オスカー・シンドラーの墓を訪ねる (161209)
ナチ党員オスカーシンドラーは戦時経済下のどさくさにまぎれ軍需で一財産築いた小悪党。若え頃は単車レースに出たり、セールスの仕事をしたり、スパイ活動で死刑判決を食らったりプラプラするが、一旗揚げるべく30歳で工場を手に入れ会社経営を部下に丸投げし飲む打つ買う三拍子そろったしょーもない遊び人
袖の下を掴ませ、女をあてがい、闇市から仕入れたいい酒飲まして軍高官をたらしこみ大儲け。自身も女をとっかえひっかえ遊びまくり。生涯長身にダブルのスーツでキメる伊達男。ぶっちゃけ羨ましいぜ
工場従業員は金儲けのための労働力。最初はそんな感じで事業に邁進するが、数え切れない理不尽な死と隣合う日常に流されることなく、優しさと強い意志と勇気で一方的に虐殺されていく人々に救いの手を差し伸べた。最終的に全財産と持ち前の要領の良さで結果1200人の命を救ったのだ。この時37歳。大したもんだぜ
戦後はその輝きは衰えた。敗戦時に残った財産を皆に分け与え、また自身の逃走資金も準備し、結局無一文となった。アルゼンチンに移住してみたり、帰国して再起を期すも失敗続き。妻とも疎遠となる。晩年は彼が救助した人々の有志の経済的支援を受けながらフランクフルト中央駅前の安アパートでひっそり暮らした
非国民的ふるまいと見なされ、石を投げられたり、すれ違いざまに舌打ちをされたり、やじられたりもした。生き残りメンバーを頼り年の半分をテルアビブやエルサレムで名士として陽気に遊び暮らし、あとの半分はフランクフルトで陰気くさく引きこもって暮らし、そして年中金に不自由していた。1974年の死後、自身の希望どおりエルサレムのカトリック墓地に埋葬された
私は一人シオンの丘で彼の眠る墓標を見下ろしていた。それほど大きくもなくいたって質素な普通の墓石だ。墓が風化しないようにというユダヤの習慣にならったのであろう多くの小石が積み上げてあった。標高800m近いこの丘に吹く風は冷たかった。でも、ぬけるような濃い青空に高く浮かぶ太陽からは暖かい光が降り注いでいた。
参考文献
『救出への道』ミーテク・ペンハー
『シンドラーズリスト』トマス・キリーニー
『夜と霧』 ヴィクトール・フランクル