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寛容な社会を目指すとは?
寛容な社会を目指したい、とプロフィールに入れている。
自分から何が出来るか、出来ることをしていこうとは 以前から思っているのだが、考えていくとわからなくなる。
いつもは、相手や物事の違いを認め、色々な角度から見ていく、想像すること、明らかにすることかなと考えが進むのだが、先月は少し違うことを考えた。
それは、断捨離である。過剰なものをなくすことが、寛容な社会に近づくのではないかと思った。
例えば、戦争になったら、とか、死に近い病気になったら、と考えた時に
何が大事か、本当に必要なものって何かを考えると、あまりないことに気付く。食べ物・水、家族、寝る場所、健康。人、動物、自然。こうなっていくと大きくなりすぎるけど、、、
最初の食べ物・水、家族、寝る場所、健康。これが、ちゃんと確保され、充実させるだけで楽しく過ごせるはず。
昔に比べたら、洗濯機や炊飯器、お掃除ロボット、スマホ、交通、、、日常生活の労働は少なくなっているはずなのに、楽な暮らしにはなっていない。
なんでこんなに忙しいのだろう。イライラしている人が多いのだろう。何をそんなに足してしまっているのだろう。
身近なところで考えると、閉店間際、割引されているのに、多く残っているお惣菜や生鮮食品。無駄に感じる書類。細分化されすぎて動きづらくなっているもの。過剰包装。そこまで求めてないのにやってくれるサービス。
海外の反応というサイトで、日本では色々な種類があって凄い!という記事を見ることがある。初めは、誇らしい気分であったけれど、どうなんだろう。
忙しくさせている物の一つな気がする。
自分たちを守るために必要なものやルール、便利さの追求や、こんなものあったらいいな、という欲求は大事にしつつも、色々減らしていく事も大事だと思う。
そして、その出来た時間で、もうちょっと、相手の話を聞いたり、自分の話を聞いてもらえたりしたら、寛容な社会に近づけるのではないか、と思った。