不完全なヒーロー

「仮面ライダー」も「サイボーグ009」もタイトルは知ってるけど読んだことも見たこともなく、ましてや作者の名前なんて知る機会もないまま生きてきたから、今回健人くんが「石ノ森章太郎物語」の主演をするという話を聞いても一体どんなストーリーになるのかいまいちピンと来なかった。メインパーソナリティーを任せてもらっておきながらファンがこんなこと言うのもなんだけど、正直この枠のドラマに対するそもそもの期待値が低かったし、楽しみにしすぎてがっかりするのも嫌だったから、精神的な自衛も兼ねてあまり期待はしてなかった。
だけど見終わったあとの率直な感想は、この物語に出会えて良かったの一言だった。私は健人くんのファンだから、花を見ても星を仰いでもトーストを食べても吊り革を握ってもそこに健人くんを重ねて見てしまうけど、そういうオタクの過剰な紐づけ力を抜きにしても今回の石ノ森章太郎役は今の健人くんに絶妙にリンクした役柄だったように思う。中でも最も健人くんと重ねて見てしまったのは最後の章太郎の語りのシーンで、「それからも僕は子供たちのためにどこか弱点を持った不完全なヒーローを描き続けたのです」というナレーション。この言葉を聞いて、仮面ライダーがあのウルトラマンと双頭を為して現在まで愛され続けている理由が分かった気がした。
健人くんって、ジャニオタからアイドルサイボーグって呼ばれるくらい常に完璧・完全・万全を意識して、かつそれを遂行していて、不完全な姿って絶対に見せない・見せたくない人だから、「不完全なヒーロー」という概念に少なからず衝撃を受けたんじゃなかろうか。健人くんにとってはきっと「ヒーロー=完璧」だから。ファンはもちろん常に結果を出してくれている健人くんのことは好きだけど、それ以上に、そのジュラルミンみたいにつるつるでピカピカの薄皮を一枚剥いた下にある、ゾッとするほどぎっしり詰まった努力と根性と泥臭さに惚れ込んでいるわけで、彼が完全なアイドルだから好き!というわけではない人がほとんどだと思う。クランクアップの時に更新したKTTに書いていた、「章太郎さんを演じることによってずっと抱えていた悩みや不安が無くなった」ということがどれを指しているのかは分からないけど、「不完全さ」が「完全」にも勝るヒーロー足りうることを知れたことは、健人くんにとって大きかったんじゃないかなと思う。全部邪推だけれど。
………という文章をちょうど書き終えたあとに、24時間テレビのエンディングで健人くんが、「僕はこれまでアイドルとして完璧を目指しすぎて弱い部分をなかなか周りに見せることができませんでした。でも、章太郎先生はつらい時トキワ荘の仲間に素直になって気持ちをぶつけて大きな壁を乗り越えて来ました。Sexy Zoneのみんなに本当に感謝して、改めてSexy Zoneを愛しているって思いました」と挨拶をしていた。私は石ノ森章太郎が生み出したヒーローである仮面ライダーと健人くんを重ねて見ていたけど、今回の健人くんにとってのヒーローとは石ノ森章太郎そのものだったんだと気付いた。人が、ある人と出会って触発され、蝉が真っ白に透き通って脱皮していくように、美しく身を変える神秘的な光景を、こうして同じ時代に同じ場所で立ち会うことが出来たことを、奇跡のように思います。

#24時間テレビ41 #石ノ森章太郎物語 #国民的Sexy

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