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ハートの日

生まれつき運があまり良くない。絶望的に悪いというわけではないが、お世辞にも良いとは言えない、そんな人生を送ってきた。そんな私とは対照的に妹は昔から運が良く、家族で宝くじを買うことになれば妹が代表して窓口に買いに行き、私が行くことはついぞなかった。幼いながらにこの世には運の良い人間とそうじゃない人間が存在するのだということを知った。私のソウルコミックである『ピューと吹く!ジャガー』の中でジャガーさんがピヨ彦を「今回はたまたま運のない人生だっただけさ」と慰め、ピヨ彦が反論するシーンがあるが、あれはあながち間違いではないのだと思う。世の中にはそういう人生があるのだ。
そういうわけで、喜び・悲しみ・自分が運の良くない側の人間であることを受けて入れて二十余年ほど生きてきたが、ここ1年ほどそのきらいにブーストが掛かっており、不運を通り越してもはや不幸だった。詳細は省くが、かすり傷みたいな不運から一生に跡を遺すほどの不幸まで経験した。想像より暗い前置きになってしまったが、今日は不幸自慢をしにきたのではない。幸福自慢をしにきたのだ。
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遡ること5ヶ月ほど前、SexyZoneの2022年のツアーが発表された。セクシーのツアーといえば春というのが季語レベルでのお決まりごとだったが、今年は初の夏ツアーだった。6月が初日、8月がオーラスというなんだか見慣れない日付が並び、今年の横アリはゴールデンウィークの代わりにお盆を占拠していた。さてどこに申し込もう、と日程を睨んでいるとあることに気がついた。8月10日、自分の誕生日を見つけたのだ。春ツアーでは絶対にやらない月だから自分の誕生日に公演がある可能性なんて今まで1ミリも考えたことがなかったけど、今年は夏だからあった。正直、誕生日は年々迎えるのが憂鬱なイベントと化しており、そこまでテンションが上がったわけではなかったが、わざわざ外す理由もないよな…と思い第一希望で応募した。会社員だったらとっくにクビになってるレベルで仕事をしていない自名義に全てを賭けた。
ほどなくして当落の発表の日が来た。ここ数年、当たらないのがデフォルトだったので自己防衛のため過度な期待はしないようにしていた。そして恐る恐る結果を確認した私は、誇張ではなく本当に飛び上がった。そしてそのままゴム毬のように跳ね回った。スマホの画面には世界で一番景気が良いとされる「第1希望で当選です」の文字が踊っていた。当たっていたのだ。そして自分の誕生日を楽しみに待つ、という実に小学生ぶりの感情を取り戻した。運、良くなってるじゃん!と愚かな私は希望を見た。
そしてその後SHOCKも第一希望で当選し、いよいよこの不運の時代から抜け出す時が来たか?!と胸を躍らせたが、出演者のコロナ感染によってあえなく中止になった。やっぱり私の人生ってこうなんだと落胆し、同時に8月10日の行方を案じた。
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為政者の銃撃、異様に早い梅雨明けと猛暑、過去最高の感染者数を伝えるニュースに体力と精神を蝕まれつつなんとか8月10日を迎えた。なんとか、という言葉がこんなに正しく機能することそうない。命からがら、でもいいかもしれない。とにかく無事にこの日を迎えられたことに心底ホッとした。
そして今回、どうしてもやってみたいことがあった。同担4連による中島健人うちわ一文字持ちである。明確な理由はないけど昔からボンヤリ憧れていた。チケット交換の調整をし終えた後、たまたま4人全員同担なことに気付き、その瞬間、林先生のあの決め台詞が稲妻のようにこめかみを走り抜けた。
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「名前を呼ぶこと」とは、相手に対する最大級の肯定と承認である。そこにいることを認め、個性を肯定し、存在を称賛する行為である。4連うちわを本気で作ろうと決意するきっかけに、あるインタビューの存在があった。そのインタビューにこのようなやり取りがあった。

Q.沢山の人から愛されることって?健人君にとってファンはどんな存在なのか教えてください!

