青森で「ホヤ」が呼んでいる/沢野ひとし
青森ほど、ねぶた祭りの「ラッセ、ラッセ」の掛け声の如く、勢いをつけて通い詰めた町はない。
二十数年前に青森の不良中年とカントリーバンドを組んでいた。そもそもなぜ遠く離れた青森の連中とバンドを組んだのか、今となっては記憶が不明瞭である。
‘80年代の末に作家の東理夫、翻訳家の伏見威蕃(いわん)と出会い、それぞれ学生時代にカントリー音楽に夢中になり、バンドを組んでいたことを話した。
‘90年に『カントリー極楽帳』(沢野ひとし・東理夫・本山賢司著/東京書籍)を書いたとき、神楽坂の出版クラブでバンド演奏付きの出版記念パーティを開いた。そこで青森から出席していた東さんの古い友人二名に、「みなさん、今度は楽器を持って青森に来ませんか?」と誘われた。こうしてバンド「メイ・フライヤーズ」が誕生した。
バンドでは、両親が日系カナダ人で幼い頃から英語が堪能な東さんが歌とギター、伏見さんはエレキギター、そして私はスティールギターを担当。青森の二人組は一人が歌とギター、もう一人はバンジョー、マンドリン、ベースをマルチに弾きこなす音楽オタクであった。
有名な『テネシーワルツ』『ジャンバラヤ』『スワニー河』など、カントリー音楽はコードが単純なので、楽器を乗せやすい。ギター初心者はカントリー音楽から入ると、楽にコードの仕組みが理解できる。
楽器を弾いているときはいつも頭が空っぽになり、コードや楽譜に集中する。楽器をケースに仕舞い、町に出て地元の連中とたわいのない話をしていると、東京にいるときとは違う空気を感じる。
最初に青森を訪れたのは初夏だった。駅近くの『アウガ新鮮市場』で、はじめて口にした生のホヤが心の琴線に触れた。それまでに馴染みのあった瓶詰とは雲泥の差。獲れたてのホヤは潮のかおりが口いっぱいに広がり、日本酒との相性の良さに溜め息が出る。「もう青森から離れられない」と思わずつぶやいた。
その年の初秋、東京組は楽器を手に再度青森に向かった。世に名高い大間のマグロを食べて天を仰いだ。味もさることながら良心的な価格がなによりも嬉しかった。こうして青森への依存度はますます高まっていく。
晩秋には椎名誠と共に、青森市にある書店『成田本店』主催の講演会とサイン会に呼ばれた。この書店の経営者こそが、歌とギターでバンドに参加している青森のメンバーである。
夜の酒席が終わり、近くにあるごく普通の中華料理屋『友楽』でシメのラーメンと餃子を食べた。椎名誠は「こんなに旨い餃子ははじめてだ」と箸を震わせ、「青森は餃子と『津軽海峡冬景色』に尽きる」と絶賛していた。
定宿は『ホテル青森』で、上階から望む八甲田山が裾野を広げ、しんみりした旅情を誘う。
ホテルの料理人がなんとカントリー音楽の愛好者ということがわかり、我々が行けばサービスも満点である。青森に通い始めた頃は外で飲んだくれていたが、次第に「ホテルの和食で一杯やる方が落ち着く」ということになった。譜面を前に、バンドの連中とあれこれ話すのは至福の時であった。
次回は、八戸で毎年行ったバンドの新年会について報告したい。
文・イラスト:沢野ひとし(さわの ひとし)/名古屋市生まれ。イラストレーター。児童出版社勤務を経て独立。「本の雑誌」創刊時より表紙・本文イラストを担当する。第22回講談社出版文化賞さしえ賞受賞。著書に『山の時間』(白山書房)、『山の帰り道』『クロ日記』『北京食堂の夕暮れ』(本の雑誌社)、『人生のことはすべて山に学んだ』(海竜社)、『だんごむしのダディダンダン』(おのりえん/作・福音館書店)、『しいちゃん』(友部正人作・フェリシモ出版)、『中国銀河鉄道の旅』(本の雑誌社)、『ジジイの片づけ』(集英社)、絵本「一郎君の写真 日章旗の持ち主をさがして」(木原育子/文・福音館書店)ほか多数。趣味は山とカントリー音楽と北京と部屋の片づけ。最新刊『真夏の刺身弁当』(産業情報センター)は3月15日発売。電子書籍『食べたり、書いたり、恋したり。』(世界文化社)もぜひご覧ください。
Twitter:@sawanohitoshi