コラムはブログで書くべきか、noteで書くべきか
みなさんこんにちは、でくです。
私のブログのモットーは「自分が役に立った情報は誰かの役に立つ」なので、自分の生活の中で得た知見や、Google調べた情報のまとめなどを積極的にアウトプットしています。
そんなことを2年ほど継続しているわけですが、どうやら「自分が役に立った情報は誰かの役に立っている」ようで、そこそこのアクセス数と収益を得ることができています。
様々な記事を書いてきましたが、一向にアクセスが増えない記事群があります。
それはコラム記事です。
コラム記事はブログに置いといていいのか問題
いつもブログで商品レビューやら生活の知恵やらをアウトプットしている私ですが、時折コラム記事のようなものを書くことがあります。
コラムといっても、どこそこへ行ってきただの、最近の近況はこんな具合だのといったことをつらつらと書くだけの記事です。
自分の経験を切り売りするブログですから、こういった情報も無駄ではなかろうと思っているわけですが、いかんせんアクセスがありません。
その理由は明らかで、「誰も検索してこない」からです。
私のブログのアクセスの8割以上は検索流入で、「○○ レビュー」だとか「○○ 解決法」などという検索ワードで到達してもらうことが多いわけです。
そうして私のブログを訪れた人は、お目当ての情報を手に入れたらさっさと退場していきます。しがない1ブロガーのコラム記事なんぞに微塵も関心があろうはずがありません。
ましてや、コラム記事の情報を目当てにGoogle検索されるなんてこともないわけです。
ブログの記事というのは読まれなければ「負債」となります。
ブログ全体のGoogleからの評価は、記事のクオリティの影響を受けますから、「全く読まれない記事」があるのはブログの価値においてはマイナスなのです。
そうした意味から、このコラム群をブログに置きっぱなしにしておいていいのかということに思いを馳せることになりました。
文章を書くSNSプラットフォームは意外と少ない
そんなことはTwitterにでも吐き出せばいいじゃないか、と言われそうですが私としてはその選択肢はありません。
Twitterはテキストで情報を発信するツールですが、テキストコミュニケーションに向いていないプラットフォームだと思っているからです。
Twitterはたった140字の中のつぶやきで情報を発信するSNSです。
文字の制約の中で様々発信している人がいますが、その140字で自分の心象を余すことなく表現することは至難の業です。
結果としてどうなるか。
読み手に”行間を読む”ことを求めることになります。
するとどうでしょう。
”行間が読めない”人たちによってあっというまに”クソリプ”をつけられてしまいます。
なぜTwitter民は行間が読めないのか?
よく堀江貴文氏が「文章が読めない人が多くなった」とぼやいていますが、まさにあれは行間が読めない人たちの目の敵にあっている状態とも言えます。
実際に「世の中の人たちの傾向として文章が読めなくなってきている」のかどうかはさておいて、Twitter上に文章が読めない人が多いのは事実だと私も思います。
でも考えてみればそれもそのはずで、Twitterは140字のテキストでコミュニケーションするツールですから、140字読めればいいわけです。
脳みそを全然使わなくてもざーっと流し読みすることが可能で、たまたま目に入った文章が気に入らないことを言っていれば、行間なんか読まないでさっさと噛みつきたくなります。
Twitterのつぶやきは、読むことになんら負荷を必要としないため、結果として文章が読めない人たちが愛用するツールになっているのだと私は考えています。
情報ブログもある意味では長文に向かないプラットフォーム
話がそれました。ブログに話を戻します。
ここまでTwitterの話をしてきましたが、実はブログも長いテキストを掲載するのには向いていないと思っています。
ブログ記事、特に私のように情報系の記事をメインに取り扱ったブログを書く場合、読み手に離脱されないことがもっとも重要になります。
離脱理由で最も多いのは、「目当ての情報が得れなかった(得られそうに思えなかった)」です。
自分がGoogle検索をしているときのことを想像してみましょう。
なにか気になることがあってGoogleで検索をする。
検索結果の上位に表示されたいくつかの記事を物色します。
開いたページが、文字数が1万文字あったり、本論となる部分がなかなか出てこなかったり、筆者の不要な意見がてんこもりだったりしたらどうでしょう。
