『推し、燃ゆ』と親友の話
「推しが燃えた。ファンを殴ったらしい。」という鮮烈な書き出しがツイッター上で話題になっていた例の小説を読み切った。アイドルオタクの主人公が推しを推す話と聞いていたから、私の話じゃん!と意気揚々と手に取ったけど、私の話じゃなかった。
触れ込み通り、オタク特有かつオタク普遍の感情が、嫌味のない比喩とテンポのいい短い文章で表現されていて、共感するところも多かったし、この深度の自己内省を21歳という若さで行って小説という形に昇華した作者の才能に脱帽した。しかし、この熱量を自分のものとして取り込むには私は年を取りすぎていたし、そして何より、ある種コンプレックスとして長年抱えている「没入しきれない自分」を改めて突きつけられたような気がして苦い気持ちになった。そういうわけでこれは残念ながら私の話ではなかったけど、代わりに大学時代の親友のことを思い出した。
*
彼女と初めて出会ったのは大学の入学式で、同じ学部の同じ学科の同級生として知り合った。第一印象は全く記憶に無いけど、たまたま二人で話す時間が出来た時に彼女からぽつりと「バンギャ?」と確認のような質問をされたことを鮮明に覚えている。高校の頃の私は確かにバンギャと呼ばれる人種で、メイクやファッションはその系統にズブズブだった。でも大学からは普通の人間になろうと決意して、そういった類の腐臭は春休みの1ヶ月を利用して思いつく限りのデオドラントを施してきたつもりだった。それがまだ挨拶しか交わしていない状態の同級生に入学式にバレたからめちゃくちゃ狼狽えた。あまりの衝撃に否定して隠すというところまで頭が回らなかった私は、「何で分かったの?」とYesの類語を答え、その質問について彼女は「眉毛で分かった」と笑った。そう、当時のバンギャの眉といえば、世間の流行からはやや浮いた、八の字をひっくり返したような形の鋭くて薄い眉が主流だった。なるほど、確かにメイクやファッションは変えようと思えば翌日にでも変えられるけど、眉毛だけは1ヶ月や2ヶ月じゃ簡単には変えられない。あの日以来、私がメイクで最も気を遣う部分は眉毛となった。そういうきっかけがあったことに加え、キャンパスから家までのルートがほとんど同じだったことや同じサークルに入ったこともあり、彼女とは1日の大半を共に過ごすこととなった。私と彼女は好きなものも嫌いなものもよく似ていて、好きなものの素晴らしさを共有することも、嫌いなものの悪口を言うことも全部楽しかった。私が気にも留めないようなところにまで感受性のアンテナが伸びていて、話の節々でそういう自分にない視点を発見をするのが新鮮だった。仲間内で最近読んだ小説の話をしていた時、「小説を読んでみたいんだけど、集中力がなくてどんな本でも絶対に途中で寝てしまう。生まれてから一度も小説を読みきったことがなくてつらい」と思いつめた顔で相談された時は、当時、人間とは本を読めば読むほど考えが深くなり、聡明な生き物になれるのだと信じていた私に大きな衝撃を与えた。何故なら一冊も小説を読みきったことのない彼女の考え方や書く文章は、他人のそれに何も劣らないどころか寧ろ私は好きだったからだ。それから私は読書量で他人を測ったり己を価値付けたりすることを辞めた。
*
大学3回の頃だったと思う。彼女は突如アイドルにハマりはじめた。ハマった先は、いわゆるメン地下と呼ばれる界隈に属するアイドルだった。元々オタク気質な人で、気付いたら何かに熱中しているようなタイプだったけど、今回のそれが今までと熱の上げ方が違うことは傍から見ても分かった。元々キツい臭い汚いとの理由からアンチ夜行バス派だった彼女が、たくさんの現場に通うため不服そうながらも交通費の安い夜行バスを利用し始めた時は「あ、本気だな」と思った。
それからの彼女はとても輝いていた。推しはじめてほどなくして彼女はバイト代と貯金の全てを注ぎ込んで握手券付きCDを購入し、晴れて推しメンのTOとなり、認知や特別なレスなどももらうようになっていた。メイクにもファッションにも今まで以上に凝りだし、垢抜けていった。私は彼女の推しについて何も知らなかったけど、彼女を通して語られる推しのことについては世界一詳しかった。美しくて気高くて優しくて才能もあるけど、トークとオタクへの営業が下手で鳴かず飛ばずの売れないアイドル。私も私で当時安くないお金をかけてバンドマンを追いかけていたから、まあ似た者同士だなと思いながら推しについて嬉々として語る彼女の話を聞いていた。それから徐々に彼女は大学に来なくなった。
