もう一度ルーアンに行きたい/沢野ひとし
十五年前にパリに二カ月間ほど滞在していたことがある。絵本の仕事、パリの出版社のカレンダー、版画工房での製作と、精力的にパリを歩いていた。なにかと便利なキッチン付きの、シタディーヌという4区のアパルトマンホテルを利用していた。ポン・ヌフの近くにあることも、便利で気に入っていた。ゆったりした部屋で、調度品も充実していた。
季節は二月の一番寒い時期で、ダウンの長いコートに毛糸の帽子、そしてマフラーと、全身を黒で覆っていた。冬のパリのファッションは、黒以外この町に立ち入り禁止といった雰囲気で、いたって頑固である。
ある夜、娘から電話があり「パリに行って良いか」と思いつめたように暗い声がした。「どうぞ。でも暖かい服装で来てね」と言い、ついでに日本の本を何冊か買ってきてくれるよう頼んだ。
娘はスイスのチューリヒに長い間滞在したことがあり、パリにも時々来ており、地下鉄やバスの路線図は頭に入っていた。
約束した予定の時間より早く、彼女はホテルのロビーにやはり黒ずくめで座っていた。私の顔を見ると、少し照れたように笑い、立ち上がった。ヒールのあるブーツのせいもあるが、しばらく会わないうちに背が伸びた気がした。
毎日、版画工房で夕方まで作業をして、その後は決まって仲間と飲んだくれてホテルに帰っていた。そんな私の姿を見て、娘は「もうお酒は止めなさい」と怒っていた。
帰国する前に、セーヌ川河口に開けたルーアンの町に行ってみたかった。三月の初旬に娘と日帰りの旅に出た。サン・ラザール駅からルーアン右岸駅まで、列車でおよそ一時間である。
セーヌ川に沿って、旅情をそそるパリの古い建物が続く郊外を走っていく。娘は頬杖をつきながら、葉を落とした冬枯れの風景を眺めていた。
娘がなぜパリに突然来たがったのか理由を聞くこともせず、また娘も言わなかった。日本語教師の資格を取ったが、就職先が見つからず、悩んでいたことを妻からは聞いていた。
ルーアンはジャンヌ・ダルク終焉の地である。また印象派の画家クロード・モネが連作を描いた土地で、町そのものが美術館とも称えられる、しっとりとした古都である。
真冬の平日の、それも小雨降る日なので、観光客はまばらであった。ノートルダム大聖堂、ルーアン美術館を見た後に、セーヌ川の近くの公園に行った。すると黒い犬をつれた夫婦が散歩をしていた。娘は「日本のうちにも黒い犬がいるんですよ」と英語で話していた。
そして近くのカフェに入り、暖を取っていると、娘は不意に立ち上がり川辺のほうに歩いていき、長い間じっと川面を見つめていた。煙るような小雨と水面がかさなり、傘をさす彼女の姿も、その中に溶けていくようだ。頼りない娘はセーヌ川のほとりで、どんなことを考えているのだろう。
「三十歳までに仕事を見つけたいな」と前の晩に言った娘の言葉を思い出していた。
イラストレーター・沢野ひとしさんが、これまでの人生を振り返り、今、もう一度訪れたい町に思いを馳せるイラスト&エッセイです。再訪したり、妄想したり、食べたり、書いたり、恋したりしながら、ほぼ隔週水曜日に更新していきます。
文・イラスト:沢野ひとし(さわの ひとし)/名古屋市生まれ。イラストレーター。児童出版社勤務を経て独立。「本の雑誌」創刊時より表紙・本文イラストを担当する。第22回講談社出版文化賞さしえ賞受賞。著書に『山の時間』(白山書房)、『山の帰り道』『クロ日記』『北京食堂の夕暮れ』(本の雑誌社)、『人生のことはすべて山に学んだ』(海竜社)、『だんごむしのダディダンダン』(おのりえん/作・福音館書店)、『しいちゃん』(友部正人作・フェリシモ出版)、『中国銀河鉄道の旅』(本の雑誌社)、絵本「一郎君の写真 日章旗の持ち主をさがして」(木原育子/文・福音館書店)ほか多数。趣味は山とカントリー音楽と北京と部屋の片づけ。電子書籍『食べたり、書いたり、恋したり。』(世界文化社)も絶賛発売中。
Twitter:@sawanohitoshi