哲学かジョークか

時間よりはやいもの、なーんだ?

「問い」と「答え」
この構成は人に物事を伝えるのに適していると思います。
教育も先生が質問して生徒が答える。
哲学的な問いに深遠な答えは心にいつまでも残り、大喜利やなぞなぞの答えのオチは気が利いていて面白い。禅問答もしかり。

朝は4本、昼は2本、夜は3本、これはいったいなーんだ?

なぞなぞの代表格とも言えるこの問い、エジプトのスフィンクスの前を通る時にスフィンクスから問いかけられ、答えられなければ食べられて殺されてしまうというもの。
答えは「人間」で、朝(赤ちゃんの頃)は四つん這いでハイハイして、昼(大人の頃)は2本足で歩き、夜(老人の頃)は杖をついて3本足の様といったもの。人生の移ろいを朝昼夜で表し、人の成長、老人になって弱っていく様子も取り込んで、奥が深い内容になっています。

この問いのオリジナルは、古代ギリシャの叙事詩で、

一つの声を持ち、二つ足にしてまた四つ足にしてまた三つ足なるものが地上にいる。地を這い空を飛び海を泳ぐものどものうちこれほど姿・背丈を変えるものはない。
それが最も多くの足に支えられて歩く時に、その肢体の力はもっとも弱く、その速さは最も遅い
ダクテュロス・ヘクサメトロス(長短々六脚)による伝承

これから、作り出されたようです。

よく出来た問いなら、答えがなくてもいいかもしれません。
ダグラス・アダムスのコミカルな小説「銀河ヒッチハイクガイド」でシリーズを通して追い求める究極の問いが「生命、宇宙、万物の答えは?」。
究極の答えを求めて1巻目でスーパーAIが750万年かけて導き出した解答が
「42」。スーパーAIが言うには、答えは合っていると、ただ、問いが合っていないとのことで、究極の問いを求めてシリーズは進んでいきます。
まあ、これはコミカルな小説なので、こんなものでしょう。
改めて考えてみると、「生命、宇宙、万物の答えは?」これは、永遠に答えが無く、我々はそれを追い求めてまた永遠の時を過ごすということで、いいのではないでしょうか。

次は説明できない答えです。

拈華微笑(ねんげみしょう)
昔、お釈迦様が集会の時に黙って花をひねったところ、大衆はその意味を理解することができませんでした。お釈迦様の十大弟子のうちの1人である迦葉尊者(頭陀第一と呼ばれ、頭陀とは衣食住への執着を捨て、質素な生活を実践する行のことで、迦葉尊者は釈迦弟子の中で頭陀行に一番長けていました)だけがその意味を理解して微笑しました。お釈迦様は、文字(言葉)に出来ない悟り(不立文字:ふりゅうもんじ)を迦葉尊者は会得していると褒めたたえ、迦葉尊者に正法を託し、迦葉尊者は後にお釈迦様の後継として仏教教団の第ニ祖となりました。
※「拈華微笑」は「世尊拈花」と表記することもあります。

お釈迦様が「花をちょっとひねる」というお題に対して、迦葉尊者が微笑んだという答えを見せた。そのやりとりは大衆には理解できないということで、解釈の幅も広がり、考えさせられるものです。
孫悟空がお釈迦様の手のひらから逃げられなかった様に、全ては我が掌中にありといったところでしょうか、分かりませんけど。

閑話休題

冒頭のなぞなぞ「時間よりはやいもの、なーんだ?」の答えですが、先にこういう回答が普通かなという1例として、
「恋人」
シェイクスピアの一節にあるように、

時間の先回りをするのが恋人の常だというのに
シェイクスピア「ベニスの商人」

恋人が時間になっても現れないので、つぶやいた言葉です。デートにそわそわする気持ちが伝わってきます。

だけど!
本命の答えは!!

進んでいる時計

時間というお題で、答えは哲学的な概念かと思いきやのまさかの現実オチ。これぞジョーク。

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