大学4回。就活が佳境に突入する中でも、彼女は相変わらず推しを追っていた。久しぶりに会った彼女に「最近どう?」と聞くと、推しのグループの解散が決まった、とポツリと零した。すぐさま自分に置き換え、大変なことが起きたとゾッとした。追ってるバンドが解散なんてしたら私だったら生きる指針を失う。どうするの?と聞くと、「分からないけど、解散までにある現場は全部行く。そのあとの自分がどうなるかは分からない」とまるで他人事のようにつぶやいた。私は、まあそうだよね、とりあえず悔いのないようにね、でも学校には来なよ、みたいなことを言った。
解散が決まって以降、これまで以上に彼女のすべてが"推しを推す"という行為に加速度的に収斂されていった。「引退されるくらいなら一緒に死にたい。自分が見ることのできない場所で推しの美しい人生が続いている事実を認識しながら、推しという美しさを失った自分の人生を生きていくのが耐えられない」という言葉を聞いた時、私はこれまでバンドを追いかけている自分と彼女を重ね合わせていたけど、間違いだったと気付いた。私はバンドが解散したら生きる指針や希望を失うと思っていたけど、彼女にとって推しとは生きることそのものだったのだ。
作中のこの部分があの時の彼女と重なった。
*
時が経ち、解散の予定は覆らず、つつがなく彼女の推しグループは解散し、彼女の推しは芸能界を引退した。解散後、マジで死んでしまうんじゃないかと心配していたけど、ほどなくして会った彼女は意外と元気で、憑き物が落ちたような、膿を出しきったような晴れやかな顔をしていた。「生きてた!」と決して大袈裟ではない心からの声をかけると、「あの人、最後にブログに何て書いたと思う?引退したら僕は一般人だから街で出会っても声をかけないでね、だって。私たちオタクのこと、本当は嫌いだったんだなぁ。この2年間なんだったんだろう。私の手元には何にも残らなかった」と遠くを見ながら笑った。
「何も残らなかった」、と確かに言った。耳を疑った。推しを推しはじめてから彼女にはオタクの新しい友達ができ、コミュニティができ、現場以外の時間も充実しているように見えた。コスメにも詳しくなり、垢抜けた。それだけで私は推しに出会った意味があったね良かったねと思っていたから、それら全てを葬り去って「何も残らなかった」と吐き捨てた彼女に動揺した。私は私の人生で起こったこと全てに意味を持たさないと自己嫌悪に潰されるタイプだから、そうやって何も残らなかったと言い切れる強さが心底羨ましかった。そして、彼女の興味と関心は推しから波状に広がった何物にも伝播せず、ただ推し一人に注がれていたことを改めて思い知った。
私はずっとそうやって自分の全てを何かに没入させて生きられる人にどこか憧れていた。健人くんのファンになり、ブログやツイッターで思いの丈を書きつらねるようになってから、「すごい熱量ですね!」とか「愛がすごい!」とかそういう言葉を貰うことが増えた。勿論、書いてる思いに嘘偽りはないけど、私は私の全部を健人くんに捧げてはいない。"健人くんがいなくなった時のパターンの人生"を常に想定し、様々な角度から保険を掛け、いざとなっても再起不能にならないよう万全の準備をしてオタクをしている。我ながらズルいと思う。「健人くんがアイドルやめたら死ぬ」とつぶやくことは簡単に出来るけど、多分そうなっても私は死なない。死んだように生きるだけだ。でも一方できっとこの作品の主人公のあかりのように本当に死の淵ギリギリを彷徨う人もいる。私は私の友人や作中のあかりのようなオタクになれないし、健人くんは私の背骨にはなり得ない。オタクなら、一瞬でもいいからあんな生き方をしてみたかった。だから、冒頭にも書いたようにこの作品は私の物語ではないと感じた。悔しいながら。
最後に、一番好きだった部分を引用して終わります。