そっと「戻る」ボタンを押すことでしょう。
読者は情報を得に来ているわけであって、記事を読みたくてきているわけではありません。そこを履き違えるとブログ記事はPV数が増えません。
ということは、ブログの記事というのは読み手が脳みそを使わなくても情報を得て帰ってくれるような構成にしなくてはならないということです。
結果として、読まれるブログ記事というものは情報の負荷が小さいものになっていきます。長くて情報量が多くて筆者の意見が入っているものは、ブログ記事としても失格だということです。
コラム記事はブログの記事にすべきではないのかもしれません。
過去にはこういうコラム記事まで書いてます。
コラム記事はnoteに書くべし
Twitterやブログは自分の考えを記事にしてアウトプットするには不向きである理由を語ってきました。
ではどこにコラム記事を寄せればいいのか。
答えはnoteです。
noteはもとより文章を読む人があつまるSNS。
Twitterなどと比べれば文章の情報負荷に強い人が多いです。
したがって、ある程度長文で記述をしていても読んでもらえる可能性が高いです。
私のこの記事をここまで読んでいるあなたがいるというのが証拠です。
またnoteでは記事の特集やレコメンド(「注目の記事」)が発達しているので、見知らぬ誰かの目にとまる可能性が高いです。
少なくともブログの片隅に「コラム記事」などというカテゴリに押し込まれている状態よりは、よっぽど通気性がいいです。
noteアプリでは、iPhoneのウィジェット機能でレコメンド記事が読めるようになっています。
この機能、私も愛用していて、ニュース系のウィジェットと一緒にまとめておいて、ほんの数分の空き時間などに楽しんでいます。
書いたコラム記事がもし誰かの目に触れ、アクセスが増えて注目記事になろうものならば多いにPV数も増えることでしょう。
ブログの記事からnoteの記事へ rel=”canonical” を飛ばす
すでにブログに書いた記事を無駄にしたくない。
あるいは、noteに書くにしても、ブログのボリュームのためにnoteと同じ内容をブログにも書いておきたわがままな人がいると思います。私のことです。
しかしnoteに書いた内容をブログにも書くというのは非常にリスクが高い行為です。
インターネット上に酷似した内容の記事がある場合、それらはGoogleによって「コピーコンテンツ」の扱いを受け、悪い評価付けをされることになります。
そこで、コピーコンテンツ扱いを受けないために、ブログ側の設定で<link rel=”canonical”>タグをつけることがオススメです。
rel=”canonical”タグというのは、「この記事の内容はリンク先のこの記事の内容と同じですよ」ということをGoogleに知らせるためのタグのこと。
このタグをつけていることで、コピーコンテンツ扱いを免れ、ブログとnoteで同じ内容の両立を図ることができます。
no index タグをつけることも手としてはアリですが、Google評価が0になるため rel=”canonical”タグのほうが優位だと私は考えています。
ところで、rel=canonicalタグは記事のhead部分に記述する必要があり、body(記事の本文の部分)に書いても効果を発揮しません。
つまり導入するのが面倒ということですね。
そこでAFFINGERなどのワードプレステーマであれば、記事投稿画面でこのタグをつけることができる機能があります。
これを活用しない手はありませんね。
noteはコラム記事を逃がすHEAVENたりうるか
コラム記事をブログからnoteへとその場を移すことになりました。
これがうまく機能するかどうかは、今後継続をして、結果を振り返ってからじゃないとわかりません。
うまくいけばこの方法がいいということになりますし、イマイチなら新しい方法を模索します。
コラム記事が混在しているだけで情報純度が下がっていきますから、結果的にブログのSEO強化にもつながればいいなと思っています。
そもそも読まれるようになったのか、ブログになにか効果があったのかは、また情報を発信していきたいと考えています。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
ぜひブログの方にも一度遊びに来ていただければ嬉しいです。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?