見出し画像

「草むしり」から見え隠れする暮らし


草むしりの季節

あちーすよね。
そんな中、「たまれ」の草むしりや実家の草むしりなんかもやるわけですが、もう太陽さんが登りきる前の朝方にやっちゃいたいですよねー。
実家では6時前からやりますよ、もう早くやっつけてビール飲みたいし!
で、草むしり+αで出てくるのが庭の木の剪定。これ、「ばぁズバッときっちゃえばいいし、切っちゃっていいよ」って言われるんですけどまぁなるたけいい感じにしたいじゃないですか。この感情はなんなんすかねー、たぶんじーちゃんこで庭の手入れしていたり、庭師の方の仕事をみてたりするのもあるんすかね。でも、どちらかというと街中にあるぶった斬られた木を目にしたときになんかもやもやした気持ちになるからってネガの方が大きい気がします。私自身が何かをやりたいってよりも、何かに対する苛立ちみたいなものが活動の原動力だったりするので。
あ、全然違うコースにいっちゃいましたが、あちー季節は草が伸びる!!だから草むしりが大変だぜ!!って話。

けっこう体当たり的にいきます

ただの「草むしり」。されど…

「この前も草むしりしてきたんすよー」ってしゃべってたりすると、
①出入りしているところの草ボーボーが気になる
②「うちも草むしりしてよ」って頼まれる
ってパターンが発生していきます。
まぁ、知人の依頼は雑に受けるとして、「草むしりしたいんだけど身体が言うこと聞かない』って話で依頼も入ってくるようになりまして…。もちろんシルバー人材のサービスに草むしりとか枝落としとかもありますが、自分の知っている人(まぁいわゆる信頼してる人)に相談したいって気持ちもそりゃありますよね。そういう気持ちわかりますよ、私も。だから日程調整して、その信頼筋とともに公会堂に集合し、ご依頼主の元へ。

むしり前
1時間半作業後

草むしり」を通じたコミュニケーション

「もう草がのびちゃって恥ずかしいのよ」
「本当はやりたいんだけど。昔は主人がやってくれてたんだけどねー」
じーちゃんばーちゃんこの私としては、80歳過ぎて階段も気をつけながら降りてくるその姿と言葉を受けたらちょっとエンジンかかりますよね。
これ、私のなんとなーくの思考回路なんですけど…
0.抜いちゃダメなもの、手を入れてほしくないコトやコトの確認。その人がどんなことが嫌いか(いわゆる、地雷チェック)
1.まずは道路や隣の家にかかっているものから手を入れる(迷惑かけてる負債感から手を当てる)
2.草でも木でも、一気に「あぁーきれいになった」って感覚をつくれるようにエリアとやることのチョイス
3.0.に基づき、残しておいたところや、やりながら会話ができていく中で気になるところに手を入れたり、思い出話なども聞く
あとは時間あたりの金額もしっかり伝えてもらったりしているので、お茶などもいただきつつではあるけど、手は動かしつつ、今日はどの辺までできそうって感じの合意形成をとりつつ、地域に合わせたゴミ出しパターンを確認しつつ段取りして、掃除をして終了!!
「またお願いしたいんだけど…」って声がかかったらなんかうれしいす。

この写真はあんま本編とは関係なし

お金じゃなくいただいているもの

もちろんお金もいただいています。
ただ、「デリしげ」はやりたくなかったら断れるフレームなので、雑になげられたらやらないし、楽しくなかったらやらないっていうワガママスタイル。なので楽しさはしっかりあります。
なんてゆーか、これはあくまで勝手に思っていることなので自己満足領域なんですよね。イメージでいうと、自分と大切な人が大切にしていた絵がいろんな汚れが上に重なってしまったのでその汚れを除去していく…的な。あ、伝わらないっすね。「草をむしりながらこの花は残して」とか「きっとこういう風景だったんだろうなぁ(私はみたことないけど)」って想像したりしつつ、作業をしていって終了する。きっと終わった場面の絶対的な景色は同じはずなのに、おばあちゃんがみている景色にはおじいちゃんがいたころの景色だったり、懐かしさみたいなことも浮かんでいるだろうし…とかを思うとなんかちょっとでもそこに思いを馳せられたらいいなぁって思っちゃう。なんかそういう表情にみえるし、そういう表情をみられるってなんかほっこりしません??「しません」って人とはここの好みは合わないっすねー
ただの「草むしり」、されど「草むしり」。
こういう会話や困りごとのお手伝いからの方が、医療福祉専門職としてなにかを聞こうとするよりも近い気がしますよね。

話とは別の家。縁側に座ったり、そこからみてた景色に思いを馳せてしまふ

80歳過ぎのおばあちゃんは、1週間後には入院するみたいで、「その前にできたよかった」っていう言葉とともにほっとした表情で「ありがとうね」って。「いえいえ、こちらこそ」って言いながら、「帰ってきてからの暮らしにも色々思いを馳せちゃうのは職業病でもあり、ただの特性だったり..」って、誰かや何かを通じて自分にもまた違うカタチでふれることができる…さてさて自分と環境の境界線はどこに?

こんな話を最後まで読む変わった方や、「こんなことにもつながりそうよねー」って感じた方、シンプルにご興味ある方はあまり大きな期待をもたずにご連絡くださいませー
あ、1つの特性として私の時間で丸1日あけにくい(丸1日だと身体ももたない?)ってことと、2時間位ずつ複数回って方がこの取り組みには適しているのでご承知おきください!!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?