エールフランス航空293便(161203)
俺は190センチの長身をゆったり伸ばしリラックスした姿勢で仰向けに横たわり、夜行便で照度が落とされたボーイング777-300型機内の薄いベージュ色の天井をぼんやりと見つめていた
「あぁ、ファーストクラスのフルフラットベッドはこんなに快適なんだろうなぁ。気持ちいいなぁ」そして「タバコ吸いたいなぁ。そういえば免税店でセブンスターのカートン買ってくるの忘れたなぁ。こんなタイミングで思いだすなんて、これは仏様のお導きなんだろうか」と夢見心地で考えていた
実際に俺が横になっていたのは、三等客室のトイレ横にある中央ギャレーの冷たい床の上だった
「......セット、ユイット、ヌフ、ディス」、右手首の柔らかく温かい感触とともにゆっくりと意識がフェードインして来た。客室乗務員が脈を取ってくれていた
俺は座席の間の狭い通路に仰向けに倒れていた。足元では二人がかりで俺の重い足を持ち上げ、バスケットを逆さまにした台に乗せようとしていた。彼女たちにとっては今まで散々訓練に明け暮れてきた想定事態なんだろう
なんで俺がこうなっているか状況がよくのみこめないまま、手際よく対処してくれる皆の動きを床に転がったまま見上げながら頼もしさを感じた。
意識が戻ると乗務員は俺に質問を始めた。連れはいるかとか、出血していないかとか酒は飲んだかとかボーッとしたアタマでいくつか質問に答えた。日本人だと告げると日本人乗務員がきたが、やたら丁寧な言い回しがまどろっこしい。意識を集中するのが大変。タメ語でいいからサクッと要点を話して欲しいぜ
しばらく見動きがとれなかった。どれくらい時間が経ったかわからないが、ようやく上半身を起こし立ち上がろうとするも力が入らない。乗務員の細腕ではほとんど助けにならない。近くに座っていたアフリカ系のアンちゃんに助けて貰いようやくわずか数歩先のギャレーへ転がり込んだ
朦朧とする意識の中いろいろな事が思い浮かんだ。人はいずれ歳をとりそして死ぬ。誰にも逃れられない。いままでほとんど気にかけて来なかった事実に真剣に向かいあった瞬間だ。多分頭をうったのだろう落ち着きとともにうずき出した右側頭部の痛みと、本格的な意識喪失に初めて終わりの始まりを真剣に意識した。冷たいギャレーの床に力なく横たわりなんだか少し涙が滲んできた
しかし俺はこんな所で倒れたままでいるわけにはいかない。そんなの当たり前だ。時間をかけて呼吸を整えありったけの気合いと根性を振り絞り鉛のように重たい身体をひきずりなんとかふらふらと立ち上がった
夜明け前のパリで域内便に乗り継ぎ早朝のリナーテ空港へ降り立った。ひんやりとした空気がピンと張り詰め深呼吸してみると少しだけ気分が良くなった。そしてタバコを1本ゆっくりと吸った。なぜだかおもったよりうまくなかった。残りのタバコはぎゅっと握りつぶしライターとともにゴミ箱へ投げ込んだ。もう俺には必要ないはずだ。そしてタクシーを呼び出し霧に包まれるミラノの街を目指した