不完全が完全
ゲーテのファウストでは、主人公ファウストが悪魔のメフィストフェレスと契約を結び、死後のファウストの魂をメフィストフェレスに売り渡す代わりに、ファウストを若返らせ、生前はあらゆるサポートをすること、ファウストが「時よ止まれ、おまえは美しい」と言ったら、魂を地獄へ連れていっていいというものです。
ここでは、一般の解釈と違う視点でファウストを取り上げます。
人は幸せ絶頂の時に、この瞬間が永遠に続けばいいのにと思うことでしょう。
しかし、無常にも、永遠に変わらない世界はなく、常に変化する。
本当の強さや幸せは、常に移ろいゆく世の中に惑わされずにブレない自分を築き上げることではないか。だから、ファウストの「時よ止まれ、おまえは美しい」というのは、地獄への一直線ではないか。
※一般のファウストの解釈は全く違います。ここでは、「時よ止まれ、おまえは美しい」のみフォーカスして語っています。
私もかつては、世界が完全になればいいのに、何で、病気や不幸があるのかと散々嘆いていました。
でも、不幸礼賛ではないが、生まれてから、家庭、金銭的に恵まれ、何不自由なく育ち、幸せな結婚をし、子供にも恵まれ、幸福な人生を送りましたという一生にどの程度の学びやドラマがあろうか。
内村鑑三も
完全なるこの世
この世は不完全きわまる世なりという。
しかり、身の快楽を得んがためには実に不完全きわまる世なり。しかれども神を識らんがためには、しかして愛を全うせんがためには、余輩はこれよりも完全なる世につきて思考するあたわず。
忍耐を練らんとして、寛容を増さんとして、しかして愛をその極致において味わわんとして、この世は最も完全なる世なり。
余輩は遊戯所としてこの世を見ず。鍛錬場としてこれを解す。
ゆえにその不完全なるを見て驚かず、ひとえにこれによりて余輩の霊性を完成せんと計る。
と語っているように、この地球は最も完全な不完全な場所であり、そこに生まれた幸せを思う。