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誰かを人生の1ページにするということ

ヒットの法則とは、万人に当てはまる事柄を「これは自分のために作られたものだ!」と万人に錯覚させることが出来る力を持つものである、という論を以前どこかで耳にしたことがある。心理学が定義するところによればバーナム効果というらしい。

というわけで今回のSexy Zone2019ツアーPAGESは疑いようもなく私のためのツアーだった。「何言ってんだコイツ」感が外周を爆走した後の健人くんの汗くらい溢れ出ているが、恐縮ながらどこをどう切り取っても私のためのツアーだったのである。一応理由はちゃんとあるので、これを読んでいるセクゾ担各位は一旦その振り上げた拳を各々のSexy Zoneくらいまで下ろして落ち着いて聞いてほしい。

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去年の冬、社会人生活初めての転勤になった。慣例上、毎年この時期には必ず異動が発生するため、辞令自体にさほど驚きはなかったが、赴任先が想定外の地だった。率直にいうと絶対に行きたくないところだった。言い渡された瞬間、数ヶ月前にヘラヘラしながら「どこでもいいっスよ」と上長面談に臨んだ自分を100発ほど殴りたかった。私はもっとジャニーズJr.のような瑞々しい向上心を持つべきだったのである。Jr.にQに出演せずともバックに貼られたカードの一言のみでオタクのTLを沸かせられるようなキャッチーな伝達力を身につけるべきだったのである。これでは何のためにジャニオタをしていたのかさっぱり分からない。とはいっても人間どう足掻いても過去には戻れないし、平社員はお上の命令には逆らえないのである。3週間で新しい家を決め、引っ越しの準備をし、業務の引き継ぎをやらねなばならない私にそんな駄々をこねる余裕はなかった。引き継ぎ中、同僚から口々に投げ掛けられる「大変だろうけど頑張ってね」という労いの言葉はどす黒いスコールのように降り注ぎ、私は非常に惨めだった。そして何より、素直に受け取れない自分のひん曲がった感性に嫌気がさしていた。脆弱なプライドでなんとか己を奮い立たせている人間にとって、数多の無自覚な憐憫や慈悲が鋭利な鞭となって足元を攻めてくる感覚は非常に耐え難い屈辱だった。プライドはタワテラのような速度で急転直下し、自尊心は地に失墜した。自己肯定感のボーリング調査を行なっていたら恐らくマントル最下層まで到達していたと思う。
しかし時間というのは無慈悲なもので、あっという間に日々は過ぎ、あっという間に異動の日となった。無邪気な時間は過ぎやすくとSexy Zoneは歌っていたが、ところがどっこい邪気のある時間も意外と過ぎやすいのだ。「つらいって聞いてたけど実際そこまでじゃないじゃん?」的な展開を少し期待してやって来たが、そんな幻想は無残にも打ち砕かれた。普通に過酷だった。もはや聞いてたよりも過酷だった。本当に辞めたかった。胡散臭いテレビショッピングが自信満々に謳う"10秒に1本売れてます!"なんて煽り文句よりも確実な正確さで10秒に1回くらい辞めたかった。
そして更に時は過ぎ、マンションの上の住人の騒音に苛まされたり、炊いたのをすっかり忘れて炊飯器の中で米を腐らせたり、カウコンでマリウスがステージから落下して卒倒したりしてるうちに、あっという間に2019年になった。今年のツアーはもうないんじゃないか、という重い空気がじわじわとファンの間に広がっていた1月の半ば頃、突如9都市を巡るツアーが発表された。宮城や新潟・長野など、初めて開催される地名が画面に踊る中、オーラスに選ばれた地は和歌山だった。その地名を確認した瞬間、衝撃でスマホを落としそうになった。何を隠そう、私がこの冬に赴任した地であったからだ。「何故オーラスが和歌山…?」というざわめきがTLから滲み出ていたが、そんなことはどうでもよかった。思い上がりだと非難されてもいい、お花畑だと揶揄されてもいい、この瞬間、これは絶対に私のためのツアーだと確信したのだった。

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"死のうと思っていた。ことしの正月、よそから着物を一反もらった。お年玉としてである。着物の布地は麻であった。鼠色のこまかい縞目が織りこめられていた。これは夏に着る着物であろう。夏まで生きていようと思った。"と、かの太宰治は綴っていたが、私にとってここでいう着物がまさにこのツアーであった。5月25日のオーラスまでは何があってもこの地にいようと、誰に誓うともなく自分の胸に小さく十字を切った。そんな自分との約束が、立ち消えそうになっていた生きる気力を奮い起こす何よりもの動力となった。

