
「知らん」、「ほっとけ」、「うっとおしい」の本当の意味
【ヒントは赤ちゃん】
赤ちゃん ・・・ 話せない
小学高学年・中学生 ・・・ 話せる・大人並みにできる
なので、やり取りはこうなりがちです
➡「ちゃんと説明して」「自分でできるはずでしょ」
これに対して
➡「知らん」「ほっとけ」「うっとおしい」
ところで、中学校家庭科の教科書にこんな一文があります。
・・・・・赤ちゃんは自分の要求や具合の悪いところを正確に伝えることができないので、病気や異常を早く発見するには、顔色、食欲、温便の様子など、日頃の健康状態を知っておくことが必要である。・・・・・
これは、赤ちゃんは話せないし、自分では何もでないから養育者が色々なことを察知してやらないといけない、と書いているのです。
一方、小学高学年や中学生はどうでしょう。
大人並みに話せるし、大抵のことはできますよね。
だから「ちゃんと説明して」「自分でできるはずでしょ」というやり取りになります。
通常、小学高学年や中学生になると、自分のことは自分でする、考えて行動する、が求められます。
しかし、返ってくる反応は「知らん」「ほっとけ」「うっとおしい」
【この反応の意味を考えてみてください】
子どもは、自分のことを、自分の気持ちを説明できるのであればちゃんと説明します。しかし、それが出来ない理由があるのです。
なぜ自分がイライラしているのかさえわからない子と境遇のしんどさ

・・・・・赤ちゃんは自分の要求や具合の悪いところを正確に伝えることができないので、病気や異常を早く発見するには、顔色、食欲、温便の様子など、日頃の健康状態を知っておくことが必要である。・・・・・
さあ、この文の主語を
「知らん」「ほっとけ」「うっとおしい」という子ども
と置きかえてみます。 (もちろん、「温便」は除きます。「健康状態」は「状態」にします)
・・・・・「知らん」「ほっとけ」「うっとおしい」という子どもは自分の要求や具合の悪いところを正確に伝えることができないので、病気や異常を早く発見するには、顔色、食欲の様子など、日頃の(健康)状態を知っておくことが必要である。・・・・・
どうでしょうか。
つまり、「知らん」「ほっとけ」「うっとおしい」という子どもは
養育や教育にあたる者が上手く言えない、言いづらい体や心のことを察知してやらないといけないということなのです。
そして、こうした反応をする子どもは、なぜ自分が自分がイライラしているのかに、自分でさえわからなかったりもします。それだけ置かれてきた境遇のしんどさがあるのです。
【自分の気持ちを捉えるのが苦手】
養育者から受けてきた身体的・心理的虐待、或いは過干渉などは、やがて子どもの中に、物事に対して「どうにもならない」といった無力感やあきらめなどを生みます。
しかし、無意識の内にも無力感や不全感といったストレスはたまりますので、イライラしたり、ふさぎ込んだり、そのしんどさを避けようと(乖離しようと)したりします。
ただ、しんどさを抱えきれず自分の気持ちと向き合いきれず、その解消の方法として荒い言動になってしまったり、問題行動をしてしまったりする場合があります。また、知的障害や発達障害などの理由で、自分で自分の気持ちを捉えること自体が困難で、言動や行動に問題が表出する場合もあります。
そして、最初はその子なりにしんどさを表現したり、説明しようとしていても、周囲の理解が得られない、伝わらないという経験を積み重ねる中で、「どうせ誰もわかってくれない」という気持ちが増長されたりします。
そうした理由により、何故自分が自分がイライラしているのか自分でさえわからないし、それを相手に上手く説明することができない子どももいるということを心得ておく必要があります。
自分の気持ちをとらえるのが苦手、言語化が苦手、ということに対する理解が必要です。
本人が何に困っているのかを知ることから始める
従って、小学高学年や中学生だからといって
自分のことは自分でする、自分のことは自分で言う
という段階に、何かしらの原因でそこに至っていない子に
ちゃんと説明できるはず、自分で考えてできるはず
は気持ちが離れるばかりです。
そこで大切になってくるのは、関わる者が、本人が何に困っているのかを知る、ということなのです。
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