A.聴いてくれる人がいるから楽曲を世に送り出せる。ライブ会場に来てくれる人がいるからステージに立てる。見てくれる人がいるから映画やドラマに主演できる。受け止めてくれる人がいるから思いを届けることができる。
応援してくれるファンの皆さんは「自分はここにいていいんだ」「自分はここに立っていていいんだ」そう思わせてくれる存在。

https://maquia.hpplus.jp/life/news/70467/

これを読んだ瞬間、健人くんのファンとは、私とは、なんて祝福された存在なんだろうと膝から崩れ落ちる思いだった。こんなちっぽけな自分に大好きな人を「ここにいていい」と承認する力があるのだ。コンサート会場で出来る最も強力な承認行為ってなんだろう?としばし思い巡らせ、ああ、名前のうちわだと直感的に悟った。
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「( 中 )( 島 )( 健 )( 人 )4連うちわを作っていくから公演中一瞬でいいから一緒に持ってくれると嬉しいな…」的なツイートを空中に投げると、同行のみんながいいよという反応をくれた(直接言え)。それだけで十分すぎるほど幸せだったのに、当日集合した4人は何の示し合わせもなく全員青い服を着ていた。もう完全に機が熟していた。
そして久しぶりに仕事をした自名義を祈るような気持ちでQRリーダーにかざした。いわゆる良席じゃなくて構わないからうちわが一瞬でも視界に入る席に入れてくれ!と神様仏様ジャニーさんに懇願しつつ、機械から吐き出された無機質な券面を怖々と覗き込むと、「センター◯ブロック3列」の文字が飛び込んできた。センターって何だっけ?と久しぶりの横アリ用語に戸惑いつつ、とりあえず案内通りに進むと目の前にステージが現れた。しかも最も演者の視界に入る花道寄りだった。
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この日の公演は興奮しすぎて記憶があまりないんだけど、一つだけ鮮明に覚えていることがある。中盤、シーサイドラブを歌いながらバクステからメインステージへ戻る健人くんを例のうちわをぎゅっと握りしめて見上げていた。祈りを込めて胸の前で両手で握りしめるうちわは十字架に似ていた。ライトに照らされた髪が、肌が、目が、汗が、彼を構成する全てが注ぎたてのシャンパンの泡のようにキラキラ煌めいて、その美しさにうっとりしていると突然目線がこちらに向けられた。そして視線を少し後ろに這わせたあと、満足げに目を細めて微笑み、右手でカモンのような手の仕草をして去って行った。一瞬かつ突然の出来事にびっくりして後ろを振り返ったら例のうちわを手にした連番のみんなと目が合った。あれは確かに我々へのファンサだった。私個人へのファンサというより、私たちのうちわへのファンサだったけど、個人でもらうよりも何倍も満ち足りた気持ちになった。あの満足げな顔を見て、烏滸がましいけれど確かに「あなたの存在を承認した」と実感したのだった。以前のコンサートでもらったファンサは、私のうちわを見たあとに両手で指さしをして去るという内容で、その時は自分の存在を好きな人に知ってもらえた!と高揚したが、今回は「承認した」と感じた。「承認された」時には感じなかった、潮がゆっくりと満ちるような穏やかな愛おしさと喜びで胸がいっぱいになった。これは他では体験したことのない、新しい名前の感情だった。
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もう一つ気付きがあった。これまでずっと自分の誕生日のことを鳩の日と自称していたのだが、この日健人くんは挨拶で「今日はハートの日です」と話していた。衝撃を受けた。健人くんよりも何千倍も8月10日という日に向き合ってきた自負があるが、ハートの日なんてキュートな名称を思いついたことが過去一度もなかったからだ。別に鳩のことなんて好きじゃないし、なんなら苦手だけど、これ以上にしっくりくる語呂を思いついたことがなかったから仕方なくIDやパスワードにhatoと入れていた。でもこれから作るIDは全てheartにしよう。健人くんがハートの日と言ってくれたから、あの日から私はハートの日生まれの人間となった。

アンコールが終わったあと、健人くんが捌け際におもむろに「あっ、そうだ」と言い、胸のあたりをゴソゴソして「プレゼントあげる」と指ハートを繰り出して颯爽と幕の奥に消えて行った。私はあの指ハートを健人くんからの誕生日プレゼントだという幸福な勘違いして今も生きています。17,000人に同じものを贈ってようが関係ないのです。素敵な思い出をありがとう。
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冒頭に書いたように、私は運が良くない人間だ。だからこういう類い稀な幸運が重なった奇跡みたいな現象が起きると、他の人より強烈に輝いて映る。同じ明るさの星でも都会より田舎の暗い夜空のほうが輝いて見えるのと同じだ。でもだからこそ見える光の繊細さやグラデーションがきっとある。こういう人生が幸か不幸かは置いておいて、とにかく自分はもうこのように生きるしかないんだ、と腹を括った。私の沈鬱な2022年ひときわ強烈に輝くハイライトをセクシーサンキュー!

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