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八戸は旨い店と仲間に出会える町/沢野ひとし

 八戸(はちのへ)は青森県南東部、太平洋に面する市。東北地方東岸屈指の港を持ち、水産業が盛んな町だ。奥州藤原氏が東北を支配した時代、青森県東部から岩手県北部にかけて糠部(ぬかのぶ)郡が置かれ、この時に一戸(いちのへ)から九戸(くのへ)まで区分けしたことが地名の由来といわれている。

 かつてその八戸で毎年、バンドメンバーたちと新年会を行っていた。
 八戸は近くに三沢米軍基地があり、元々ジャズやカントリー音楽が盛んな土地柄だ。新年会のきっかけは、青森市の連中と結成したバンド活動のために青森に通ううちに、八戸のバンドと意気投合したことである。翌年1月下旬には、飛び入り参加大歓迎の新年会を、八戸で開催する運びとなった。

地図

 初めて行った八戸では、新鮮な魚の旨さに覚醒した。そして出会った東北の人々の素朴な温かさに心打たれた。以降、毎年新年会を行うことができたのは、『八戸グランドホテル』の社長の厚意で会場を提供してもらったことが、何よりも大きい。

 また市内の『とり舵亭』というバーのマスターは冒険小説好きで、我々のバンドメンバーの東理夫と伏見威蕃(いわん)のファンである。新年会が終了すると、皆でバーに雪崩れ込んでは盛り上がるのがお決まりであった。
 このバンドの新年会はなんと二十数年にわたって延々と続いた。必然的に八戸の夜には詳しくなる。

街の賑わい

 ホテルに昼過ぎに到着すると、まずフロントに楽器を預け、ホテル地下の中華レストランで打ち合わせをする。この店の料理人の腕が驚くほどよく、とにかく何を食べても外れることはない。特に新鮮な海の幸を使った海鮮料理の味は、さすが本場、「素晴らしい」の一言に尽きる。自称グルメな東京組は「これが八戸の底力か」と絶賛した。

 昼から夕方までは、音の漏れない部屋で一心不乱に課題曲を練習する。コーヒーブレイクを挟んで、各自担当パートの練習に励む。まだ暗譜できていないメンバーは必死の形相で譜面を凝視している。四時間も楽器をいじくっていると、さすがに集中力が続かなくなり、体力的にも限界がやってくる。

八戸には愛がイカがあふれている


 やがて夜の帳が下りると、楽器を部屋に置いて、いよいよ酒場に繰り出す。まずは予約していた『ばんや』に突入する。
 この店では各自好きな物を自由に注文する。「食べ物を指図しない」「酒を注がない」「音楽の話はしない」「人の皿に箸を出さない」が、我々の暗黙のルールである。
 私はいつも「甘エビ」「焼きウニ」「ナマコ酢」「刺身盛り合わせ」と日本酒二合を注文して、独りカウンターの奥のほうに向かい、心の迷いを払い、悟りを開く。バンドメンバーと口をきくこともなく、淡々と食べて飲む。
 この店は東北を、いや日本を代表するトップクラスの居酒屋として常に名前が上がる老舗である。昭和の木造の佇まい、魚の旨さ、適正な料金、腰の低い主人の人柄。まだこんな良心的な居酒屋があったのかと、店を出てからも何度も振り返る。

ばんや


 二軒目は、バンドメンバーとは別行動をとる。寒い冬は温かい「ひっつみ」が欲しくなる。ひっつみとは早く言えばスイトンである。昔の八戸では米が取れなかったので、小麦粉料理が発達した。他所のスイトンとの最大の違いは、長芋を加えて粘りを出していること。魚介類たっぷりのひっつみ汁が大鍋からドンブリによそられ、テーブルに置かれる。火傷しないようにゆっくりと口に運ぶ。
「うぅん、芯まで染みる」
「女将さん、ビール追加して」

 こうして八戸の夜が次第に更けていく。いつのまにか地元のバンド仲間も合流して、二次会、三次会と気ままな酒の時間を過ごす。
「バンド組んで良かった」
「あんたの声は本当にいいね」
 ラストはいつものバー『とり舵亭』である。寒いので体は酔っていても頭は冴えている。ハイボールを二杯も飲むとすでに午前〇時。次の日は本番なので、そろそろお開きとなる。

この町に住みます

 楽しすぎて懐も涙腺もゆるむ新年会は長らく続いたが、やがてお世話になったホテルの社長も代替わりし、バンドのメンバーもバーのマスターも亡くなり、ついに十年前に終焉を迎えた。
 しかしその後も、八甲田山の山歩き、スキー、紅葉の奥入瀬渓流と、私の青森の旅はまだまだ続いている。

文・イラスト:沢野ひとし(さわの ひとし)/名古屋市生まれ。イラストレーター。児童出版社勤務を経て独立。「本の雑誌」創刊時より表紙・本文イラストを担当する。第22回講談社出版文化賞さしえ賞受賞。著書に『山の時間』(白山書房)、『山の帰り道』『クロ日記』『北京食堂の夕暮れ』(本の雑誌社)、『人生のことはすべて山に学んだ』(海竜社)、『だんごむしのダディダンダン』(おのりえん/作・福音館書店)、『しいちゃん』(友部正人作・フェリシモ出版)、『中国銀河鉄道の旅』(本の雑誌社)、『ジジイの片づけ』(集英社)、絵本「一郎君の写真 日章旗の持ち主をさがして」(木原育子/文・福音館書店)ほか多数。趣味は山とカントリー音楽と北京と部屋の片づけ。3月15日に最新刊『真夏の刺身弁当』(産業情報センター)刊行。電子書籍『食べたり、書いたり、恋したり。』(世界文化社)もぜひご覧ください。
Twitter:@sawanohitoshi