靴職人を諦めた僕が、それでも靴屋であり続けたい理由
14年前、僕は靴職人になることを諦めました。
10代から憧れていた靴作り。それなのに「自分に靴を作り続ける根気強さは無い」と、靴作りを学ぶわずか2年の間に気持ちは小さくしぼんでいってしまいました。
靴への好奇心だけでは向上心を持って靴を作り続けることはできない。
その現実をあっさり受け入れてしまった自分にガッカリしながら、選んだのは靴とは全く違う道。
それでも靴がずっと好きで、靴への好奇心は薄れなくて…
一度距離を置いた靴の近くに結局戻ってしまいました。
そこから11年、靴を通した人との付き合い方を考え続けた結果が今です。
自分で靴を作ることはできないけれど。
信頼できる作り手の靴を、自分の言葉で伝えて、自分の手で届ける。
少しずつ変わることはあったとしても、今はこの道を進んでいきたいです。
これは靴職人になることを早々に諦めてしまった僕が、再び、靴と共に歩み始めてからの話です。
靴に近づいて見えてきたこと
僕は靴クリームなど革靴周辺の用品を扱う会社に、10年近く籍を置いています。その仕事と並行して、今はdelightful toolとして個人の活動もしています。
この会社に入ったことで今までより近い距離で、また靴作りを学んでいたときとは違う目線から、靴を見るようになりました。
僕の会社での仕事は、販売員であると同時に靴の磨き屋です。
店頭(主に百貨店の紳士靴売り場)で自社の商品を販売しながら、お客様の靴を磨くサービスも行います。自分で作業は行いませんが、修理に持ち込まれる靴の受付も行います。
この仕事を通して、国内外のあらゆるブランド、価格帯の靴に触れることができました。また、革靴を持ち込まれるお客様のたくさんの困りごとや悩みごとを聞いてきました。
お客様の悩みを解決できればもちろん嬉しい。しかし、どうしようもできないことにも直面します。
・磨けば綺麗になる革靴がある一方、磨いても綺麗にできない革靴があること。
(靴磨きによるリカバリーをしにくい革靴)
・直したくても直せない靴があること。
・多くの人が足に合わない靴を、それと気づかずに履いていること。
これはほんの一例です。
「アフターサポートではどうしようもできないこと」を意識し始めたとき、自分の進むべき方向を少しずつ考えるようになりました。
本当に良い靴とは?
僕がこの会社で仕事を始めた頃、男性ファッション誌などで「高級紳士靴」「本格靴」の言葉をよく目にしました。
ここ数年でいえば「コスパが高い靴」でしょうか。
確かに、時代に合わせたこのような言葉が乗った靴は売れやすくなると思います。ただ、多くの靴に触れれば触れるほど、その言葉を虚しく感じました。
本当に良い靴とは何だろう?
それは履きやすさ、丈夫さのため、目に見えない部分にも十分なコストと手間暇をかけた靴です。
地味で、伝える努力なくしてはその価値が見えてこない靴だと思います。でも、こんな靴がきちんとしたフィッティングとともに届けられたのなら…
「アフターサポートでどうしようもできないこと」に直面する悲劇は起こりにくくなるはずです。
心から履きたいと思える靴を
僕が考える本当に良い靴。
これは市場に存在しないわけではありません。既製のブランドでもあります。
さらに小さな工房や、個人の作り手による靴まで選択肢を広げれば確実に見つかります。
ただ、見た目、履き心地、価格もトータルで考えたとき、僕自身「これを履きたい!」と心から思える靴は見つかりませんでした。
無いなら自分で形にしよう。誰かの力を借りてでも。
そう思い立って行動し始めた2012年。
幸いにも、当時知り合った靴の修理屋さんから良い靴を作る職人を紹介してもらいました。同時に、理想のフィッティングを生み出す木型(靴を成型するときの型)にも出会い、それを僕も使わせてもらえることに。
ここから、受注生産として稼働させるために「フィッティング→調整→納品」の流れを、職人と一緒に考えてきました。
靴を売る仕事
delightful toolとしてセミオーダーの革靴を受注できるようになったのは2016年の10月。そこから既に4年が経とうとしています。
靴職人を諦めたことは、未だに僕のコンプレックスです。
そのコンプレックスがあるからこそ、僕は相棒である職人をずっと尊敬し続けています。
作ることは任せよう、僕には他にできることがある。
この思いを胸に、delightful toolの靴を通して色々な人と接してきました。
最近、やっと気づいたことがあります。
靴を作る人も、靴を売る人も、どちらも必要とされている。
靴を良く知る。
言葉で、文章で、写真で伝える。
人を良く知る。
靴を通じてお客様、作り手、様々な人とコミュニケーションを取る。
より良い靴を、より良い形で届けるための背景にある全て。
どれも奥が深くて、もっともっと追究していきたい。
そして、それを必要としてくれる人がいる。
僕が靴屋であり続けたい理由はここにあります。