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『かか』

信仰と血縁が主なテーマだけど、テーマからして弩級の中上イズムですね。主人公熊野にも行ってるし。

おそらく誰にもあるでしょう、つけられた傷を何度も自分でなぞることでより深く傷つけてしまい、自分ではもうどうにものがれ難い溝をつくってしまうということが、そいしてその溝に針を落としてひきずりだされる一つの音楽を繰り返し聴いては自分のために泣いているということが。

自分の境遇よりましだと周囲を一蹴してしまう明子の綺麗な一重の奥のひとみは、偶然にも今朝電車で見たあかぼうの、母親を信じる黒く冷やこいひとみとおんなじなんです。不幸を信じる目、さいわいを信じる目、何でもいい、とかく心からの信仰を持つ目をうーちゃんは羨み僻んでいるんでした。

いとしさは抱いたぶんだけ憎らしさにかわるかん、かあいそうに思ってはいけん。

うーちゃんは見たくないのです。老いたかかなど、老いてジジもババもホロも死んだ晩年、おまいは家庭をつくりうーちゃんも働きに出て置き去りにされて、ひとり指を湿らして裁縫雑誌をめくりながら誰も着る予定のないワンピースにかたかたミシンをかけるかかなど、見たくもないのです。そのうちに倒れて鼻にくだまきつっけたまんま白い病室で涙のあとを乾かしながら生きながらえるかかなど、見たくないのです。そんなら小さい頃に、まだかかが優しく厳しいかかであった頃に、かみさまのまましんでほしかった。そう願いながら介護の末に親と心中はかった人間がこの国に何人いるでしょう。

人間の肉体は圧倒的な祈りの攻撃には耐えきれんのよ。唯一絶対のかみさまを持たん人々は、それぞれ祈りの対象を人間に求めます。

すべてのばちあたりな行為はいっとう深い信仰の裏返しです。(中略)ばちあたりな行動はかみさまを信じたうえでちらちらと顔色をうかがうあかぼうの行為なんでした。そいしてばちがあたったとき、その存在にふるえながらようやく人間たちは安心することができるんです。自分のことを本当に理解する誰かと繋がっているという安心感に、身をまかしることができるのんよ。

読み終わった後に感想サイトを巡回したら「理解出来なかった」という感想が4割くらいあって純粋に羨ましいなと思った。この世の中にはこれが分からない人生があって、そういう人とも一緒に社会をやっていて、そして平然とやってゆかねばならないのだ。
とにかく文体が独特で読み進めるのに苦労したけど慣れたら早かった。『推し、燃ゆ。』を読んだ時にも感じたことだけど、宇佐見りんは個別の事象を世界の全部のように表現する能力に非常に長けている。結局人生なんて個々の感情の連続でしかない上に、それがその人にとっての世界の全てなんだから、まず個人の世界をしっかり書き切らない限り大きなテーマの作品なんて永遠に書けっこないのよ。だから個人史が書けない人間が書くスケールの大きな話って本当に薄っぺらい。そしてこれを10代で書き切ったのはやはり化け物じみてる。あと宇佐見さんのSNS(Twitter)への温度感の高さと解像度の高さは一体何なんだろうね。

印象に残った部分は上に引用した通りだけど、一番心を深く打ったのはここかも。

修学旅行の班分けのとき、くじで一緒になったうーちゃんたちに聞こえるように大声でハズレと言ったり、女性の教師たちをヤれるヤれないと仕分けしたりしてた男子生徒たちに感じるんと一緒です。話を聞いたとたん、悪いと思う間もなく、親しんでいたはずの教師たちの顔が頭の中できゅうに別の顔をしだしたんを覚えています。どんなに知的で自立した女の人であっても、たった一言であほらしい猥談のなかに取り込まれてしまうんがどれほどまでに悔しいことか、おまいにはわかりますか。

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