#88 日常に潜んでいる修辞技法の奇術

最近、私はレトリックを本などで齧っています。

一般的に修辞学ともいわれるこの学問はなかなか面白いもので、一見言葉の伝え方がどうして人の考え方までも左右してしまうものか、と一回は疑問を抱いてしまうものですが、実際のところ言い回しを一つ変えてみるだけでそのものの印象を一気にかえてしまう底力を秘めています。

修辞学と言ってしまえば立派な学問ではあるものの、論理学とも異なり、数学のように明確なルールに従って決められた表現を学ぶ学問ではなく(本来数学がどういったものか知らずにここまで断定するのはちょっとまずい気もしてきますが)、結果として人に印象を与える効果のある言い回しが修辞学的な表現として淘汰されてきたという側面を帯びています。

よって、詐欺まがいの謳い文句や誘惑たっぷりの広告さえも、レトリックのなせる業といっても過言ではないのだと思います。

久しぶりに実家に帰って、散歩の時にお世話になっていた自販機にかかれていた「カカオリッチココア」という飲み物を見て、昔の私なら寒い冬空のなかそのココアを飲めばどれだけ幸せだろうと考え購入を決めていたかもしれません。しかし、この名前そのものに巧妙なレトリックが仕組まれているのだと感じました。

特に気になったのは「リッチ」という表現。これを聞いた人は大抵「富豪」のような、なにか高級なイメージを抱かれる人が多いのではないでしょうか(少なくとも私はそんな感じでした)?

知っている方なら知っていると思いますが、「リッチ」というのはその成分が豊富に含まれている、ということ。決してその一杯百円のココアを購入したことであなたがわらしべ長者方式でココアを飲みたがっている子供となにかモノを交換していって豊かな生活が約束されているわけではないのです。

しかしながら、私みたいな言語情報に影響を受けやすい人間ならば文章や文脈で理解するのではなく、単語から理解しようとしてしまう傾向があり(そっちの方がエネルギーを使わないから)、「リッチ」という言葉につい魅せられてしまったりします。だから国語の現代文は苦手なんですがね。

だから、例えば「プロテインリッチ」という表現があれば、「プロテインが豊富に含まれている」という意味になるはずですが、さて、ここでまた一つ別の例を挙げましょう。

それは「共通認識」の問題。もっといえばこのリッチという言葉がどういう定義でなされているかとしっかり理解する必要がある、ということです。

私は一時期よくコンビニやスーパーなどに売られている、一回サイズのプロテイン系ドリンクを好んで購入して飲んでいたのですが、それにも確かプロテインリッチの文言が記されていたのを覚えています。

とある飲料には、ちゃんとこのように記述されています。

「高たんぱく食品とは、100kcalあたりに8.1gのたんぱく質を含んでいる食品のこと」

ちなみにプロテインドリンク1パックあたり15~20gのたんぱく質が補えるので、決してたんぱく質の量が少ないわけではないのですが、同じ定義を納豆や卵に当てはめてみるとどうでしょうか。

生卵は一個あたり約150kcalでたんぱく質は12g。なので100kcalあたりに約8gのたんぱく質を含んでいるということになりそうです。

それで単純にプロテインドリンク買うより全卵を一個食べた方が良いという風に結論付けてしまうつもりではないですが、スーパーで売られている卵の一個ずつにシールで「プロテインリッチ」の文言があっても良いのではとさえ思えては来ないでしょうか?

こういう風に、日常生活にレトリックの力は間違いなく及んでいます。

皆さんもこういった言葉の魔力を日々の中に見つけてはいかがでしょうか?

それでは!!


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