブースが完全に仕切られてたりするじゃないですか?まぁ社会ストレスは当時より上がってますから昔に戻ればいいんだともいいませんけど、昔は、飲食店内に蠅がいるのもOKだったんです。
⑥空き缶とかがその辺にフツーに転がっている
昭和の思い出話はとりあえずこれで終わります。
もう少しご拝聴を。
缶蹴りって遊びがむかしあったんです。これは学校帰りに小学生が空き缶を蹴りながら歩くとかそんなんじゃなくて、鬼ごっことかくれんぼが混ざった遊びです。詳しい説明は省くけど、それには空き缶が必須だったんです。まぁ、空き缶も自販機がそばにあれば、そこにゴミ箱がついてるんですぐ持ってこれますが、昔は今日ほど自販機が街のあちこちになかったんです。でもその缶蹴りという遊びをやるのに必要な空き缶は割と苦もなく見つかるんです。つまり飲料の空き缶なんかは無造作にあちこちにフツーに転がってたんですね。そして空き缶を中心とした鉄くずをひろう商売もあったんです。リヤカーに落ちてる空き缶を集めて鉄くず屋に持ってて金に換えるんです。今日のリサイクル業に似てるかもしれませんけど、そんな不思議な商売もあったんですね。もちろん割のいい商売じゃなかったでしょう。今日の街は衛生偏差値結構高く、空き缶がやたらに落ちてることはまずありません。でも今日より不衛生だったむかしはカネに困ると空き缶を集めるみたいな選択もあったんですね。今日人が金に困ると、「でもコンビニは大変そうだし…」っていって、じゃあブログでもやっか、ってなって、でも何十万字も書いて一年たっても一円にもならなくて…
以上長々と昭和ってこんなだったぜ、というはなしをいくつかしました。
日本は劣化した、日本人はだめになった。
多くの人がそう言います。
部分的には事実でしょう。
ただ個人的には、日本は偏差値が上がりすぎたんじゃないかと思うこともあります。
イチローとか大谷とか偏差値の高い個人はどの時代にもいるんです。
昔だって、王さん長嶋さんとかいたんです。
ただ、そういういつの時代にもいる偏差値のチョー高い人は別として、それ以外の庶民層に求められる水準があまりにも上がりすぎてると思うこともあります。
これはNGだっていうその基準が上がりすぎてると思うんです。
トイレのある施設の従業員はトイレ掃除に余念がありません。それ自体は結構なことですし、そういう部分が昭和に戻ればいいんだとはわたしも主張しにくいです。ただ、最近って三十過ぎて結婚はおろか彼女彼氏いませんって人がかつてないほど増えてるじゃないですか?もちろん今の世の中は異性とのお付き合いなんかより面白いことや価値あることが沢山あるからというのもあるでしょう。ただ、なんかトイレ掃除みたいな、昭和のころは全然いい加減だったことにあまりにエネルギーを使いすぎて、人々は恋愛なんかをしてる物理的心理的余裕がおそらくないんだと思うこともあります。もちろんいろんなところのトイレが今より汚くなってもいいんだとは申しません。
こういうぼくのはなしに、でも「ゆとり教育」みたいな緩和措置が世の中をよくすると思う?って意見も無論あるでしょう。
でも、庶民でしかない層に求められる水準があまりにも上がりすぎてると思うこともなきにしもあらずです。
だって昭和って、まだ四十代の自分が憶えてる範囲だけでも昔の日本ってこんなだったんですから、と思ったので、このようなはなしをいくつかしてみました。
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