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紀州

串本のあの定規で引いたような真っ直ぐな水平線も、真夜中に那智勝浦の漁港から見た空と海の境目を失くした濃淡のないべっとりとした暗闇も、ずっとずっと忘れないと思う。本州最南端の称号はやっぱり伊達じゃなくて、夜はどこまで目を凝らしても向こう側に明かりの一つも見えなかった。単純に、向こう側に陸が無いからだ。昼間はあんなに生命の源のようにいきいきと躍動していたものが、夜は押し黙って全く別の顔をすることが恐ろしかった。これが畏怖という感情なのだと初めて全身で理解した。海に指を浸したが最後、そのまま全身が黒く染め上げられて死ぬと本能が危険信号を発し、ものの10分で夜の散歩をやめて逃げるように旅館に戻った。毎夏、海辺の祖父母の家に預けられて育ったけど、生の濃度も死の濃度も、この海には敵わない。地上との海抜が20cm程しかないあの町は、地震や津波が来たら間違いなく終わる。内陸の人間が躍起になって避難訓練や津波のシミュレーションを行っているのに、和歌山の人たちはあまりそういうことに必死にならない。そんな意識だと死んでしまうよ、とこの地に来てからずっと憤りを感じながら生きていたけど、あの日私はこの最果てに来て、生に執着が無いということと死を覚悟して生きるということの大きな違いを知った。この地は自然と共に生きている。そして自然と共に死ぬ、ただそれだけのことだった。テレビCMが安っぽく喧伝する「自然と共に生きる」なんて文句は、本来自然と共に死ぬ覚悟がある人しか契ってはいけない約束だ。
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特急の終着駅の新宮の駅前は、歩ける範囲にマクドナルドもファミレスもなく、あるのはローソンと小さな地元の寿司屋、そして同じく地元の人がやっている喫茶店だけだった。それも15時には中休みに入ってしまうから昼過ぎから夕方は駅前で時間を潰せる場所がどこにもなくなる。仕方なくローソンのイートインで飲み慣れたチルドのジュースを飲んで電車の時間を待っていたら、夕方頃から授業を終えた近所の小中高生たちがわらわらと雪崩込んできた。なんというか、衝撃的だった。駅前のコンビニが青春の象徴となることは珍しくないことだけど、そこしか選べない中でみんながそこに集うというのはまた状況が別だと思った。彼らはこの土地で生まれたことをどう感じているのだろうか。和歌山市へ出るにも特急で3時間半かかり、最寄りの大学へ行くにも同じくらいかかる。高校を出て進学や就職をするにはほとんど必ずと言っていいほど家を出る必要がある。実家にいながら進学することは不可能だ。
「この地で子供を産んだら親は必ず18で手放さなければいけないね」とポツリとつぶやいた母親の言葉が頭をループする。

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