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少しだけ思い出話をしよう。今回のツアーは聡ちゃんがお休みであるということをはじめ、個人的にも初めて初日とオーラスの両日に入ることができたりと初めての経験がたくさんあり、色々な意味で忘れられないツアーとなった。思い返せば、初めてSexy Zoneのコンサートに参加した2016年は大学の友達と一緒に連番し、2017年はほぼ1人、2018年は家族を誘って行くことが多かったが、この2019年はTwitterで知り合った人と入ることが多かった。そうやって自分の環境も他人の環境もめまぐるしく変われど、ステージに立つアイドルの姿というのはこの世で唯一不変の強く美しいものだと幾度目かの信仰を実感した。ツアーのためだけに誂えられたまるで熱帯魚の鱗のように各々の身体にぴったりと合った煌びやかな衣装を着て、土砂降りのように降りそそぐ色とりどりのスポットライトをその華奢な背中に背負ってステージに立つアイドルの姿に、私は飽きもせずに永遠を祈る。そして健人くんは銀河で一番煌めいていた。発光していた。この世の全てを照らし出す光源だった。横アリで薔薇の花をバックに散らし、髪を銀色に染め上げ、カラーサングラスを掛け、「令和」の文字を掲げて登場したその堂々たる姿はまるで我が子の命名発表を行なう父親のようであり、底抜けに愉快で抜群にカッコよかった。飽きるくらいに惚れ倒した愉快でカッコよくて真剣で真摯な健人くんは令和の時代も健在だった。嬉しかった。そして今回久しぶりにファンサを貰った。内容はファンサの教科書に載ってるよう基本的なものだったが、貰った瞬間、心臓が肋骨を打ち破って体の外に飛び出し、床に10回ほどバウンドして爆発四散するような、痛みすら伴う激しいときめきを覚えた。ときめきって、胸の奥にマッチで火を灯したみたいにじゅわっと胸が熱くなるような感情の動きだとずっと思っていたけど、現実のそれはもっともっと暴力的で突然で、それでいて途方に暮れるくらい強烈に幸福だった。私はこの時、"ときめき"という感情を、水に触れて初めて水の存在を知ったヘレンケラーのようにまざまざと理解した。コンサートってこういう見えない感情に輪郭と手触りを与えてくれる魔法みたいな空間だ。

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5月25日土曜日。ついにオーラスの日を迎えた。正直楽しみな気持ちよりも終わってしまうことへの不安の方が大きく、数日前から何をしていても所在ない気持ちでいた。この数ヶ月、"まだこの先もSexy Zoneが見れる"という気持ちだけで露命を繋いでいたため、明日から何をよすがに生活を持続させればいいのか皆目見当がつかなかった。そんな気持ちをよそにコンサートはつつがなく始まり、そして徹頭徹尾楽しく終わった。彼らが懸命に努力して作り上げた"楽しい"ツアーのラストに相応しい、ただただ楽しいステージだった。
そんな中、健人くんが最後の挨拶でこんなことを言った。「今日でラストだったけど、きっとどこでラストを迎えても盛り上がったと思う。でも俺たちにとっても皆にとっても、今回和歌山でオーラスを迎えたことはきっと意味があると思う。輪(和)になって歌を唄い、山を越えて朝日を見る。次の夜、月を見上げてこう言います。「月が綺麗だね」って。」
聞いた瞬間、ドキッとした。この地に来て既に半年ほど経っていたが、そんなこと露ほども考えたことが無かったからだ。いや、考えようとしてこなかったという方が正しい。命令が下ったからここにいるだけだし、人生なんてなんとなくそうなってしまったことの連続があるだけだと、誰に習ったわけでもないのにいつの間にかそう諦観していた。そうする方が楽だったからだ。だけど健人くんは起こったことの全てに意味を与え、肯定していた。月並みだけど、私も自分の人生とちゃんと向き合って追いかけて、そして認めて肯定して、たとえもし肯定が出来なかったとしても、そこに意味を持たせて生きていこうと誓った。それがSexyなんだと思った。

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私はよく「Sexy Zoneになりたい」とつぶやく。ツイッター的な意味でも現実的な意味でもつぶやく。それはちょうど子供たちがプリキュアになりたいとかウルトラマンになりたいと願うような、無知ゆえの幸福な向こう見ずさと地獄より深い憧れを内包した、無垢ゆえに残酷な願望である。憧れるあまり同一化を図るというのはよく聞く話だが、20代も半ばになっていまだにそう願うのは、Sexy Zoneがあの頃の私が焦がれるほどに憧れたヒーローやヒロインのように、圧倒的に清く正しく美しいからだ。
そうやって幾度となく憧れ続けたSexy Zoneだが、このツアーを通して他人同士であるからこそ救われる願いもあるのだという事実を、世界一幸せに突きつけられた。ツアー中に風磨くんが話した「今日が皆さんの大事な1ページになりましたか?Sexy Zoneは皆さんの人生の1ページになれていますか?僕たちも皆さん一人ひとりを大事な1ページだと思っています。」という言葉はまさにそれを体現していると思っていて、私たちは他人同士であるからこそ、お互いをお互いの一部に出来る。私も、そして今これを読んでいるあなたも、誰もSexy Zoneにはなれないけれど、なれないからこそ、Sexy Zoneを自分の一生を構成するピースとなし得る。それはきっと"憧れ"と一つになることよりも得難く、そして幸福なことだ。つらくてつらくて破り捨ててしまいそうだった私の20代の1ページを、人生という本に留めさせてくれたのは間違いなくSexy Zoneの存在のおかげだ。後で振り返った時、たとえこの1ページが人生のゴールに近づくための遠回りになっていたとしても、私はこの1ページに笑顔で意味を与えることが出来る。なぜならそこに私の人生の一部としてのSexy Zoneが存在しているからだ。

私のための、Sexy Zoneのための、そしてあなたのための、2019ツアー"PAGES"、やると決めてくれてありがとう。私たちを信じてくれて、あなたたちを信じさせてくれてありがとう。あなたたちが大好きです。

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