歳月人を待たず/沢野ひとし
2020年は中国旅行を三回予定していた。三月の北京、九月の山西省の大同と、旅行代金はすべて支払い済みで、十月にもう一度北京に行く計画を立てていた。
だが、新型コロナによってすべてがキャンセルされることになった。行けないとわかると逆に中国の本を読んだり、現地の日本人や中国人との微信(ウェイシン・中国版LINE)での交換が、むしろ頻繁になる。
中国に行くたびに社会の動きの早さを実感する。あらゆるところがスマホ決済で、店で現金を出すと露骨に嫌な顔をされるほどだ。スマホに中國銀行の残高がない外国人にとっては、不便極まりない。
また日本人男性としては、この十年ほどの中国の若い娘さんのファッションの変遷やスタイルの良さに驚かされる。特に北方系の人は背が高く、足が長く、思わず振り返ってしまうほどほれぼれする。
中国人は老齢になっても公園や広場で、暇があるとダンスに熱中している。そのせいなのか、日常的に体の動きが機敏でスマートである。
中国は日本より今も遅れていると思っていたら大間違いだ。地下鉄や、街に建つビルの斬新さ。周辺の整備された公園に入ってみると「ああ日本は取り残された」と実感させられる。大型のラジカセを前に、集団で踊る老若男女の姿に圧倒される。
変わらないのは、町を歩くと至る所で目に入るイスである。なんとなく疲れたなと思うところに、さりげなくイスが置かれている。
こちらはやれやれと籐のイスに座り、足をほぐし、しばし安楽浄土を味わっている。近くにおばさんやおじさんが立っていることに気づき、席を譲ろうとすると、中国人の口ぐせ「可以(いいよ)」と声をかけられた。中国の人は知らない人にでも、距離をおくことなく、話しかけてくる。少しでも中国語で返事をすると、魔法瓶からお茶を勧められ、しばらく解放してくれない。この時も、やっとのことで立ち上がると「慢走(お気をつけて)」とお互いに手を振った。
その後半年ほどして、またその道を通ると例の籐イスがまだ健在で、あのおばさんも静かに座っていた。「好久不見了(お久しぶり)」。こうして日中友好の交流が深まっていく。
バッグの中から小さなチョコレートを渡すと、「孫にあげる」と言うので、もう一つ出すと、うれしそうに笑っていた。
来年2021年こそは北京に行くつもりだ。いつもの灯市口駅のホテルの近くの路地に、あのイスとおばさんは居るだろうか?
旅は夢があったほうが思い出に残る。
イラストレーター・沢野ひとしさんが、これまでの人生を振り返り、今、もう一度訪れたい町に思いを馳せるイラスト&エッセイです。再訪したり、妄想したり、食べたり、書いたり、恋したりしながら、ほぼ隔週水曜日に更新していきます。
文・イラスト:沢野ひとし(さわの ひとし)/名古屋市生まれ。イラストレーター。児童出版社勤務を経て独立。「本の雑誌」創刊時より表紙・本文イラストを担当する。第22回講談社出版文化賞さしえ賞受賞。著書に『山の時間』(白山書房)、『山の帰り道』『クロ日記』『北京食堂の夕暮れ』(本の雑誌社)、『人生のことはすべて山に学んだ』(海竜社)、『だんごむしのダディダンダン』(おのりえん/作・福音館書店)、『しいちゃん』(友部正人作・フェリシモ出版)、『中国銀河鉄道の旅』(本の雑誌社)、絵本「一郎君の写真 日章旗の持ち主をさがして」(木原育子/文・福音館書店)ほか多数。趣味は山とカントリー音楽と北京と部屋の片づけ。今秋、『ジジイの片づけ』(集英社)を刊行予定。電子書籍『食べたり、書いたり、恋したり。』(世界文化社)も絶賛発売中。
Twitter:@sawanohitoshi